ep. 39 鬼隠し(3)

 街道を逸れて店や宿屋、家屋を避けて、人気のない雑木林に入る。

 蛇行する小さな川のほとりで、キョウは抱きかかえていた少女を下ろした。


「お許し下さい…!」

 地面に足が着くや否や、少女はキョウらの前で膝を折って体を丸めた。


「お許し下さい、どうか、お助け下さい…!」

「そんなことはしなくていい」


 キョウが少女の顔を上げさせようとするも、少女は額を地面に擦り付けるほどに低く体を丸めてしまう。


「…あー……」

 困り果てた様子のキョウの横から、


「座って。手当をしよう」

 青が腰を屈めて少女の両脇に手を差し込んで、小さな体を持ち上げた。


「ひっ」

 驚いて声を裏返らせる少女の体をそのまま、子どもが腰かけるのにちょうど良い高さの岩に座らせる。これでもう、土下座はできまい。


「……お願いします」

 青の意図に気づいたキョウが、安堵したように目端を細めた。


 少女は腰かけた岩の上から、目の前に並ぶ面々を見渡す。キョウと青の背後に、アキやあさぎら若い女の姿を見て、少しだけ安堵したようで表情を緩めた。


 雲類鷲はさらに二人から一歩引いたところで、気配を消して立っている。己の鋭い眼光が幼い子を怖がらせると、自覚していたからだ。


「どうしたんだ」

 青が手当を施す間、キョウが片膝をついて少女の目線を合わせて話しかける。


 改めて少女を改めて観察してみると、年のころはあさぎよりも年若く、手足の華奢さから発育状態が良好とは言えなさそうだ。


「……」

 あさぎが複雑な面持ちで、己と少女の肢体を見比べている。


「お助け下さい、姉さまをお助け下さい…!」

「大丈夫、落ち着いて。君はどこから来たんだ?」


 切羽詰まって言葉がおいつかない少女へ、キョウは辛抱強く一つずつ、情報を引き出そうと問いかける。


「オワタリの村……」

 後ろで、雲類鷲が地図を広げる音。

「森を北上したところに、御渡湖(おわたりこ)と呼ばれる湖がありますので、その近辺かと思われます」


「君の姉さまが、どうしたんだ?」

「姉さまが、お隣の国へ、お、お嫁に…」

「隣国は、牡丹ノ國ですね」

 雲類鷲は地図を見ている。


「お姉さんが他国に嫁ぐから寂しいって事…?」

「それだけじゃないような…」

 アキとあさぎが顔を見合わせる。


「お姉さんは、誰のお嫁さんになるんだい?」

「山の、山の妖怪の、お嫁に…」

 過呼吸のように浅い呼吸を繰り返しながら、少女は賢明に単語を絞り出す。


「!」

 少女の答えに、一同の面持ちが変わった。


「妖に嫁入り…それって」

 真っ先に思い浮かんだのは、

「い、生贄…ってこと?」


 凪国内の辺境においても未だ生贄を捧げる風習が残っている地域もあり、古き悪しき慣習の撲滅を目的とした妖討伐の任務が舞い込んでくる事もある。


「しかし…」

 少女へ手当を施しながら、青は独り言のように疑問を呟いた。


「…それだと、なぜ他国の妖への生け贄を、白兎の民が担う事になるのでしょう」

 助けを求める少女を追っていたのは、白兎の役人たち。

 その状況にも違和感が拭えない。


「結婚相手が山の妖怪みたいな、こわ~い顔のおじさんってこと?」

 あさぎの言葉通り、妖怪は少女の比喩であり国家間の政略結婚と考えた方が自然だ。


「どこかの姫を思い出しました」

「同じく」

 キョウと青の胸中に、かつての任務で振り回された、陽乃姫が思い浮かぶ。


「……ぁの…」

 岩に腰掛ける少女は、凪の面々を見渡しながら背中を丸めて小さく震えている。


 そこへ――


「…?」

 唐突に、雲類鷲が地図から顔を上げた。


 ほぼ同時に、頭上から羽音がした。見ると中型ほどの鳥が羽を広げて高度を落としながら旋回している様子が見える。光沢のある鮮やかな緑と紫の羽が特徴的な、雉だ。


「もしや」

 雲類鷲が一歩前へ進み出て、背中から抜刀する。雉は明らかな意思を持った飛行の軌道を描いていた。


「……」

 警戒し青が腰から引き抜いた苦無を一本、構える。ひゅっ、と隣で、少女が息を強く吸い込む音がした。


 雉は停止飛行から徐々に高度を落とし、それぞれ警戒して身構える凪の面々の前に降り立つ。キーッと一声鳴いて羽を広げたかと思うと、その姿が人間の青年へと姿を変容させた。


