ep. 38 訪問者(1)
翡翠より北西に位置する不可侵の中立地帯、くりんの里。
諜報部・東雲准士の提案により、翡翠からくりんの里への経路開拓隊が編成される事となった。
「今日は別の任務に出向いていて不在だが、面子に俺の姪っ子、チョウトクの東雲暁(しののめ・あき)を加えて欲しい」
「姪っ子ちゃんもチョウトクかい」
と猪牙。
「東雲家は代々、チョウトクに身を捧げてきたんでね。西方任務で行方不明になったオレの兄貴、向陽も」
「………」
瞬間、青、キョウ、檜前の視線がかち合う。
運命が許せば、また出会える。
東雲向陽ことコウの意志を尊重し、この場で三人は暗黙のうちに口をつぐんだ。
「姪っ子だからって訳じゃない。暁は、くりんの里にたどり着いた経験がある。役に立つはずだ」
「ほう。なかなかやるな、姪っ子ちゃん」
「昔、オレが片腕吹っ飛ばして死にかけた時に、くりんの里の者に助けられてな。距離的には遠回りになるが、獅子國から北を経由した方が移動しやすいって話していたのを覚えてたみたいで」
天陽と猪牙の会話を聴きながら、青は東雲中士を拾った夜の事を思い出していた。
「姪御さん、もしや翡翠付近にある隠れ里にも立ち寄ったと仰っていませんでしたか」
「ああ、その通り。他にも世話になった場所がいくつかあったみたいで」
「姪っ子ちゃん、安全な場所を見つける嗅覚でもあんのかもしれねぇな」
ガハハ、と豪快に猪牙は笑う。
「あと…この子も」
と、天陽が次に推薦したのは、あさぎだった。
「!」
輪の外側で大人しく立っていた少女の目が、途端に爛々とする。
「年齢で判断するわけじゃねぇが、大丈夫か?」
猪牙の疑念に、天陽は深く頷いた。
「任務の経験は浅いが、今回の旅路には必要になるはずだ」
「何か理由が?」
「瘴気だ」
天陽が再び、地図を指し示す。
「くりんの里は普段、瘴気の霧や川で囲まれていてな。これは推測でしか無いが…里に迎え入れても良いと判断されなければ近づく事もできないんだ」
「里へ入る条件は?」
「思い当たるとすれば……オレは瀕死だったし、姪っ子も一人で途方に暮れた状態だったんで…弱ってるとか困ってる奴って事なのか」
「それで、なぜその子が必要に?」
キョウの問いかけに、
「はい、ワタクシから説明いたします!」
あさぎが右手を勢いよく挙手し、一歩前へ進み出る。まるで学校の授業ではりきる子どものように。
場の視線が向くや否や、あさぎは腰に差した小刀を抜くと自らの左腕に突き立てた。
「え!?」
「!?」
「お、おい!」
前腕部に半分沈んだ刃を引き抜くと小さな血飛沫が飛んで、あさぎの頬を汚す。
「な、何やってんだ馬鹿!!」
狼狽した声を上げよぎりが駆け寄り、あさぎの二の腕を掴んだ。
「大丈夫、見て」
得意げな面持ちで、あさぎは取り出した手拭いで紅く濡れた前腕をおざなりに拭き取る。
「え……」
よぎりが瞳を見開く。今この場で初めて目の当たりにしたのか、片側が茶、もう片側が色素が薄い銀の瞳が、動揺に揺れていた。
青の予想通り、穴が空いているはずのあさぎの前腕部には、猫に引っ掻かれた程度の小さな傷しかなく、それも面々が見守る前で、時間を巻き戻すように消えていった。
「凄ぇな、ここまでのは初めて見る」
「特異体質か」
「はい!」
あさぎは、すっかり綺麗に完治した腕を、猪牙とキョウの両名の正面に掲げる。
「この通りの脅威の治癒力、妖瘴も無害化、そしてそして! 耐毒訓練の「特」まで一週間で完了しましたが、この通り後遺症もなく元気です!」
商人の売り文句のようなあさぎの自己紹介に、ホタルが「くくっ」と笑いを噛み殺す。
法軍の耐毒訓練は微弱な毒から徐々に体に慣れさせ、軍医監修のもと体質に応じて個人の限界値が設定される。
そのため最上位の「特」に挑む事を許可される人数はごく限られており、更に毒性への適応に数ヶ月から年単位を要するのが一般的である。
「一週間でか?! 峡谷お前、特はどれくらいだっけか?」
「俺は一ヶ月かかりました」
顔を見合わせる二人の上士。
「その子が言ってる事は本当だ。オレが立ち会った。諜報部として保証する」
天陽の助太刀にあさぎは「うんうん」と大きく頷いた。
訓練結果は記録を調べればすぐに分かる事だ。嘘を吐いたところで意味は無い。
「やはり諜報部は知ってたのか……」
覆面の下で、青は聞こえない独り言を呟いた。
青の予想通り、諜報部はあさぎの体質を見抜いた上で引き抜いていたのだ。
「……あさぎ、お前……」
どこかで思い当たる節があったのか、双子の兄は幾分か困惑が残った顔色で、だが平静に妹の横顔を見つめている。
「疑ってる訳じゃないよ。よくわかった、君にはぜひ――」
