ep. 39 鬼隠し(1)

「こらーー!」

「?」

 若い女の怒鳴り声に、あさぎは箸を止めた。


 街道沿いの小さな茶屋から幼い少年が駆け出したところを、母親らしき若い女も飛び出して、少年の襟首を掴んで捕獲。


「勝手に店の饅頭を食べるんじゃないよ!」

 どうやら茶屋の子どもらしい。「何度言ったら分かるの!」と叱られている様子から、常習犯のようだ。


「わかるー。あれくらいの年の頃っていっつもお腹が空くのよね」

「私もお台所に忍び込んでフキによくつまみ出されたっけ」


 茶屋の斜向かいに並んだ長椅子の一つに腰掛けている東雲中士ことアキと、あさぎは、平和な母子のドタバタ劇を眺めていた。


 二人がいる場所は、翡翠ノ國より北西に位置する白兎(はくと)ノ國。翡翠と同規模程度の小国で、国土の多くを森が占めている。


 数日前に翡翠を出発し、くりんの里を目指す凪の一行は休息と情報収集を兼ねて、店が軒を連ねる街道にやってきた。


 男性陣が買い出しや散策をしている間、女子二人組は街道沿いの食堂の軒先で、往来を観察しながら昼食をとっていたところだ。


「騒がしくてごめんなさいね」

 旅装束の女子二人の視線に気づいて、母親は苦笑いで会釈を向ける。襟首を掴まれて「はなせー」を連呼し暴れる少年を、ものともしていない逞しさだ。


「いいえ〜」

「お母さんの言うこと聞かなきゃダメだよ〜」

 あさぎとアキが、気さくに母子へ手を振る。


 この日、あさぎとアキは凪法軍の支給服ではなく、西方の服飾に倣った旅姿だ。端から見れば若い姉妹の旅商人とも見える。


「いい子にしとらんと、鬼に攫われるよ、鬼隠しに遭ってもお母ちゃんは知らんからね!」

 西方でよく耳にする、しつけの常套句が母親の口から飛び出す。


「鬼こわくないもん!」

 少年も負けじと言い返した。体をよじって、首根っこを掴む母親の手から逃れた。


「鬼は妖怪や悪者をやっつけるんだぜ! おれも鬼の戦士さまになるんだ!」

「バカな事を言ってないで、食べちゃった饅頭分だけお手伝いしなさい!」

「妖怪お手伝い婆めー!」


 小枝を拾い上げて剣のように振り回して抵抗するものの、少年は再び母親に首根っこを掴まれて店の中へと引きずられていった。


「誰が妖怪婆だって!?」

 母子の喧嘩が店の奥へと遠ざかる。


「お手伝い婆だって〜」

「こっち(西)だと、鬼隠しって言うのね。あまり効いてないみたいだけど」


 微笑ましい光景にひとしきり笑って、食事を再開しようと腕を持ち上げかけた時、


「おい、そこの嬢ちゃんたち」

 胴間声が近づいてきた。


 周囲の往来が小さくざわめく。

 脇道から街道へ姿を現した男が三人、あさぎとアキが腰掛ける長椅子の前へ壁を作るように立ち塞がった。


 横にも縦にも大きい男、小柄だが筋肉質で鼠のような男、中肉中背の無個性な男の三人組。いずれも、柄や材質が異なる着物を縫い合わせたようなちぐはぐな装いで、三人三様に武器を抜き身の状態で背中や腰にぶら下げていた。


「……」

 あさぎとアキは顔を見合わせた。あまりに型にはめたような量産型の「賊」の登場だ。


「美味そうなもん食って、ずいぶんと羽振が良さそうだな」

 悪漢共は二人を囲んで「金と荷物を置いていけ」と、これまた三文芝居のような台詞をのたまう。


「あと姉ちゃんの方はこっちきな」

 大柄な男が、アキの二の腕を掴む。立たせようと力づくで引き上げた勢いで、アキの膝上に乗っていた盆がずり落ちかけた。


「おっとっと」

 隣から咄嗟にあさぎが手を伸ばし、椀と箸ごと盆を片手で受け止め、事なきを得る。

 アキは片腕を掴まれたまま無表情で悪漢の顔を見据えていた。


「怖くて声も出ねぇか、可愛いじゃねぇの」

「ちょっと! お姉ちゃんを離しなさいよ!」

「ガキは興味無ぇ」


 アキの腕から男の手を引き剥がそうとするあさぎを、男の大きな手が押し退けようとする。


 だが、


「…ん?」

 根が張った大木を押したかのような感触に、男は違和を覚える声を漏らした。


「な、お、大人しく引き下が…」

 男の手首を掴むあさぎの小さな手は、びくともしない。それどころか、蛇が獲物を締め上げるように、あさぎの細い指が手首の肉に食い込み、骨が軋み始めた。

 他の二人の男はその様子に気づかない。


「何モタモタしてんだ」

「女と金だけいただいてさっさとずらかるぞ」

「こ、こいつ、このガキが」


 茶屋と食堂が並ぶ街道の一角で、一目でゴロツキと分かる男たちが若い女と少女を取り囲んでいる様子は、否が応でも目立つ。

 だが誰もが巻き込まれたくはないと、距離をとり視線を合わせまいとしていた。


「あ! さっきのお姉ちゃんたちが捕まってる!!」

 さきほどの少年が、茶屋から顔を出して声を上げた。慌てて首根っこを掴む母親の手を振り切り「悪いやつらやっつけるんだ!」と、木の棒を片手に店の軒先から飛び出すも、三歩も行かないうちに前のめりに転んでしまう。