「あいつは…」

 キョウが低く呟く。青年が纏っている装束が、少女を追跡していた男たちと同型のもので、色違いの濃紺だった。


「雉島(きじしま)のお兄さん!」

「スミレ…!」

 岩を飛び降り、少女が青年のもとへ駆け寄る。折れて垂れていた両耳が、ピンとまっすぐ伸びていた。青年が飛びついた少女を抱き上げた直後、


「こっちだ!」

「匂うぞ」

 街道方面から雑木林へと張り込もうとする気配と声。


「まずい」

 恐らくは少女を追いかけていた役人らだが、人数が増えている。鼻が利く者が加わったようだ。少女が逃げ込んだ裏道で姿を見られているために、言い訳がしにくい状況。


「東方面へ走って下さい」

 言いながら青年は懐から何かを取り出すと、足元に叩きつける。薄白色の煙が瞬間的に低い位置で渦巻き、霧散した。青年自信も、少女を抱えて、東方面を示しながら走り出した。


「今の煙は?」

「支給品の臭い消しです」


 獣人や獣血人の中には、鋭い嗅覚の持ち主も少なくないはずだ。臭い消しは西方の備品として一般的に流通しているのかもしれない。


「――なるほど」

 青は東へ退避しながらも、後で調合を教えてもらおうなどと、暢気に考えているのであった。



 雑木林を突き進むと水辺へ出た。


 小さな湖沿いに迂回した先に切り立った崖が壁のように立ち塞がっているが、西側から見て死角となっている横穴が広がって、一同は岩陰に身を隠した。


「水は音と匂いを消します。奥も繋がっているのでいざとなれば向こう側に逃げる事も可能です」

 ずいぶんと手際の良い青年の言葉通り、背後から追手が近づく様子は無い。首尾よく撒けたようだ。


「キレイ~…」

 あさぎは無邪気に、湖面とその向こう側に広がる、積雪残る峰々を眺めて感嘆している。天陽が北西地域は「森と湖の国々」と表現した通りの、絵画のような美景だ。湖面はまるで鏡のように晴天と青峰の景色を映している。


「旅の神獣人様とお仲間の皆様、菫(すみれ)をお助け下さり感謝いたします」

 誘導を終えた青年――雉島が、深々と一礼。菫と呼ばれた少女も倣い、雉島の隣で慌てて頭を下げる。


「礼を言われるには及ばない」

 キョウは短く答える。成り行きであった事は否めないのだ。


 そして凪一同の間ではすでに、キョウが神獣人と勘違いされている状況に口を噤む事で、暗黙の了解が生まれていた。そのままで通した方が、何かと都合が良さそうだ。


「それにしても」

 キョウの視線が、雉島が身に着ける装束を見やる。


「その娘(こ)を追っていたのは、この国の役人か官吏のようだが」

 暗に、雉島もその仲間ではないのかと、キョウは問うた。


「…仰る通りです」

 目前に広がる湖面のようなキョウの瞳に見据えられ、雉島は背をただす。


「私は白兎邦(はくとほう)の警吏隊に所属している、雉島と申します。ここからさらに北にあります、御渡村(おわたりむら)の出の者です」


 菫と同郷という訳だ。


 雉島によれば、警吏隊は白兎ノ國の公の治安維持機関に属する武力部隊であり、菫を追っていたのも同様に警吏隊の面々であるという。


 制服の色は階級や責務によって分けられており、菫を追っていた面々が身に着けていた、えんじ色と黒の組み合わせは、位もしくは国にとって重要度の高い責務を負っている役職の人間が身に着けるものだという。


