ep. 37 西の陣守村(1)

 凪では新緑の季節が過ぎて雨季が近づき始めた晩春。翡翠ノ國でも夏に向けて気温が上がりはじめ、多湿となる。


「それでも凪の雨季よりは過ごしやすいかな」


 転送陣を通り、青はシユウとして約一年ぶりに翡翠の地へ降り立った。凪の都の転送陣から転送された瞬間、空気の変化が肌で感じられる。


 正面から吹き付ける風が、青が纏う濡羽色の頭巾外套の裾を翻した。裾の裏地の一部に、浅葱色の絹糸で花弁にも羽にも見える線画の刺繍が施されていて、光の加減によっては金緞子のようにも映る。


「ご到着」

 陣が張られた堂の出入り口からの声。両脇には凪から派遣された警備兵が立っており、青の気配に気づいて堂内を振り返る。


「毒術師・獅子の位、シユウです」

「伺っております。どうぞ」

 差し出した通行証を一瞥しただけで、警備兵は青を堂の外へと通した。


 堂の周辺は柵で囲われており、四隅にも一人ずつ警備兵が配置されている。正面から直線に敷かれた石畳の道の両脇には一定間隔で四阿(あずまや)が置かれて、それぞれで駐屯兵や士官たちが会議や作業に勤しんでいた。


「すごいな……」

 思わず足を止めて周囲を見渡す。


 凪の南の森の陣守村よりも随分と厳重で物々しい。視界に入る駐屯兵の数からも村と表現するよりもさながら「要塞」や「砦」と呼称した方が相応しい印象だ。昨年、青が翡翠国内で見たあらゆる人里や村よりも繁華だ。


「シユウ二師」

 四阿の一つから、青の姿を見つけて歩み寄る人影があった。

 キョウだ。ほぼ一年ぶりの再会。

 大月青としてもキョウとは会っておらず、勉強会も休会中だ。


「峡谷上士、お久しぶりです」

「長らく音沙汰もなく申し訳ありません。指名に応じて下さり感謝致します」

「光栄です。それに、約束ですから」


 青の「約束」の言葉にキョウは水面色の瞳を細めて笑った。

 キョウからシユウに宛てて任務指名が入った、すなわち更なる西方進出の準備が整ったという事だ。


 転送陣の堂を構える敷地を抜けて石畳の遊歩道を進むと、景色は物々しい砦の様相から、青もよく知る陣守村の風景へと変わる。畦道で区切られた田畑が、濃緑の格子縞を描いていた。


「立派な農村ですね」

 物々しかった光景から一変して目前に広がる長閑な景色。


「元は翡翠石の鉱山村として栄えていた場所だったそうですよ」

 感嘆と共に周囲を見渡す青へ、キョウは「あのように」と背後を振り返るよう促した。

「廃坑を利用して堂を構えて、そこに転送陣を敷いているのです」


 説明の通り、堂は岩山の洞穴を利用して建てられており、まるで岩に半分飲み込まれたようにも見える。外部からの侵入を防ぎやすく、防御面で理にかなっていそうだ。


「翡翠石といえば…」

 キョウの視線が、背後の堂から、隣を歩く青の首元付近へ移動した。

「その碧色はもしかして?」


 それは青の左鎖骨付近に装着された外套の襟留。外套の黒い生地に、黒い襟留。一見しただけでは目立たないが、僅かな光を受けて瞳が仄蒼く光る。原石の入手経路を説明するとキョウは「あの時に」と感心したように水面色の目を丸くしていた。


「技能師の同期たちが考えて、作ってくれました。私があまりにも装いに無頓着だからと」


 まさか瞳の色はキョウを参考にしたとも言えるはずもなく、青は小さな苦笑で誤魔化す。


「細工が見事ですね。生きているようだ」

「……嬉しいです」


 戦友の褒め言葉に、青は自然と覆面の下で口元を緩ませた。


 この一年の近況を互いに話しながら、二人は転送陣の堂を背に農村の畦道をさらにまっすぐ突っ切った。

 その先に、凪の駐屯用の兵舎がある。

 かつて鉱夫らの宿泊施設であった建造物を改装したものだという。


 石材を土台に、柱や窓や壁は凪の木造建築洋式を取り入れて風通しを良くした作りで、現地の村民に威圧感を与えないよう、警備配置にも配慮しているとのこと。


「こちらへ」


 案内されて通されたのは兵舎一階の廊下奥、会議や応接に用いられる広間だった。正面側は一面の窓で、片側の壁は書棚で覆われ、その対面側の壁には凪之国の紋章が描かれた壁かけが飾られている。