あさぎを一瞥したのち、キョウは天陽へその水面色の瞳を向ける。次に口を開きかけたところへ、
「ま、待って下さい!」
遮るように、青がキョウの前に出る。
「麒麟が護る里の瘴気の毒性は未知数。そんなところに、特殊体質といえど体も未発達で経験の浅い若手を投じる事には反対です」
それに、と青は言葉を続けながら、あさぎの面持ちを覗き込んだ。
「汗ばんで顔も紅潮し心拍も乱れている。治癒力が高くとも痛覚はあるのです。耐毒訓練だって期間が短かった分、苦痛は大きかったに違いない」
「………」
ぽかんと、あさぎは小さな口を半開きにして青を見つめた。
同じような事を、かつて「大月保健士」にも言われた事がある。
「わ、私は大丈夫です、痛みには強いんです!」
あさぎの手が、縋るように青の外套の裾を掴んだ。
「それは強いのではない、慣れて麻痺しているだけだ」
「何がダメなんですか?!」
反論する青の語尾に喰らいつくように、あさぎは更に青に詰め寄った。
「あ、あさちゃん!」
「あさぎ…失礼だぞ!」
天陽とよぎりが慌ててあさぎの両脇に駆け寄るが、あさぎは引こうとしない。
「疑うなら、耐毒訓練の特よりも強い毒で、試してみてください!」
「そういう事ではなく……」
圧に押されて青は上背を引く。毒を使ってくれと請われるなんて初めてだ。無意識に助けを求めるようにキョウへ視線をやると、
「二師の仰る事は、ごもっともです」
整った顔が静かに頷く。
だが続く言葉は「でも」だった。
「良いじゃないですか。日野「下士」は、自らの特性を活かそうとしている。それに、痛覚があるにもかかわらず彼女は微塵の迷いもなく己に刃を突き立てた。その覚悟は評価に値すると思いませんか」
青を見据えるキョウの瞳が、光を受けて薄氷色に耀う。
「峡谷上士……」
あさぎが学生の身分であれば、キョウの判断は違っていたのかもしれない。
あえて「下士」を強調した彼の意図が、青にも理解できた。
あさぎの体質が、未知領域の探索において有効活用できる事も。
「……では、私も日野下士と同隊に加えて下さい」
それでも青はあさぎに、安易に身を削る癖をつけさせたくはなかった。
「元より、そのようにお願いするつもりでした」
キョウの形の美しい瞳が、細められる。
「ありがとうございます! 頑張ります!」
同行が叶うと知ってあさぎは手放しで喜び、天陽はキョウと青へ交互に「我儘を聞いていただき感謝します」と頭を下げて場を宥めていた。
「ただし私が同行するからには」
青は覆面の下で低く、静かに、溜め息のような声を発した。
「毒や瘴気への対応について、私の指示に従ってもらいます」
精一杯の戒めの色を含ませて。
青の反発が意外だったのか、場に静寂がよぎる。
「ええ、もちろんです。頼りにしています、二師」
その中でキョウは変わらず、満足げな微笑をたたえていた。
「……」
視線から逃れるように、青はキョウの面持ちから顔を逸らして、目を伏せた。
外套の裾に見え隠れする己の手甲、そこに佇む獅子を見やり、つい強い論調で反駁(はんばく)してしまった己を省みる。
誰の尊厳や道理を傷つける事なく場を収めてみせたキョウと、平身低頭な姿勢の天陽の穏健さに救われたが、己の信条に反する事態への強い反発心を抑えきる事ができなかった。
これが高位技能師の驕りなのか、専門家としての責任感なのか、今の青には分からなかった。
「張り切るのは結構だが、専門家センセイの言う事はよ~く聞くんだぞ。んじゃ、続けよか」
最後に猪牙が粗く、だが的確にまとめて、議事が再開した。
議題は引き続き、くりんの里へ向かう経路および、隊の編成だ。
「北周りで里を目指す場合は、冬季は避けた方がいい。だがそれ以外の気候は穏やかだし、大小の湖や川がまたぎはするものの剣祖な山岳や渓谷地帯は少ない。不毛地帯もなく、森と水に恵まれた国々が多い」
翡翠から直線で西進する場合、砂漠化した広大な不毛地帯と草原を横断する必要があり、越境する国の数は少ないものの過酷な自然環境が待ち受けている。
南周りは活火山群や亜熱帯の広大な森が連なっており、その気候環境故に巨大化した爬虫類や昆虫類が多く生息しているという。
「なるほど。だから北西側に国の数が偏っているように見えるのか」
地図を眺め、キョウがつぶやく。
「そういえば檜前、雲類鷲、お前らはどこを通って凪まで来たんだ?」
「こうして地図を改めて見ると、我々も北へ迂回したようです。砂漠地帯を通った記憶は無いので、おそらくこの辺りを」
猪牙に呼ばれ、雲類鷲が地図を指し示す。
獅子國を旅立ち、緩やかに北へ迂回しながら翡翠を掠めて露流河を越えていく。惣太のように機動力の無い子どももいたために、雲類鷲の俯瞰の目を頼りに、なるべく安全性の高そうな地形を選び蛇行しながら進んだという。