「その娘の姉妹の嫁入が、それほど騒ぎになる事なのか?」

 キョウの問いを受け、雉島の瞳が揺れる。


「「嫁入り」とは…いわゆる「生贄」のことです」

「…やはり…」


 凪の面々が神妙に黙り込む重苦しい空気の中「姉さま……」と菫のか細い声が震えた。雉島の腰にしがみつく小さな手が、強く握りしめられる。


「その子が言っていましたが、隣の国の「山の妖怪」とは?」

 青が尋ねる。

 覆面でほぼ素顔を隠した青に微量の戸惑いを抱きつつも、雉島は平静に応えた。


「遥か昔、ここら一帯は氷雪に覆われた不毛の地で、人間はおろか植物や虫でさえも生きられなかったと伝わっています。各地で人々は天変地異を起こす力を持つ妖怪や邪神獣らへ贄を差し出し続ける事で、苛烈な気候を鎮めて来たのです」


 その結果が、今、目前に広がる美しく長閑な森と湖の光景なのだ。生け贄を切らせば、たちまちに北西の地域一帯は雪と氷に閉ざされてしまうだろうと恐れられている。


「菫が言う「山の妖怪」は隣国の牡丹の邦の霊山に棲まう、氷の邪神獣…菫の姉の百合は、その生贄になる事が決まったのです」

「隣国の…」


 凪一同の当初の予測は的中した。

 が、肝心な疑問も再浮上する。


「なぜ他国の生贄に、白兎の國が民を差し出す必要が?」

「我が国ながら、あまりに恥ずかしき事ですが…それが白兎邦の国策なのです」


 雉島の眉間に、憂国の深い影が刻まれた。


「白兎邦内はじめ、牡丹の邦ら北部周辺の国々を含む北部地方一帯の邪神獣や妖怪を鎮めるための生け贄が、我が国から「提供」されているのです」

「国が主導して民を差し出しているのか…!」


 端正な目許を僅かに歪ませたキョウが、ふと傍らの青に視線を寄こす。やり場の無い感情の揺れを、逃そうとしている様子が伝わった。


 キョウが仁義や人道に反する行いを強く憎む傾向にある事を、青は知っている。


「酷い! 他の国から弱みでも握られたり、脅されてるんですか??」

「あさぎちゃん…!」

「だって絶対におかしいもの!」


 我慢しきれず気持ちを吐露したあさぎを、アキが諫める。


「そんな妖、倒してやればいいのに」

「!」


 憤慨したあさぎが漏らした言葉に反応したのは、菫だった。しがみついていた雉島の裾を振り払うように離し、再びキョウたちの前で膝を折った。


「どうかお願いします…! 山の妖怪を退治して下さい、姉さまを助けて下さい!」

「菫!」


 慌てて雉島が止めに入る。

 キョウの背後であさぎが「しまった」と両手で口を塞いだ。


「そんな大それたお願いをするもんじゃない」

 うずくまって懇願する菫の肩を雉島が抱き起こそうとするも、幾度と手を振り払われてしまう。


「でも、神獣人様はとてもお強くて、だから偉いお方たちなんだって、みんなそう言ってるのに、姉さまを助けていただけないの??」


 地団駄を踏む子どものように、感情が高ぶり取り乱しはじめている菫を、雉島が懸命に宥めている。


「百合は俺が助ける。必ず連れ出してやるから」

「でも…」


「……」

 二人のやりとりを静謐な面持ちで見つめていたキョウの瞳が、細められた。


「生贄が送り出されるのは、いつになる?」

 キョウの声は低く、静かだった。


 菫が弾かれるように涙にまみれた顔を上げる。遅れて、雉島も恐る恐るといったぎこちなさで、キョウを見上げた。


「次の秋祭の日ですので、神無月の中頃に…」

 雉島が答えた。

 今日明日のことではなく、若干の猶予がある。


「……二師」

「!? はい」


 唐突に呼ばれて青も振り向くと、そこには正面を見据える美しく静かな横顔がある。


「俺に考えがあるのですが、ぜひ貴方の知恵を借りたい」

 湖から流れ来る柔らかな風を受けた銀髪が揺れ、湖水と同じ碧色の瞳が、青を振り向いた。


「力になって欲しい」

 いつになく率直な物言いでの懇願。


 青に迷う理由は無い。


「もちろんです」

 簡潔な即答に、キョウは柔らかく微笑んだ。


「ありがとう。心強い」

 大月青でいる時にだけ見た表情、そして言葉選び。


「……」

 最近、覆面で顔を隠している状態がもどかしく感じる。


 青は無意識に、頬を覆う布地を指先で搔いていた。

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