ep.31 獅子と応龍(2)
「っ……お初にお目にかかります」
青は慌てて立ち上がり、一礼した。
「毒術、獅子の位。シユウと申します」
ほう、と頭上から感嘆の声。
頭を上げると、妖鳥の面が正面にあった。
「……」
「……」
三呼吸分ほどの沈黙。
向き合う二人を、藤椅子の朱鷺も静かに見守る。
「薬術、麒麟の位、ハクロだ。見たところ君はまだ若いようだが、獅子の位とは大したものだ」
五年ぶりに対峙した二人目の師。
妖鳥の目が、少し上向いて青を見る。
青の背丈は、ハクロを越えていた。
「恐れ入ります。それより、朱鷺一師は……」
「ああ、心配しなくても良い」
青の意図を汲み取ったハクロは、ゆっくりと頷くと視線を朱鷺へ移す。
「しばらく湯治でもしながら、ゆっくり過ごして頂こうと思ってましてな」
「そう、ですか」
覆面の下で、青は深い息を吐く。
「以前から提案はしていたのですが、ようやく一師にご承諾頂いてな。なるほど、これが理由であったかと」
これが、でハクロの視線が青を一瞥した。
「?」
ハクロの言葉に疑問符を浮かべる青へ、
「シユウ君……私ね……」
朱鷺が答えを示す。
「上がろうと思って……」
「え……」
上がる。
師道における「現役引退」を意味していた。
「朱鷺一師は、応龍になられるのですな」
師道において、龍と麒麟にだけ許される、名誉職が存在する。
龍の位をもって引退すれば、龍は応龍と名が変わる。
麒麟の場合、男であれば神麒(しんき)、女であれば神麟(しんりん)となる。
名誉職に「上がった」場合、任務を請け負う義務は無くなり、後進の育成が主たる使命となるのだ。
「一師……」
「君が獅子に任命されたらそうしよう……って、決めてた……」
驚く弟子へ、籐椅子の師は柔らかな声を向けた。
技能師では獅子からが「高位」と分類され、法軍にて受けられる特権の範囲が広がる。
過去任務記録の閲覧、他任務への同行、下位者の指名、など。これまで朱鷺にだけ許されていた事が、シユウの権限で行えるようになるのだ。
「君が私に頼るべき事はもう……何も無い、の」
教えられる技は全て教えた。
法軍の所蔵には無い薬や毒の処方も、全て伝授した。
青はその全てを期待以上の完成度を持って、会得していった。
「……」
絶句する弟子の様子を、師は白布の下で苦笑して見つめた。
突き放されたと、思った事だろう。
いくら背が伸びて、体躯が大人びても、感情を隠しきれないところは最後まで完全に治せなかった。
それがこの弟子の可愛いところでもある。
「一師の継承は無事に終えた、というところですかな」
妖鳥の面が、師弟のやりとりを微笑ましく見守っていた。
「ええ……ハクロ特師」
ハクロに向けて、朱鷺はゆっくりと頷く。白布が音もなく揺れた。
朱鷺から託されたものを渡すように、妖鳥の面が再び、青に向き直った。
「シユウ二師。君は麒麟を狙うと公言しているようだが。知っているかな。禍地特師と、藍鬼一師の事は」
「……」
青は奥歯を嚙み締めた。
この問答を、ハクロとする事になるとは想像だにしていなかった。
寸時の躊躇を挟み、懸命に動揺を抑えつけながら、青は最大限に言葉を選んで口を開く。
「長や、一師から……概ね窺っています」
「ならば話は早い。藍鬼一師が麒麟奪還の任務に赴かれた事はもう周知の事実だが」
妖鳥は小さく頷いた。二人の間で、籐椅子の朱鷺は静かに見守っている。
「任務に同行し、藍鬼一師の最期のお姿を見たのが、私でな」
雲が通り過ぎたか、窓からさす陽が陰り、仮面の彫りに影を落とした。
「我々は禍地特師を追って「かの国」へ赴いた。諜報部からの情報を頼りにひと月をかけて潜入した「かの国」で、更にもうひと月をかけて特師を探し求め、ようやく相まみえる事は叶ったが……」
ハクロの言葉はそれきり途切れ、妖鳥の嘴がわずかに伏される。
「……」
青は覆面の下で開きかけた口を、再び噤んだ。
聞きたい事は山ほどある。
かの国とは。
禍地とはどのような人物なのか。
藍鬼の最期とは―これは知りたくもあり、知りたくない事でもある。
「ところで、シユウ二師」
雲が通り過ぎ、障子窓から再び陽が差し込んだ。
「はい」
「君はもう、酒を呑める歳かな」
「は、はい。ちょうど本日から」
白い妖鳥は、そうかそうか、と満足げに頷く。
「君が龍となり、力をつけたその時には……ゆっくりと話をしようぞ」
「……」
青の記憶に、懐かしい風が横切った。
似たやりとりを、数年前にも交わした記憶がある。
正弟子解消の別れを告げた、森の小屋で。
「はい」
青の頷きに、白い妖鳥は満足そうに頷き返した。
「さ、て」
改まって、ハクロは朱鷺と青の双方へ目配せする。
「一師の診察にはいりたいので、今日のところはそろそろ。二師も任務還りのようだ。ゆっくり休みなさい」
「あ……失礼いたしました」
慌てて青は壁際に置いた鞄を手に取り、廊下へ続く戸の前で、振り向いた。
「一師、また便りを出します!特師、どうぞ朱鷺一師をよろしくお願いいたします」
最後に深く、深く一礼をして「では」と後ずさって後ろ手で引き戸を開き、廊下に出て、また一礼を残して戸を閉めた。
遠ざかる青の足音を、朱鷺とハクロはしばし目で追う。角を数度曲がって、土間の固い石を踏む音を最後に、青の気配は敷地外へ消えた。
「あれで、良かったですかな。朱鷺殿」
「はい……口裏を合わせていただいて……感謝いたします」
籐椅子から立ち上がった朱鷺だが、途端に均衡を崩してよろめく。「危ない」と横から伸びたハクロの腕が細い体を支えた。
「久しぶりに……喋りすぎてしまって……」
手を借りてようやく寝台に腰かけた朱鷺の体を、ハクロが慎重に横たえる。
「あの子はもう……私を気にしていては……いけない……。そんな暇は……無いんです……」
薫風と春光に包まれた穏やかな室内、朱鷺の掠れた吐息が寝具の衣擦れの音に掻き消された。
「……少し、眠りましょう。朱鷺殿」
朱鷺の折れそうな体に、ハクロの手が布団を掛ける。
浅い呼吸が寝息に変わるまで、ハクロは寝台の傍らで静かに待ち続けた。
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