ep.9 課題
引率係たちによる大蜘蛛の死骸検分が行われた後、子どもたちは再び畑の中に招き入れられた。
「これは妖虫の八ツ目蜘蛛です」
大蜘蛛の前に小松先生がたち、いつもの授業が始まる。
「このように、虫や獣を駆除すると、その土地のヌシとして妖虫や妖獣が現れる場合があります」
ヌシ。青にも聞き覚えがある単語だった。
藍鬼と採集に出かけた時に遭遇した三ツ首の大蛇も、ヌシだった。
「なぜヌシが現れるのか詳しくは分かっていませんが、妖獣たちはその土地の生き物の「気」を糧にしているからだという説が有力です」
「ご飯を取るなーって怒ってるってこと?」
そんな生徒の疑問に、小さな笑いが起きる。強張っていた子どもたちの表情に柔らかさが戻りつつあった。
そんな中、青やトウジュから少し離れたところで、つゆりだけ下を向いている。
「そういうことですよ。お腹を空かせた獣はとても凶暴になりますしね」
和らいでいた小松先生の面持ちが、改まる。
「これが「任務」です。「畑のお手伝い」や遊びではないって、わかりましたか?」
浮つきかけた子どもたちが、静まった。
「ヌシが現れるかもしれない。潜んでいる敵が現れるかもしれない。味方が狙われているかも。村の人が狙われているかも。いつも「何かが起きるかも」と考えて、注意し続けなければいけません」
小松先生の言葉は、目の前の大蜘蛛の死骸との相乗効果もあいまって、子どもたちには強い教訓として響いているようだった。青にとっても同様だ。害虫探しに夢中になって、ヌシが現れる可能性など頭から消えていた。気がついたのは偶然だった。
「…なあ」
小松先生の話に釘付けになっている子どもたち。その様子を外周から眺めていた引率係の軍人の男が、隣の同僚に耳打ちした。
「お前、あのヌシが潜んでいたことに気付いてたか?」
「いや、私は何も」
「あの子はどうやって気付いたんだろうな」
「私も同じことを考えてた。あの子が女の子に体当たりしなかったら…」
「モズの速贄(はやにえ)状態だったろうよ」
法軍の腕章を身に着けた二人の視線は、青の浅葱色の背中に向いていた。
その日の校外授業は、村人たちといっしょに蜘蛛から素材を採って終了となった。
畑の一部が台無しになった分、妖虫から獲得できた素材が村の資金源になるのだ。
八つ目を覆う膜、硬い毛、牙、体液。意外な部位が、意外な製品の素材として使われていると知って驚く子どもも続出する。女子生徒はあまり良い顔をしなかったが、主に男子生徒たちは楽しんだ子どもが多かったようだ。
村人たちに見送られ、子どもたちは帰りの土手道を歩く。ジージーとヤマガラの声が頭上を飛び交っていた。
「つゆりちゃん、具合悪い?」
大蜘蛛討伐から以降、つゆりは無言を保っている。気がついて青は隣に並んだ。
ふるふると、つゆりの首が横に振られる。
「どーしたんだよ、蜘蛛ニガテだったのか?」
いつもの調子でトウジュが軽口を向けるが、つゆりはふいと顔を背けた。そのまま前を歩く小松先生の方へ走って行ってしまった。
「何だよアイツ」
「疲れちゃったんだよ。びっくりする事が起きたしさ」
口をとがらすトウジュの横顔に、青は小さく苦笑した。
「アイツらしくねーなー」
トウジュは納得していない様子だが、青にはつゆりの気持ちが分かる気がした。
きっとつゆりは、トウジュに嫉妬している。
突然現れたヌシに怯むことなく立ちふさがり、術を正確に発動させて足止めさせる事に成功した。その後も何もなかったように、むしろ妖虫との遭遇を冒険譚のように楽しんでいる。
入学したばかりの頃は、先生の雷の術に驚き怯み、初めての術の授業では炎を暴発させて腰を抜かしていたのに。この一年強で、学年におけるトウジュの成長ぶりは目立っていた。
青の推測は当たっていた。
翌日に教室へ来てみると、つゆりの第一声は「昨日はごめんね」。
「な、なにが?」
トウジュはまだ来ておらず、窓際の席に座る青を見つけてつゆりが駆け寄ってきたのだ。
「助けてくれたのに、ありがとうって言ってなかった」
「しかたないよ。びっくりしたもんね」
つゆりは首を振る。
「私、動けなくなっちゃって。頭も真っ白になっちゃって」
あの時、得意な風術の鎌鼬でも使っていれば、蜘蛛の目を潰せたのに。
「授業や練習でいくらうまくできても、ぜんぜん意味ない」
後から考えれば考えるほど「たら」「れば」ばかりが増えていく。
「青君もトウジュも、ちゃんと動けてたのにって、悔しくて」
「つゆりちゃん…」
今のつゆりは、トウジュに対する青の気持ちを代弁している。
二人で向き合って俯いたところへ、
「よーっす」
能天気な声がかかった。鞄が雑に机へ放り投げられた音と共に。
「任務の授業楽しかったな!また外行きたいよなー」
トウジュだけが、いつもと同じ。
思い詰めたようだったつゆりの面持ちが「もー」と苦笑に緩んだ。
