ep. 38 訪問者(2)

 猪牙とキョウの上士二人が呼ばれて部屋を出ていってから間もなく、


「二師、ちょっと」

「え、はい」


 キョウのみが戻ってきた。半分ほど開いた引き戸の向こう、内廊下側から青へ小さく手招きしている。議事が中断となり待機する面々が見送る中、青はキョウと共に廊下へ出た。


 導かれるまま廊下奥の、陣守村管理責任者の執務室へ入ると、部屋の片側に設けられた応接の間に、一色、楠野、猪牙の上士三名、そして室内の奥側に見慣れぬ装束を身にまとった人物が三人、用意された座布団に座していた。


 三角形を描くように先頭に、広大な草原を思わせる蒼色の装束を纏った壮年の男。夏の濃緑を彷彿とさせる深い碧の瞳、通った鼻筋、弾き結ばれた口元とで、総じて整った顔立ちである事が最初の印象として飛び込んでくる。


 位が高い証なのか、背後に従える二人の屈強な体躯の男と女の武装と異なり、光を受けて煌めく糸で刺繍が施された帽子を被り、上衣の袖、襟、胸元にも揃いの刺繍で縁取りが施されていた。


 だが青の目に留まったのは、裾に走る不自然な裂け目。

「…お怪我を?」

 見れば三人が三様それぞれに、衣服に破れが見られた。

 護衛と見られる男女に至っては、衣服の上から血止めと思わしいサラシが雑に巻かれていて、薄紅が滲んでいる。


「恥ずかしながら、道中で賊に不意を突かれてしまい」

 先頭の男が頷く。

「賊? ともかく、まずは傷を診ましょう」


 失礼、と青は先頭の男の正面に膝をついて袖が破れている片腕をとった。


「彼は我が国における高位の技術師で、薬学に精通している者です」

 来訪者三人の、覆面姿の青を見やる視線に微量の訝しさを読み取ったキョウが、青の身分を説明する。

 あえて「毒術」という言葉を避けたのは、異国の来訪者への気遣いだろう。


「そうですか、それは心強い。我々はここ翡翠邦(ほう)より真西に位置する、蒼い狼と書きまして「あおがみ」の邦(くに)から参りました」


 青が頭を下げるより前に、男の方から会釈が手向けられた。青も返礼して顔を上げると、男の面持ちに微笑が乗る。いかにもこうした外交の場に慣れている様子が窺えた。


「蒼狼…」

 蒼狼ノ國。

 奇しくも先ほど中断した会議にて何度か名前が挙がった。


 過酷な地理条件が続く真西の経路の途中に位置する、古國だ。男はやはり高官で、蒼狼の長からの書を携えて翡翠の陣守村へとやって来たと言う。


「しかし災難な事でした。他にお仲間は?」

 一色上士が高官へ話しかけている間、青は黙々と三人の傷の手当を行った。

 幸い誰も毒に侵された様子はなく、傷の程度もいずれも軽傷の範囲だ。持参していた傷薬や薬符を用いて応急処置を施す。


「我々、三人のみで参りました」

「たった三人で??」


 高官の答えに猪牙の語尾が裏返った。翡翠から蒼狼ノ國までは、凪と翡翠間と同程度もしくはそれ以上の距離があるはずだ。しかも地理や気象条件も格段に厳しい。


「よくそんな少人数で…」

 感心した様子の一色上士の反応に、高官の男は静かに微笑む。

「仰々しく大所帯で押しかけてはお騒がせしてしまいましょう。それに私も少々、腕に覚えがございます故――と、このような有様では格好がつきませんな」


 高官の男はこなれた振る舞いで眉を僅かに下げた。

 この男が神獣人であろう事は、この場にいる凪の面々には容易に推測できる。


 高い知能、力、国の支配層の一端を担う高位者。そして、印象的な瞳の色に、整った容姿。


「包帯を、外しても?」

 高官の男の手当を終えた青は、次に背後に控える護衛の片方の側へ歩み寄った。


 腕に応急的に巻かれたであろう白布に血が滲んでいる。檜前准士ほどはあろうかという恵体の男は無言で頷いた。高官から、余計な口をきくなと言いつけられているのであろう。まっすぐ前方を見据えたまま、青が腕に触れている間も微動だにしなかった。


