ep. 39 鬼隠し(2)
西方の北回り経路開拓および、くりんの里を目指す一隊の面子は、キョウを隊長に、キョウ指名のシユウこと青、そして諜報部から雲類鷲准士、東雲暁(アキ)中士、そして特殊体質の日野あさぎ下士の五人。
ちなみに猪牙、天陽、檜前、ホタル、よぎりは待機組として一旦、凪へ帰還。蒼狼問題の進展次第では、真西経路の調査等の人員が必要となるためだ。
「苦無、回収してきましたよ」
本通りから一つ中に入った、人気のない裏通り。納屋や倉庫が並び、幅広な用水路が並列している。暗渠に掛かる橋へ続く階段の手前で、峡谷隊は落ち合った。
「あ…お手数おかけします」
キョウから青へ、三本の苦無を差し出される。
「見事な投擲でした。特に、刀の先にここを引っ掛けて弾き落とすなんて」
「ここ」で、キョウが苦無の円形になっている柄を示す。
「え!? すごいです!」
あさぎが無邪気な声を上げ、その隣でアキも自分の苦無を取り出して柄をしげしげと眺めながら「うそぉ…」と呟く。
「どういった訓練を積んだらここまでに?」
訓練所出身の雲類鷲が、興味深げに尋ねた。
「特別な事は何もありませんが、五歳くらいの時から毎日色々な物を投げていました」
「幼い頃からの積み重ねなんですね」
「最初は遊び感覚で入ったとか?」
「遊び…そうですね」
キョウに問われて、青の胸中に幼い記憶がよみがえる。
苦無や針だけではなく小石や木の実や小枝など、手元にあったものを拾っては、本を読みながら柱の年輪模様に、森を歩きながら木々に当てたりと、遊びにも取り入れていた幼少期を思い出した。
「きっかけは師…恩人の影響だったのですが」
藍鬼の存在を口に出しかけて、青は言葉を濁らせた。藍鬼は「大月青」の師匠であり、シユウである時の自分が堂々とそれを表せない事が、もどかしい。
「あ、そういえば!」
あさぎが小さな両手を胸の前でぱちんと鳴らした。
「学校でお世話になった保健士の先生も、投げるの上手だったんですよ! 確か、針か千本かどっちかですけど」
「え、っ」
むせかけて、青は咄嗟にあさぎから顔を逸らした。
「よくあんなに細くて軽いもの投げれるな~って。私も小枝で試したんですけど、物が軽すぎると全っ然飛ばないんです」
「保健士…針…その先生って大月医療士の事か?」
キョウの言葉に、あさぎと、その隣でアキまでもが目と口を丸くする。
「はい! 峡谷上士も、大月先生とお知り合いなんですか?!」
「そういえば天陽おじさんと戦った時も、小石を命中させてたっけ…あれ、口の場合は「投擲」って言うのかしら」
「……」
キョウと女子二人が「大月青」について話が弾む中、青は覆面の下で脂汗をかいていた。
「そ、そろそろ確認と共有、しません、か」
ぎこちない言葉運びで割って入りながら、青は地図を開いた。
こうして距離を稼ぐごとに、新しい国や村落へ入るごとに、チョウトクが作り上げてきた地図と現状を照らし合わせてあらゆる地域情報を集積・追加するのも、経路開拓と同様にこの旅の重要な目的だ。
「地元の方にも訊いてみましたが、さきほどの街道が、白兎の中では最も繁華な場所であると言って良いようです」
「えー…! 紅の区と全然違いますね…」
それが、凪の良家の息女で都生まれの都育ちであるあさぎの、悪意が無い感想である。
紅の区は凪の都の一区域で、凪で最も繁華だ。食事処や娯楽施設の他、奥まった場所には花街もあり、夜も灯りが絶えない。
「国の経済規模としては翡翠よりもはるかに小さいようですね」
「翡翠のような交易の特産物がなく、近隣諸国との交流も無い。あの街道はほぼ白兎以西と以東の経由地でしか無いのでしょう」
「……兎さん、見かけなかったですね」
「え?」
ぽつり、と呟かれたあさぎの独り言に、一同は「そういえば」と地図から顔を上げた。
白兎ノ國唯一の大街道、小規模とは言え宿場町としての体裁は整っている区域に、他種の獣人を目にしたものの、兎族を一人も見かけなかった。
「国名が白兎でも、兎だらけの国って意味では無いのでしょうけど…でも一人も見かけなかったのも不自然ですね」
と、アキ。地図に指を添えて、街道から北側へ逸れた場所を指し示す。
「私が西方から東へ逃亡していた時は、人気を避けて北の森側を移動していたんです。そこでは、兎の獣人族が集う村落を見かけました」
続いて、雲類鷲も地図に手を延ばした。
「我々は南側を通過しました。東雲中士と同じく、森を通過中に兎族の小さな村落は見かけたので、子ども心に「兎の国なのか」と思った記憶があります」
雲類鷲の長い指が、街道を挟んで反対側、南の森林地帯を示す。
「森で生活する習性…でしょうか?」
「翡翠では公の場でよく見かけましたが」
「習性ではなく、この国の慣習?」
「……」
「二師、何かお考えが?」
青が口元に指を添えて考え込む様子に、キョウが気が付いた。シユウ――青がこの仕草を見せる時、思索にふけっている状態である事を、知っている。
「それはもしかして、は――」
