ep.31 獅子と応龍(3)

 医院の敷地を出たところで、青は足を止めた。


 一旦着替えに戻るか、それとも蟲之区へ向かうか、逡巡する。右を見て、左を見て、また右を見て、蟲之区へ行く事を決めて左へ歩き出した。


「朱鷺一師……また痩せた……」

 覆面の下で、弱音が零れた。


 仮面と外套で体型を胡麻化していたのはとうに気づいていた。共に任務に赴くと、ほとんど何も口にせず兵糧の丸薬を数粒口にする程度の食事量。


 出会った当初しばらくは快調になりかけていたのは確かだが、この一年ほどで急に体力が落ちている様子には気づいていた。


 無理をさせまいと休養の説得を試みるも、朱鷺は精力的に多くの高難易度任務を請け負い、シユウを指名した。


 生き急ぐように。

 そう、急いでいたのだ。


「……」

 外套から片手を出して、青は改めて獅子の銀板を見つめる。


「獲れてよかった……本当に……」

 二十歳の誕生日を迎えた年。

 朱鷺が課した四年という期限となる年の最短だ。


 朱鷺が応龍に上がると聞いた時は驚きはしたものの、心の底で安堵を覚えた。

 これでようやく、療養に集中してもらえる。


「まだ一師とは話したい事がたくさんある……」


 師と弟子としてではなく、毒術師同士としてもっと話がしたいと思うのは、驕りだろうか。

 涙がこみ上げそうになり、青は首を振る。


「いやいや……縁起でもない」

 朱鷺ならきっと「勝手に殺さないで」と叱るだろう。


「ハクロ特師は相変わらず、嘘が下手でいらっしゃるし」

 実にハクロとは五年ぶりの再会だった。

 薬術の頂点の座を維持し続けてもやはり彼は善き人で、妖鳥の仮面の下から滲み出る感情が伝わってきた。


 朱鷺の容態について「心配しなくても良い」と答えた時の語尾の微かな揺らぎを、青の聴覚はとらえていた。


「……他の事を考えよう」


 嬉しさと、懐かしさと、寂しさと。

 今日は任務から帰還するなり、様々な感情が渦巻いて頭が沸騰しそうだ。


 こういう時は、他のことで忙しくなるに限る。

 クヨクヨと悩む無駄な時間があれば、本の一冊でも読む。

 昔からそうしてきた。


「「かの国」ってどこのことだ……?」

 歩きながら思い浮かべたのは、ハクロが語った、藍鬼の麒麟奪還任務の一片。


 我々は禍地特師を追って「かの国」へ赴いた。諜報部からの情報を頼りにひと月をかけて潜入した「かの国」で、更にもうひと月をかけて特師を探し求め、ようやく相まみえる事は叶ったが……


 これ以上を語ろうとしなかったのは、シユウの実力が打倒麒麟にまだ遠く及ばないからに過ぎない。


 今の時点でハクロの言葉から分かった事は、

 禍地の行方を諜報部が握っているらしい事、

 禍地の潜伏先まで片道ひと月もかかる事、

 現地で禍地を探し当てるのにひと月を要した事――


「ん……?」

 頭の中で情報を並べた途端、妙な違和感に気がつく。


 十三年前。

 森の小屋で最後の別れを交わし、藍鬼たちは旅立った。

 そのひと月後に、藍鬼たちは「かの国」へ到着した。

 さらにそのひと月後に、彼らは禍地と相まみえ、ハクロは藍鬼の「最期」を目にし、命からがらに龍の銀板を持ち出す事ができた。

 そしてひと月をかけてハクロは凪へ生還し、霽月(せいげつ)院へやって来た。


「合わない」

 記憶と合致しない。


 ハクロの語りによれば、ハクロが見た藍鬼の最期は、任務出立のふた月後。

 一方で。

 青が藍鬼の「死」を察知した最初の切っ掛けは、左腕の「鍵」が現れた時だ。そして同日、血判通行証が白紙になっていた事にも気づいた。


 あれは、秋雨が肌寒い季節。

 藍鬼が任務へ旅立って、三月(みつき)が経った頃ではなかったか。


「このひと月のズレは何だろう……」


 藍鬼が最期を迎えた「かの国」と、凪との物理的距離によるものか。

 ハクロが見た「最後」の時点では藍鬼は生きていて、実際はそのひと月後に死んだのか。

 それとも他の要因か。

 考え過ぎか。


「そういえば」


 蟲之区へ向かおうとしていた目的の一つを、思い出す。

 獅子以上の高位技能師に許される「特権」について、調べるためだった。

 特権の一つに「血判通行書の自己判断による発行」も条件付きで許されていたはずだ。かつて藍鬼が、青に発行してくれたように。


「よし」


 任務帰りの疲労を忘れ、青は七重塔へと足を速めた。

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