「あ……」

 室内にいる面々の中に幾人か見知った顔があった。


「よう!」

 一際よく響く声と共に破顔して手を振っているのは、猪牙貫路上士だった。


「猪牙隊長…!」

 翡翠への扉を開いた第一陣の隊長だ。一年ぶりの再会が翡翠の陣守村である事が感慨深い。再会を祝す挨拶を一通り終えたところで、青は視線をキョウの背後で控えめに立つ人影へ向けた。


 まだ細身な体躯の十代と思わしき少年だ。

 青の視線に気づいて、キョウが青と背後の少年へ交互に目配せする。


「紹介します。日野君、こっちに」

 日野家の双子の兄がそこにいた。


 四年前に大月青として会った時以来の再会、今は十四才になっているはずだ。成長期真っ只中らしく身長が伸び、手足も長い。


「日野よぎりと申します。お初にお目にかかります」

 キョウに呼ばれて青の正面に歩み寄り、深々と一礼する。年齢に似合わない堅苦しさが、日野家の党首の無骨さと似てきている気がする。


「毒術師、獅子の位、シユウです。こちらこそ、よろしく」

「……」


 青が軽く会釈を向けると、よぎりの生真面目そうな目元に微量の困惑が浮かんだ。高位者に似合わない青の柔らかい物腰に驚いているものと思われる。よくある事だ。


 同期会で要に「下位に対して丁寧すぎる言葉遣いをしないの。ペコペコするのもダメ!」と叱られたので、これでも敬語の割合を減らし、努めて頭を下げすぎないよう制御しているつもりだ。


 挨拶がぎこちなくはなかった無かっただろうかと密かに心拍数を上げながら、青は傍のキョウを見やる。


「俺が彼の指南役をしていた縁もあって。良い経験になるかと思い呼んだんです。若いですが実力は保証します」


 キョウはよぎりの肩に手を添えて頷いた。青の視線の意味を「心配」と受け取ったようだ。


 幼くして下士となり、十四歳の現在は中士に任じられている時点で、よぎりの優秀さは十分に窺い知れる。


「…そうですか」

 知っていますとも言えず、一瞬迷って青は最低限の文字数で応じた。


 随分と感じの悪い応答をしてしまったと内心でまた心拍数を上げている事を、キョウもよぎりも知る由がない。


「まだ全員揃っていないか…」

 室内に視線を一巡させたキョウがぽつりと呟く。


 応接の間には他に数人の士官の姿が見られたが、書棚の整理や部屋の隅に置かれた作業台上で広げた書類を前に作業をしている様子から、彼らは陣守村の運営を担う事務官のようで、今日のために招集された面々とは異なるようだ。


「猪牙上士、峡谷上士、いらっしゃいました」

 士官から声が掛かる。と同時に、けたたましく引き戸が開かれた。


「チョウトクの東雲天陽、日野あさぎ、参りました!!」

 元気いっぱいの少女の声が高い天井の空間に響き渡る。


「!」

「……??」


 目を丸くする者、細める者、室内の人間たちが様々な反応を示す中、開かれた戸の向こうに、桃花の刺繍を散らした装束の少女と、その背後で盛大な溜め息をつく中年の男の姿があった。