青の言葉を掻き消すように、
「あ、あの…! もし!」
息切れした必死な声が、飛び込んできた。
一同が振り返るとそこに、頭から頬かむりをした小柄な少女が立っている。
激しく上下する胸元を両手でおさえて、懸命に呼吸を整えようとしていた。畑作業着のような身なりで、着物から伸びる細い手足はあちこちが泥や傷だらけだ。
「神獣人様! どうかお助け下さい…!」
必死に懇願する黒曜の両目が、キョウを見上げる。街道での騒ぎを、どこかで見ていたのだろう。
「こっちか!」
「小娘! 観念しろ!」
表通り側から複数の怒鳴り声。
「ひっ…」
びくりと少女は細い両肩を震わせ、その場にしゃがみ込む。そのひょうしに頬かむりの手拭いが解け、足元へ舞い落ちた。
「あ」
曝け出た少女の頭部で、二つの長耳が折れ曲がって震えている。
兎の半獣人だ。
「し……っ」
青は人差し指を口元にあてて「静かに」と促すと、懐から符を取り出した。それを少女の手元に押し付ける。
「幻霧」
短い唱えの直後、少女の姿が霧のように空気へ混ざり、そして消失した。幻術による、目眩し。
「これ、使わせてもらうよ」
続いて青は地面に落ちた手拭いを拾い上げ、二枚目の符と共に握り込む。
「シユウの名のもとに命ず」
式術の唱えに応じ、手拭いと符は煙と共に少女に姿を変えた。
「行け」
青の命に従って少女に姿を変えた式は、裏道の反対側へ駆け出す。
直後、表の街道から裏へ男たちが駆け込んできた。
いずれも同色の制服と思わしき装束を身に纏っており、おそらくは役人や官吏の類だろう。
「子どもを見かけなかったか!?」
「おい、あっちだ!」
男たちは一瞬、キョウや青たちの姿を目に止めたが、反対側へ走っていく少女の姿をした式の後ろ姿に気づいて追いかけて行った。式は角を曲がって姿を消し、男たちの姿と声も遠ざかっていく。
ふぅ、と青が小さく息を吐くと、足元で蹲る少女の姿が再び現れた。両手で自らの身を抱いて震えている。
「今のうちに」
少女を立たせようとキョウが手を伸ばす。
と、近くでガタガタと立て付けの悪い扉を開く音。裏道に面した倉庫の一つ、ちょうど茶屋の裏側に建てられた小さな倉庫の裏扉が開けられた。
そこから、少年が顔を出す。
「こっちこっち!」
母親にこっぴどく叱られていた、茶屋の少年だ。
「助かった。みんな、中へ」
キョウは少女を抱き上げ、少年が手招きする倉庫の扉を潜る。
続いてあさぎ、アキ、青、最後に雲類鷲が裏路地を見渡してから中へ入り、倉庫の裏扉が閉められた。
茶屋の薄暗い倉庫の中、皆で息を顰める。男たちの気配が無い事を確認し、
「玉(ぎょく)」
アキが手のひらに小さな火を起こして、手燭代わりとする。小さく狭い倉庫内がほの明く照らされた。
「悪い奴らはいなくなったかな」
頬を紅潮させた少年が、キョウを見上げている。
「ああ。君のおかげで助かった」
キョウが微笑むと、少年は「へへ」と瞳を輝かせて破顔した。悪者から少女たちを助けた正義の味方になった気分に、高揚しているようだ。
「柚斗(ゆずと)! 何の騒ぎ…」
街道側の店先から倉庫へ駆け込んできた母親が、キョウたちの姿に驚き、寸時硬直する。
が、すぐに息子の姿を見とめ、険しい顔で面々を見据えた。
「う、うちの子から離れて! 何の用?!」
「お母ちゃん、違うよ!」
すかさず少年が、母親の元に駆け寄る。
「お兄ちゃんたちが、あの子を助けたんだ。おれも手伝ったんだぜ!」
少年が指さすのは、キョウが抱き上げている兎の半獣人の少女。
母親が息を呑む音が聞こえた。
「勝手に上がりこんでしまい、申し訳ない。すぐに出ていきます」
少女を抱き上げたまま、キョウが代表して母親へ深く頷くように頭を下げる。
「その、その娘も連れて、すぐに出て行っておくれ」
「お母ちゃん、何でそんなイジワル言うんだよ!」
抗議する少年の体を後ろから抱きこんで、母親は口を噤んだ。無言で一行に「出ていけ」と目で訴えている。
「気配はありません。今なら大丈夫そうです」
と、裏口の扉越しに外に気配を探っていた、雲類鷲。
「これを」
青は道具袋から手拭いを取り出し、少女の頭に被せて結う。
「何でだよ! 困ってる人は助けなきゃって言ってただろ?!」
出立しようとするキョウたちを前に、少年は母親に抱きこまれたまま地団駄を踏む。
「おれは鬼の戦士さまになるんだからな!」
「お願いだからバカな事をいうのはやめて!」
「!」
涙声まじりの母親の絶叫に、少年は閉口して動きを止めた。
「この子は大丈夫、俺たちがちゃんと護るから」
ありがとうな、とキョウは少年に微笑み、最後に母親へ再び頭を下げた。
「お騒がせしたこと、重ねてお詫びします」
目を伏せたままの母親からの応えはなかった。
雲類鷲が裏口の扉を開き、周囲を確認し、頷く。
キョウたちが少女を伴い姿を消すまで、少年は下唇を噛み締めて見送っていた。
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