「……」


 白布を外していくと、小さな木の葉や木の実が布地の間から零れ落ちた。案の定、傷口周辺は汚れたままだ。


 青は腰に下げていた水筒の清水で懐紙を濡らし、傷口周辺を清めていく。露わになった傷口は複数あり、人工的な刃によるものと、獣の爪らしきものが混在していた。


「処置は終えました。私はこれにて」

 三人分の一通りの治療を終え、青は最後に零れ落ちた木の実や木の葉を手早く拾い上げて、立ち上がる。


「ご丁寧に。感謝いたします」

 高官の男の目礼に合わせて、護衛二人も青に会釈を向ける。キョウの労いを背中で受けながら、青は執務室を後にした。



 会議が行われていた広間に青が戻ると、天陽、ホタル、檜前と雲類鷲、双子らが好奇心を抑えきれない様子で待ち構えていた。


「賊に襲われたって? たった三人なら無理も無いか」


 天陽も上士らと動揺の反応を示す。


「傷の状態やサラシに付着していた植物を見る限り、村の周辺、そう遠くない場所で襲撃を受けた様子でした」


 手のひら上の木の実や葉を眺め、何気なく青が口にした言葉に、首を傾げたのは獣血人の二人だった。


「しかし村および周辺地域は凪の駐屯隊がかなり注意深く警邏(けいら)しているはずです」

「最近では妖はおろか小悪党すらも目撃されていなかったのですが…、他国の要人が襲われたとあっては、警備強化が必要ですね。後ほど、報告を上げておきます」


「……」

 奇妙な違和感が、青の脳裏をよぎった。


 自ら腕に覚えがあると話していた男――神獣人であると仮定する――と、その護衛たちが、不意をつかれたといえど、はたして村周辺の山賊程度に傷を負わされ手負いとなるのか。その状況が不自然に思えた。


「土着の賊ではなく、例えば暗殺者等の追手とか…」

「お客人を狙って、この辺りに潜んでるかもしれないって事か」

「暗殺者だって、よぎり…!」

「うきうきしてんなよ」


 青の呟きに強く反応したのは、諜報部の天陽とあさぎだった。ついでに、あさぎを嗜める、よぎりの声も。


「上士の方々に今すぐ報せるべきでしょうか」

「待って」

 一歩、踏み出たのはホタルだった。白い長衣の裾が音もなく揺れる。


「面会の流れを止めるまでもないわ」

 どこから取り出したのか、手首を一回転させると指先に式符が挟まっていた。


「蛍の名のもとに命ず」


 紅をひいた唇の唱えに応じて、式符が藤色の煙と共に蒸発、煙は瞬く間に小鳥に姿を変えた。


「見廻りよろしくね」


 と主の命を受けた小鳥は、換気のために半開きになっていた窓から外へ飛び立った。

 続けてホタルが指を鳴らすと、一羽、また一羽と、指を鳴らすごとに次々と小鳥が姿を現して、合計十羽ほどの鳥が窓から村内の見廻りへと飛んで行った。


「ひとまずは村の中に潜り込んでいない事が分かれば」


 全開にした格子窓の枠に手をかけて、ホタルは小鳥たちが飛び立った軌跡を眺める。


 作業や職務にあたる凪の駐屯隊員たち、市場に集う商人たち、田畑で農作業をする土着の村民――村で各々の営みに勤しむ人々の間を縫い、頭上を越え、藤色の小鳥たちは飛び回る。


「ホタル先生は、式鳥たちが何を見ているのか、感じる事ができるのよ」

 あさぎが得意げに、よぎりへ解説をしていた。


 高位の式術師ともなると式と感覚を疎通させる事ができ、遠隔操作を可能とすると、青も知識としては知っていた。ホタルはまさに今、十羽もの式鳥を其々に遠隔で操り、情報を受信しているのだ。