「北を経由するよう、誰かに助言されたのか?」
「いいえ。ただ、南に行けば火の山が聳えていて炎の蜥蜴や人食い龍がいるだとか、東へまっすぐ進めば死の大地や草原や谷が続いて、狂暴な狼属が群れをなしていて侵入者は嬲り殺しにされるだとか、色々と物語や噂では聞いていましたので」
幼い頃に耳にして刷り込まれていた御伽話の強い記憶から、消去法でおのずと北経由をとったという訳だ。
「なるほど」
キョウが腰を屈めて机上の地図へ顔を近づける。
西方の南側は情報が少ないようで、火山と思わしき朱色に塗られた峻険な山々や、地獄の釜のような地形が描かれているものの、他地方と比べて地名等の情報が少ない。
「こうして眺めてみると、北周りの経路を描くように小さい国々が並んでいるように見える」
「獣道じゃないが、大昔から歴史的に人の移動に適した経路だったんだろうな」
天陽の西方歴史講座によると、獅子國から見て南東、真東に比べて、北東の国々の多くがかつて宗国獅子國の支配や干渉を受けていた歴史の記録が多いという。
「……なぜここに里を拓いたのか…」
同じように地図を見下ろしていた青の呟きに、一同が視線を向け、キョウも顔を上げた。
「なぜ、と言いますと?」
「あ…いえ、すみません。独り言で」
声が漏れていた自覚が無かった青は、思わず片手を口元に当てる。
「良ければ、聞かせて下さい」
「いいえ…まったく他愛のない事です」
苦笑と共に逃れようとするが、
「二師の考えに、興味があります」
直線的な氷色の視線に縫い留められた。
「………」
大人げなく抗弁を垂れた手前、本日はもう大人しくしていようと思った矢先だ。
「妄想、戯言と思って聞いて下さい」
諦めたように息を吐ききってから、
「この場所に麒麟が隠れ里を拓いた理由を、考えていました」
と、青は地図へ指を添えた。
「獅子國からの逃走者や、周辺国の弱者の保護では」
キョウの水面色の瞳が一度、地図と青の横顔を往復した。
猪牙ら、周囲の面々からも反論はない。外周で双子がまた何やら耳打ちしている。
「ええ。もちろんそれも理由としてあると思いますが、さきほど東雲准士の仰った「獣道」でふと思いついて。なぜこの位置、場所なのだろうかと」
「位置が?」
青の指が、くりんの里があるとされる場所を中心に、ゆっくりと渦を巻くように円を描く。
「里を護る瘴気の範囲がどれほどかは分かりませんが、里が道を塞ぐように位置しているようにも見えるな、と」
「道を、塞ぐ…」
次に青の指は、東側から里へ向けて滑る。
「東方から獅子國方面への侵入者を防ぐためか」
続いて今度は、獅子國側から里へ向けて滑る。
「もしくはその逆か。前者であればもっと東南側の地域を選んだ方が効率が良い。だからなぜ「ここ」なのか。獅子國方面から東への流れを止めるため、の方が説明がしやすい位置に思えたのです」
「だとしたら、くりんの里へ足を踏み入れたオレや姪が凪へ帰還できたのは、運が良かったのか…?」
と天陽が厚い肩を震わせる。
推測にはなりますが、と前置きして青は応える。
「可能性としては「余所者」であれば去る者は追わず…なのかもしれません」
しろたえの里が、そうであったように。
「檜前、雲類鷲准士ら獅子國を脱出した子どもたちは、くりんの里を経由していないので何とも言えませんが」
「……」
そこで檜前と雲類鷲は顔を見合わせる。
「ならこの里は、何をせき止めようとしていたのか」
まるで一同が物語に耳を傾けているかのように、議場に青の声だけが静かに響く。
そんな時だった。
「取り込み中のところ、失礼する」
静かに扉を開けて、議場に足を踏み入れた新たな人物がいた。
「一色か、どうした?」
猪牙がその名を呼ぶ。
翡翠の陣守村の管理責任者である、一色上士だった。
青もシユウとして何度か任務で顔を合わせたが、西方進出以降ぶりの再会だ。
「会ってほしい客人がいる」
「客人?」
翡翠に陣守村を開いてからというもの、村への訪問者は日に日に増加している。
住処の無い流れ者、村に保護を求める貧しい者、村で商売を始めようという者、凪の人間と繋がりを作り凪との交易で一旗揚げようとする者など、それぞれ村にあやかろうという人間が翡翠内外から集まって来ているという。
そうした人々の対応を行い、さばくのも、村の管理責任者たる一色および楠野の重要な職務の一つだ。
「急を要する用件なのですか?」
「凪の長にお目通り願いたいという、某国の使者が訪ねてきている」
議事を止めてでも優先するべき客人の訪問が、凪に一つの大きな選択を迫る事になる。
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