ep.2 弟子志願(4)

 小屋から出たところで藍鬼は振り返った。

 片手で空中に図形のようなものを描きながら小さく何かを呟くと、目の前の小屋が消失した。


「え!?」


 そこに最初から小屋などなかったかのように、目の前に見えるのは岩壁に穿たれた小さな洞と小川だけ。


「幻術だ。隠しているだけで、小屋はそこに「ある」。毒術と同じで、これも神通術とは系統が違うものだ」

「いま僕が質問しようとしたのに」

「お前の傾向と対策はもう分かった」


 黄土色の袋を背負った小さい背中が、先を歩き始めた藍鬼の後を追う。


 森の小道を歩く大小二つの人影。

 青は昨晩から身に着けている薄い浅黄色の上下、両手両足首には藍鬼から提供された真新しいサラシを巻き、足首にはこちらも藍鬼が縫いつくろった脚絆が被せられている。


 一方の藍鬼も昨晩と身に着けるものに大きな違いはないが、陽光の下で並んで歩く事で気が付く事がいくつかあった。


 腰に巻かれた革帯には、吊るされた道具袋の他に、背中側に刃物差しがあり、千本や苦無といった道具用の小刀が数本ずつ収まっていた。


 また、手甲は黒い布地が手首を覆い隠し、甲当て部分には獣らしき模様が彫られた銀板がはまっていて物々しい。


 軽装に見えて武装に抜かりなかった。


 藍鬼の武装とは逆に、太陽の元にある森は昨夜とまったく異なる平穏な姿を見せていた。


「森を抜けるまでどれくらいかかるの?」


 眩いほどの木漏れ日があちこちで瞬き、風は穏やかだ。夜に蠢き地を這うような獣たちの唸り声は鎮まり、代わりに小鳥と小動物たちの鈴のような声が飛び交う。


「二刻半も歩けば陣守の村に着く」

「ジンモリの村?」

「着いてみれば分かる」


 青は空を見上げた。木々の密度が高すぎて遠景がまったく見えず、森を抜けるまでの距離感がまったく掴めない。


 昨晩もし妖獣に遭遇しなかったとしても、永遠に森を彷徨って餓死していたかもしれなかった。


 むしろ妖獣に襲われた事が幸運だったとも思える。こうして救い人に出逢えたのだから。


「なんだ」

 視線に気づいたのか、鬼豹の仮面が斜め下の青を向いた。


「学校って、どんな事を勉強できるの」

「色々、だ。凪之国で生きて行くために必要なことを一通り、な。神通術や体術、言葉、算術、国の事、そして世界の事」


 凪之国で生きたいくためーそれすなわち凪之国への忠心と引き換えに生活が保障されるに他ならないが、藍鬼の口からその説明がなされる事はなかった。


「毒術は教えてくれるの?」

「基礎的なところは」

「藍鬼さんみたいになれるの?」

「……」

「僕、藍鬼さんに教えてほしいな、毒や薬のこと」


 黒豹の仮面が前方へ視線を戻した。


「学校の成績が良ければ考える」

「本当!? おシショーになってくれる?」

 飛び跳ねたはずみで麻袋の中で小瓶が音を立てた。


「変な言葉は知っているんだな」

 頭上から小さいため息が零れる。下から見上げれば仮面の隙間から見え隠れする顎と口元が、青の目には笑っているように見えた。


「お前は麒麟になれるかもしれない」

「キリン?」

「良き毒術師になれるって意味だ」



 麒麟。


 その言葉が持つ重みを青が知るのは、まだ先の話となる。

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