ep.9 課題(1)
引率係たちによる大蜘蛛の死骸検分が行われた後、子どもたちは再び畑の中に招き入れられた。
「これは妖虫の八ツ目蜘蛛です」
大蜘蛛の前に小松先生がたち、いつもの授業が始まる。
「このように、虫や獣を駆除すると、その土地のヌシとして妖虫や妖獣が現れる場合があります」
ヌシ。
青にも聞き覚えがある単語だった。
藍鬼と採集に出かけた時に遭遇した三ツ首の大蛇も、ヌシだった。
「なぜヌシが現れるのか詳しくは分かっていませんが、妖獣たちはその土地の生き物の「気」を糧にしているからだという説が有力です」
「ご飯を取るなーって怒ってるってこと?」
そんな生徒の疑問に、小さな笑いが起きる。強張っていた子どもたちの表情に柔らかさが戻りつつあった。
そんな中、青やトウジュから少し離れたところで、つゆりだけ下を向いている。
「そういうことですよ。お腹を空かせた獣はとても凶暴になりますしね」
和らいでいた小松先生の面持ちが、改まる。
「これが「任務」です。「畑のお手伝い」や遊びではないって、わかりましたか?」
浮つきかけた子どもたちが、静まった。
「ヌシが現れるかもしれない。潜んでいる敵が現れるかもしれない。味方が狙われているかも。村の人が狙われているかも。いつも「何かが起きるかも」と考えて、注意し続けなければいけません」
小松先生の言葉は、目の前の大蜘蛛の死骸との相乗効果もあいまって、子どもたちには強い教訓として響いているようだった。
青にとっても同様だ。害虫探しに夢中になって、ヌシが現れる可能性など頭から消えていた。気がついたのは偶然だった。
一瞬でも遅ければ、つゆりの命は無かったかもしれない。
「なあ」
小松先生の話に釘付けになっている子どもたち。その様子を外周から眺めていた引率係の軍人の男が、隣の同僚に耳打ちした。
「お前、あのヌシが潜んでいたことに気付いてたか?」
「いや、私は何も」
「あの子はどうやって気付いたんだろうな」
「私も同じことを考えてた。あの子が女の子に体当たりしなかったら……」
「モズの速贄(はやにえ)状態だったろうよ」
法軍の腕章を身に着けた二人の視線は、青の浅葱色の背中に向いていた。
*
その日の校外授業は、村人たちといっしょに蜘蛛から素材を採って終了となった。
畑の一部が台無しになった分、妖虫から獲得できた素材が村の資金源になるのだ。
八つ目を覆う膜、硬い毛、牙、体液。意外な部位が、意外な製品の素材として使われていると知って驚く子どもも続出する。
女子生徒はあまり良い顔をしなかったが、主に男子生徒たちは楽しんだ子どもが多かったようだ。
村人たちに見送られ、子どもたちは帰りの土手道を歩く。ジージーとヤマガラの声が頭上を飛び交っていた。
「つゆりちゃん、具合悪い?」
大蜘蛛討伐から以降、つゆりは無言を保っている。
気がついて青は隣に並んだ。
ふるふると、つゆりの首が横に振られる。
「どーしたんだよ、蜘蛛ニガテだったのか?」
いつもの調子でトウジュが軽口を向けるが、つゆりはふいと顔を背けた。そのまま前を歩く小松先生の方へ走って行ってしまう。
「何だよアイツ」
「疲れちゃったんだよ。びっくりする事が起きたしさ」
口をとがらすトウジュの横顔に、青は小さく苦笑した。
「アイツらしくねーなー」
トウジュは納得していない様子だが、青にはつゆりの気持ちが分かる気がした。
きっとつゆりは、トウジュに嫉妬している。
突然現れたヌシに怯むことなく立ちふさがり、術を正確に発動させて足止めさせる事に成功した。その後も何もなかったように、むしろ妖虫との遭遇を冒険譚のように楽しんでいる。
入学したばかりの頃は、先生の雷の術に驚き怯み、初めての術の授業では炎を暴発させて腰を抜かしていたのに。
それだけこの一年強で、学年におけるトウジュの成長ぶりは目立っていた。
*
青の推測は当たっていた。
翌日に教室へ来てみると、つゆりの第一声は「昨日はごめんね」だった。
「な、なにが?」
トウジュはまだ来ておらず、窓際の席に座る青を見つけてつゆりが駆け寄ってきたのだ。
「助けてくれたのに、ありがとうって言ってなかった」
「しかたないよ。びっくりしたもんね」
つゆりは首を振る。
「私、動けなくなっちゃって。頭も真っ白になっちゃって」
あの時、得意な風術の鎌鼬でも使っていれば、蜘蛛の目を潰せたのに。
「授業や練習でいくらうまくできても、ぜんぜん意味ない」
後から考えれば考えるほど「たら」「れば」ばかりが増えていく。
「青君もトウジュも、ちゃんと動けてたのにって、悔しくて」
「つゆりちゃん……」
今のつゆりは、トウジュに対する青の気持ちを代弁している。
二人で向き合って俯いたところへ、
「よーっす」
能天気な声がかかった。
鞄が雑に机へ放り投げられた音と共に。
「任務の授業楽しかったな! また外行きたいよなー」
トウジュだけが、いつもと同じ。思い詰めたようだったつゆりの面持ちが「もー」と苦笑に緩んだ。
「その前に試験があるでしょ。っていうか宿題やった?」
その様子を青もいつもと同じように、苦笑しながら見守るのだった。
*
奇しくもその日の小松先生の授業では「心技体」について語られた。
まさに、つゆりが抱えている悩みに応える形となる内容だ。
どれか一つが欠けても、逆に突出していても、戦いにおいてもたらす結果は最良ではないという。心技体が均衡に作用し合う事が肝心なのだと。
今のつゆりと青は気持ちばかりが先走りして、術の技術や身体が追いついていない。
「師匠も、ひたすら練習、訓練って言ってたしな……」
今日も作業小屋へ向けて森を歩く道すがら、青は授業を頭の中で反芻していた。
大蜘蛛と対峙した時、つゆりに体当たりしていっしょに転がって立ち上がることができなかった。あの時は大人たちが助けてくれたが、任務に先生や引率係など存在しないのだ。
「あれ」
木々の合間に、小屋が青の拳ほどの大きさに見え始めた。
そこにあるいつもと異なる光景に、青は足を止める。反射的に木の陰に身を隠した。
小屋の前には三人の人影。一人は藍鬼。
もう一人は特徴的な鳥の仮面の横顔のハクロ。
そして二人と比較して明らかに細身である三人目。
女のようだ。
会話の内容は聞き取れないが、身振り手振りもなく顔を見合わせて話し込んでいる様子で、邪魔をしてはいけない事だけは感じ取れた。
「ところで」
背を向けていた女が振り向いた。
「ボクはどこの子?」
青が瞬きした瞬間、白い衣が目の前にあった。
「ひゃっ!」
ひっくり返った声を上げて青は尻もちをつく。
見上げると、白く長い袖の衣をまとった人影がそこにいる。
法軍の胸当てを装着し、腕章ではなく袖の二の腕に凪の紋章が藍色で刺繍されている。そして最も特徴的なのが、口元以外は隠れた頭巾を身に着けていること。
「迷子? そんなに驚かないでも大丈夫よ」
声や体の線の細さで女性である事はすぐに分かる。
「青。出てきていいぞ」
小屋の方から藍鬼の声がかかる。
「う、うん」
慌てて立ち上がって青は藍鬼の元へ駆け出す。
白頭巾の女は不思議そうにその後についた。
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