ep.31 獅子と応龍(1)

 凪之国での飲酒可能な年齢は、二十歳と定められている。


 二十歳の誕生日を迎えた瞬間に、酒を買いに行く、友人たちと飲みに行く、上官らに連れ出されるなどなど、親子でしみじみと晩酌…とそれぞれの方法で二十歳の瞬間を楽しむ。


 大月青の二十歳の誕生日はというと――



 白月区の片隅、乳白色の石垣を長身の影が駆け抜けた。

 影の正体、大月青ことシユウは、簡素な木造建築の玄関をくぐり、石造りの広い土間で足を止める。


 ここは、技能師御用達の医院。


「あの……、ごめん、ください」

 汗をかき、息を切らせ、無人の玄関から人を呼ぶ。


「はあい、ただいま」

 奥から人の声。


 声の主が姿を現すまでに、青は背筋を正して呼吸を整える。任務帰りだったために羽織っている外套の、砂汚れを土間に落とした。


 青の様子を見計らっていたかのように、呼吸の落ち着きと共に、奥から白衣の医療士が姿を見せた。


「たったさきほど、式鳥から知らせを……」

「承っています、どうぞ。任務からのお帰りでしたか。ご無事のお戻りを、お慶び申し上げます」


 青が用件を口にする前に、案内係は恭しく、深々と一礼し、廊下の奥を示す。


 鼻から下を白布で覆った医療士に導かれ、青も廊下を進んだ。塵一つ落ちていない檜の床を三度ほど曲がった先に、廊下は二又に別れ、二本の廊下の間は中庭となっている。


 先導する医療士が、右へ曲がった廊下の先にたどり着いた個室の戸を、静かに開けた。


「朱鷺様、お客様がいらっしゃいました」


 引き戸の向こうは、白と淡い香色だけの空間。大きな障子窓の際に寝台、そして壁際に桐たんすが一棹。静謐な空気に満たされた、入院患者用の個室。


 寝台の側に置かれた藤の椅子に、小柄な人影が腰掛けていた。白い着物を纏い、そして顔は額から垂らした白布で隠されている。


「シユウ君」

 白い人影が、青を呼んだ。

 耳によく馴染んだ声。

 寝台脇の小机の上には、朱鷺の面が置かれている。


「一師……、なの、ですか?」

 出会って四年、朱鷺面と黒い外套以外の朱鷺の出で立ちを、青は初めて目にした。小さく、細く、どこかへ消え入りそうに気配が薄弱だ。


「任務から帰還してすぐに七重塔に呼ばれていまして…出たところで式鳥を受け取りました。一師、どこかお悪いところが――」

「おめでとう……シユウ二師」

「え……」


 覆面の下で、青は息を飲み込む。


「七重塔に呼ばれた、と、いう事は……そういう事……でしょう……? 見せて……」

 白手袋に包まれた朱鷺の片手が差し出され、おいでおいで、と青を呼ぶ。


 格子窓から差す淡い陽光の中、夢現を彷徨うような足取りで、青は朱鷺の前へ進んだ。途中、背負っていた鞄を壁際へ置き、朱鷺まで手を伸ばせば触れる位置で歩を止め、外套に隠れた左手を差し出す。


 甲には獅子の銀板。


「やっぱり、ね……」

 朱鷺の両手が、青の手を包むように握った。香色の陽光を反射して煌めく獅子を、白布越しに朱鷺は見つめる。


「ちょうど……四年……本当に、たった……四年で……」


 白布の奥から、絞り出される吐息のような、朱鷺の声。

 まるで泣いているかのように、掠れ、揺れていた。


「一師……」

 青はその場に膝をつき、朱鷺の手に自らの手を重ねた。


「一師のご指導のおかげです」

 これまで何度も口にした、それでも物足りない言葉を、改めて青は師に手向ける。


「……」

 しばらく無言で獅子を見つめていた朱鷺が、ふいに白布に覆われた顔を上げた。


「びっっっくりなんだけど……本当に獲れるなんて……」

「え」


 手を開放されても、青は手を差し出した姿勢のまま唖然と固まる。


「だって普通は……無理……だもの……私も勢いで「四年で」なんて言っちゃったけど……」

「勢い?」

「ふふ……でも」


 師の口許の白布が揺れた。白手袋に包まれた指先が、青の手甲を指し示す。


「その獅子は……間違いなく君の……努力が呼び寄せたもの……」

「一師……」


 青は改めて銀板に刻まれた獅子を見つめた。七重塔で長から獅子を任命された時は思考が真っ白になり、七重塔を出た後は早く朱鷺へ知らせなければと気持が競っていて、じっくりと喜びに浸る暇も無かったのだ。


「改めて、おめでとう。シユウ、二師」

 白布の下から、優しい声。


 二師。

 まだ慣れない肩書がくすぐったい。


「あ……ありがとうございます、朱鷺一師」

 覆面の下で苦笑交じりに微笑んで、青は目の前の師へ深く頭を垂れた。


 互いに言葉が途切れ、無言が降りる。窓側から、中庭を吹き抜ける薫風と鳥の囀りの音。そして、廊下側からは、重量感のある足音が近づいた。

 青が頭を上げた直後、


「そちらが、一師ご自慢のお弟子さんですかな」

 引き戸が開いて、低く穏やかな男の声が入室した。

「――え……」


 懐かしい声が青を振り向かせる。そこに立っていたのは、妖鳥の面。


 施設長である薬術の麒麟、ハクロ。

 藍鬼の友であり、青にとって二人目の師であった男だ。

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