「怪しい動きをしている輩は近くにいないようね」

 しばらく窓の外を凝視していたホタルが、ふう、と蝋燭を吹き消すような吐息と共に、室内へ振り返った。


「さすがに村ん中で事を起こすのは分が悪いって事なんだろうな」

「でも、お客さんたちが村を出た途端にグサーって…なりそう?」


 別の窓から、あさぎも外を覗いている。誰に向けるともない独り言だが、その場にいる全員が同様に推測していた。


「村の周辺を見回ってみるか」

 あさぎの背後から窓の外を覗いていた天陽が、踵を返す。


「駐屯隊に報告はどうしましょうか」

 と雲類鷲。

「騒ぎを大きくするのはお客人にとっても本望じゃないだろう」

 凪にとっても、二国目との貴重な外交に水を差すのは、機会損失にも繋がりかねない。


「なに、まずはお得意の偵察だけだ。深追いはしない」

 天陽の提案で、天陽、青、檜前、雲類鷲の四名で手分けをして村の外周を偵察する事となった。


 ホタルと、まだ西の地理に疎い双子はその場に残る。あさぎは置いていかれる事に不満げであったが、天陽の、

「不届きものが村に逃げ込んでくるかもしれないから、しっかり見張っててくれ」

 に、納得したようだ。


「…なるほど」

 二人の師弟のやりとりを肩越しに眺めながら、あさぎのような血気盛んな若手の上手なあしらい方を、一つ学んだ気になった青であった。



 村を出て天陽、檜前、雲類鷲と別れた青は、北西方向に広がる森へ足を踏み入れた。蒼狼の護衛の衣服やサラシに付着していた植物を手がかりに、おおよその方向の見当をつける。


 金品目的の山賊ではなく、蒼狼の使者達を標的にしている輩であるならば、無関係の人間を無暗に急襲してくるとも考えづらい。


 襲撃場所に舞い戻ってくる可能性が皆無とも言えないが、現場で何かしら賊の手がかりが発見できればと考えたのだ。


「確か、この実はこの先に…」

 すでに村周辺の生態系は調査済みである。

 村周辺は翡翠国内でも比較的豊穣な土地とあって、山菜や薬草が豊富に自生していた。


「…!」

 茂みを掻き分け進み、森の鬱蒼さが増して薄暗くなってきた頃、異変が現れた。


 人工的な刃によるものと、獣の爪と思われるものが混在した傷が刻まれた樹々や、鋭利な切断面の枝々、乱雑に踏み荒らされている草が、獣道を描くように転々と続いている。


「あ…」

 木々の奥へ目をこらすと、薄闇の中に鉱石のような光が二つ、瞬いた。


 獣の目だ。


 折り重なる枝が作り出す影の中から、目の持ち主が一歩、また一歩と、草や小枝を踏みながらこちらへ近づいてくる。足音からは、さほど体重を感じられない。


 猪や熊の類ではない、しなやかな体躯の四つ足が、木漏れ日の下に輪郭を現した。


「狼……?」


 陽の光をうけて銀色に輝く毛並みを持った、一頭の狼。威嚇する事もなく、唸り声をあげるでもない。ただ真っすぐに青を見つめ、数歩手前で立ち止まる。


 人を見れば即、逃げるか襲いかかってくる野生種と異なる振る舞いだ。


「…どこから来た?」

 青は狼に話しかける。

 狼は揺らぐことなく、青を見つめている。


「この辺りに棲まう種ではないはずだ」


 瞬間、氷色の瞳が僅かに揺らいだかと思うとススキのような尾毛が逆立ち、四つ足が土を抉る僅かな音の直後、獣の姿が目の前からかき消えた。


「よく見抜いた」

「!」

 耳元で、囁く人の声。


 反射的に青は背後へ強く肩をぶつけて押しやり、反動で振り返りざまに距離をとる。勢いで外套の裾が大きく翻った。黒布の向こうに、人影。狼と同じ、光を受けて銀色に輝く頭髪と、空色の鉱石のような瞳の若い女が、そこにいた。


「さっきの、狼……?」


 状況からそうとしか考えられないが、それよりも青を喫驚させたのは、女の相貌だ。


 かつて、青の幼く淡い記憶に残る「誰か」を彷彿とさせる美貌。絹糸のような長い銀髪が頭部の低い位置で結えられ、まるで陣旗のように風に揺れている。


「貴殿は、東から来た客人か」

「え?」

 女の唐突な問いかけに、青は間の抜けた吐息を漏らした。


「ならば東方国の長に伝えよ」

 女は旅装束にしては軽装な出立ちで、腰に武器を収めているであろう革の鞘を取り付けている。手練れの武人が醸し出す佇まいでありながら、殺気や敵愾心といった負の気が感じられない。


「蒼狼の話に耳を傾けるべからず」

「蒼狼ノ國からの使者の事か…?」

「彼奴らが道を開けば、東方に禍(わざわい)がもたらされよう」

「それはどういう…」


 青の問いには答えず、女はふいと頭上を見上げた。


「その意味を知るものが、東にもいるはずだ」


 一陣の風が吹き抜ける。

 女の長い銀髪が風に煽られたかと思うと、すすきの如き尾に変わり、青の目の前に立つのは再びの銀狼。


「あ…、待っ…!」


 呼び止める間もなく、狼は僅かな跳躍動作の直後、木々の枝葉の狭間へと姿を消した。

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