「あ…あさぎ……?」

 よぎりの困惑した声が、青の耳にも届く。


「コラ! あさちゃん、こういう時は正式名称を名乗りなさい」

「はい、失礼しました! 諜報部特務隊から参りました、東雲天陽准士、日野あさぎ下士です!」


 おそらくツッコミどころはそこではないが、少女あさぎは背筋を伸ばし満足そうに目を爛々とさせている。が、よぎりの姿を見つけて面持ちが一変する。


「よ、よぎり……!? 何でここにいんの」

「それは俺が言いたいんだけど…?」


 日野家の双子は、二人して渋柿を噛み潰したような顔を突き合わせる。


「俺は峡谷上士に同行をお許しいただいてるんだ」

「アタシだって天陽おじさんに許可もらってるんだから!」


 睨み合う双子を前に、天陽は苦笑して頭を搔きながら、キョウの前に歩み寄る。


「騒がせちまって申し訳ない。若手に外つ国を見せる良い機会かと思ってな、連れてきたんだが」

「お越し下さりありがとうございます、東雲准士。しかし偶然とはいえ、兄妹だったとは」


 さほど悪い気もしていない様子のキョウは、むしろ楽しそうに双子の様子を横眼で見やった。

 だが天陽の面持ちは渋い。


「双子……か…」

 性格は正反対ながら同じ顔をした兄妹を前に、仄暗い呟きを零した。


「……」

 その理由が、青には心当たりがある。


 翡翠の、兎の獣人の高官から教わった、西方に蔓延る「半端もの」の思想。


 その中には双子の片割れも含む地域もあるようで、まがいもの、瘤とされて殺される運命にあるという。


 元チョウトクとして西方に出向いていた天陽も、この事を知っているのだろう。


「――そろそろ、入っても良いかしら?」


 部屋の戸口側から、待ちくたびれたような声。

 廊下側で白い影が揺れた。

 室内の視線が一斉に声の方へ向き、双子も睨み合いを止めて振り返る。


 戸口に立つのは、白を基調とした装束に白い頭巾で顔の半分を隠した女。頭巾の額部、装束の袖に金や銀の糸でツユクサと、その葉にとまる蛍が刺繍されていた。


「ホタル先生!」

 あさぎが破顔して白い影に駆け寄る。


 ホタル先生と呼ばれた女は「相変わらずうるさい娘ね」と紅を引いた唇を苦笑に形作りながらも、あさぎの丸い頬を優しく撫でてから室内へ歩を踏み出した。


 袖から一瞬、見え隠れしたのは、龍の銀板。


「ホタル……?」

 青は一瞬、肩を震わせた。こめかみを突き刺すように記憶が揺さぶられる。


「こちらは、式術の蛍一師だ」

 天陽が間に入り、室内の面々と女の顔つなぎをする。


「式術師、龍の位、蛍。末席に加えて頂けるかしら」

 落ち着き払った声と共に、女は室内の面々へ徐に会釈を向けた。

 胸元に持ちあげた手の甲に光る龍の章が、場のざわめきを鎮める。


「事後承諾で申し訳ない。西の話をするならと、勝手にオレが呼ばせてもらった。ホタル一師はかつて西方への任務に赴かれた経験がある」


 天陽がホタルをこの場に呼んだ理由は一つ。

 十五年前、藍鬼やハクロと共に西へ旅立ったもう一人の仲間。

 それがホタルなのだ。


「……あなた…」

 ふと、白頭巾が青を見返る。頭巾の影に隠れていても、視線が青の手を見つめている事が分かる。


「あ…」

 弾かれるように我に返った青は、ホタルの前に一歩踏み込んだ。


「ご挨拶が遅くなりました。毒術師、獅子の位、シユウと申します」

「毒術……ずいぶんな、若獅子さんなのね」


 紅が引かれた唇の口角が、引き結ばれて上がる。年長者の余裕、高位者の威厳というものか、口答えが許されない重厚な空気が感じられた。


「……恐縮です」

「褒めてるのよ」


 少し揶揄うような吐息を残し、ホタルは青を通り過ぎてこの場の責任者たる猪牙とキョウの元へ。


 高位の若手毒術師と聞いて、ホタルが青を値踏みする理由は明白だ。藍鬼を継げるに相応しいかどうかを、見定めようとしている。


「まさかここでホタルさんに再会するとは…」


 挨拶を交わす上士たちの様子を遠巻きに眺めながら、青はまた上がりかけた心拍数を鎮めようと密かに深呼吸を繰り返す。


 急に見知った顔と次々と再会――シユウとしては初対面だが――する事となり気持ちと頭の整理に忙しい。


 だが同時に、青は心の底から湧き上がる熱を感じていた。

 ホタルがこの場に呼ばれたという事は、藍鬼の最期の地に近づいている証でもある。


 この西方進出任務は凪之国の存亡に関わると同時に、青にとっては師の仇を探求する旅でもあるからだ。


「………」

 青の右手は無意識に、袖に隠れた左腕をさすっていた。



 その後、檜前准士と雲類鷲准士の獣血人の二人も合流。

 キョウと猪牙が呼び寄せた面々が出揃って、次なる西方進出先の選定会議が行われようとしていた。

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