「――んだあのガキ」

 ゴロツキの一人が少年と、少年のもとに駆け寄る若い母親に目をつけ、下卑た薄ら笑いを浮かべた。

 追加の獲物を見つけたとばかりに、腰の刀を抜いて母子のもとへ歩を進める。


 その直後の事。


 空気を裂く音、金属同士がぶつかる音、

「へ」

 そして間の抜けた男の声が連続した。


 男の手に握られていたはずの刀が、消えていた。

 正確には数歩離れた地面に突き刺さっている。


「え、あれ?」

 空になった手と、地に突き刺さった刀を何度も交互に見比べて困惑する男の背後でも「う?」「お??」と残る二人の困惑する声が連鎖した。


 いずれも腰や背中に差していたはずの鉈や刀が、体から離れて脇に落ちているのだ。


「一体どうなって…」

 何が起きているのか。

 武器を失い無力化されたゴロツキ達は、状況が理解できずに視線を右往左往に泳がせた。


 そんな中、不意に往来が再びざわめく。


「連れに何の用だ」

 ゴロツキたちの背後から新たな声が、現れた。


 その場にいる全員の視線が集まる先に、長身の青年の姿。

 西方洋式の服飾を取り入れた装いの、キョウだ。


 濃紺生地の襟や袖に、翡翠特有の碧緑の幾何学模様の刺繍が施されている。


「きょ……」

 峡谷上士、と思わず呼びかけて、アキもあさぎも片手で口許を塞いだ。ここでは凪での名と職位を口にする事は避けようと、取り決めているのだ。


 街道を吹き抜ける風が、キョウの銀狼のような頭髪をなびかせる。色素の薄い髪、瞳、肌色に装束の濃紺がよく映えた。


 その姿に、ゴロツキたちはおろか、往来も俄かにざわめく。


「し、神獣人(しんじゅうびと)様…!」


 往来のどこかから上がった誰かの声に、一層ざわめきが強くなる。ゴロツキたちの顔色も変わった。

「ちっ…、お高くとまりやがって!」

 武器を捨てたまま、慌ててアキやあさぎから離れ、転がるように街道脇から裏道へ逃げて行った。

 一連の挙動が全て、三文芝居の定型だ。


「何もしてないんだけどな」

 慌ただしく逃げ帰る三人の背中を見送って、キョウは身につけた装束の襟をつまむ。


 西方の国々を廻る、翡翠の商人たちの助言を受けて選んだ物が正解だったようだ。

 相手が勝手に神獣人と勘違いをしてくれるおかげで、事なきを得る状況が多い。


 凪では少し居心地の悪かった容姿が、西方では有利に働く。


「神獣人さま!」

 元気な少年の声が、キョウの足元に駆け寄った。その後からまた母親が「こら!」と手を伸ばす。膝をついた姿勢で後ろから少年を抱き込んで、キョウの前で深々と頭を下げた。


「あのお姉ちゃんたちを助けようとしてくれたんだよな、ありがとう」

「!」


 キョウに褒められて、少年は破顔する。その手にはまだ、小枝がしっかりと握られていた。


「お母ちゃんの言う事は、ちゃんと聞けよ」

 最後に少年へ笑顔を見せて、キョウは道端に刺さった刀の元へ。

 見ると、刃の鋒に苦無の柄が嵌った状態で土に突き立っていた。


「……」

 刀と苦無を拾い上げて振り向く。


 アキとあさぎも、ゴロツキの残り二人が捨て去った武器と、苦無をそれぞれ拾っている。いずれも柄巻に苦無の刃先が突き立っていた。


 投擲した苦無で三人のゴロツキ共の武器を叩き落とし、無力化する。

 驚異的な命中精度だ。


「あそこからか…凄いな」

 視界の端で何かが動いた。

 キョウが視線だけで見やると、街道沿いに軒を連ねる古びた木造の店々、そのうちの一つの屋根から裏へ飛び降りたと思わしき影があった。


「すみません、お騒がせしました」

「いいや、これもある意味「情報収集」だ」


 駆け寄るアキとあさぎへ「あっちで合流しよう」と裏路地側へ目配せし、キョウは踵を返す。


「お姉ちゃんたち、またなー!」

「お母さんのこと、守ってあげるんだよ~!」

 立ち去るキョウたちの背中へ手を振る少年へ、あさぎは笑顔で両手を振り返した。

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