「その前に試験があるでしょ。っていうか宿題やった?」
その様子を青もいつもと同じように、苦笑しながら見守るのだった。
奇しくもその日の小松先生の授業では「心技体」について語られた。まさに、つゆりが抱えている悩みに応える形となる内容だ。
どれか一つが欠けても、逆に突出していても、戦いにおいてもたらす結果は最良ではないという。心技体が均衡に作用し合う事が肝心なのだと。
今のつゆりと青は気持ちばかりが先走りして、術の技術や身体が追いついていない。
「師匠も、ひたすら練習、訓練って言ってたしな~」
今日も作業小屋へ向けて森を歩く道すがら、青は授業を頭の中で反芻していた。
大蜘蛛と対峙した時、つゆりに体当たりしていっしょに転がって立ち上がることができなかった。あの時は大人たちが助けてくれたが、任務に先生や引率係など存在しないのだ。
「あれ」
木々の合間に、小屋が青の拳ほどの大きさに見え始めた。そこにあるいつもと異なる光景に、青は足を止める。反射的に木の陰に身を隠した。
小屋の前には三人の人影。一人は藍鬼。もう一人は特徴的な鳥の仮面の横顔のハクロ。そして二人と比較して明らかに細身である三人目、女のようだ。
会話の内容は聞き取れないが、身振り手振りもなく顔を見合わせて話し込んでいる様子で、邪魔をしてはいけない事だけは感じ取れた。
「ところで」
背を向けていた女が振り向いた。
「ボクはどこの子?」
瞬きした瞬間、白い衣が目の前にあった。
「ひゃっ!」
ひっくり返った声を上げて青は尻もちをつく。見上げると、白く長い袖の衣をまとった人影がそこにいる。法軍の胸当てを装着し、腕章ではなく袖の二の腕に凪の紋章が藍色で刺繍されている。そして最も特徴的なのが、口元以外は隠れた頭巾を身に着けていること。
「迷子?そんなに驚かないでも大丈夫よ」
声や体の線の細さで女性である事はすぐに分かる。
「青。出てきていいぞ」
小屋の方から藍鬼の声がかかる。
「う、うん」
慌てて立ち上がって青は藍鬼の元へ駆け出す。白頭巾の女は不思議そうにその後についた。
「よう、ボウズ」
「こ、こんにちは」
妖鳥の仮面へ遠慮がちに会釈し、青は藍鬼の側に寄る。
「一師のご子息、ではありませんよね」
白頭巾が青を向く。目許は隠れているが、全身を値踏みするように見つめられている事は感じられた。
そういえば「イッシ」とはどういう意味だろうと疑問を抱きつつ、青は黒い仮面と白い頭巾を交互に見やる。
「弟子だ」
「!」
藍鬼の答えに驚きを見せたのは、ハクロと白頭巾だけではなかった。
「本当!?」
初めて師から弟子と呼ばれて青は文字通り飛び上がり、師の腰に抱きついた。「くっつくな」と片手で頭を鷲掴みにされて引きはがされるが、それも何だか嬉しい。
「正弟子なのですか?まだ初等学校の子では」
セイデシ。また知らない単語が出てきた。
女の問いに師は「正弟子はとらない」と短く返す。
「そう、ですか」
納得しかねる、といった色が女の声には混在していた。
「彼女はホタルだ。式術の獅子を持っている」
「シキ?」
式術が何かは分からないが、技能職である事は分かった。確かに白い甲当ての銀板には、獅子が刻印されている。青の目の前には今、龍と獅子二人が居並んでいる。これがどれだけ特殊な状況であるかその価値を、今の青には知る由もない。
「ホタル、ハクロ。わざわざ悪かった。話は以上だ」
藍鬼が話を締めると両者は頷きをもって返答し、
「では」
「これにて」
短い言葉を残して姿を消した。
「話がある」
二人が姿を消すや否や、藍鬼はさっさと踵を返して室内へ入っていった。追いかけて居間に上がった青の前に、一枚の半紙が置かれた。大きく墨で文字列が並んでいる。
「何これ。毒術一級、薬術一級、式術一級、罠工一級」
四字熟語が並んでいるのかと思ったが、すべて資格名だった。
「来年の夏までに取る」
「え?」
猶予は一年。
「僕、式と罠なんてまだぜんぜん」
「俺が教える」
「は」
鯉のように口をパクパクさせる弟子へ、師は頷いた。
「俺は「学校の成績が良ければ弟子にしてやる」と言ったはずだ」
さらに半紙の隣に、重ねられた冊子が置かれる。
「習得項目をまとめたものだ。必ず予習してこい。用語は丸暗記しろ」
「は」
一冊を手に取ってめくると、細かい文字列で埋め尽くされていた。藍鬼自身が使い古したものだろうか、紙は皺だらけで日に焼けている。
「……」
冊子から顔を上げると、正面に座り腕を組む黒き仮面。中の表情はうかがえないが、蒔絵の鬼豹が厳しい真顔でこちらを見据えているように感じ取れる。
「やるのか。やらないのか」
「やります!!」
半紙と冊子をかき集めて胸に抱き、青は声を張った。
*
日が暮れる前に青を帰した後、藍鬼は一人になった小屋の奥部屋にいた。
奥部屋は寝室兼倉庫になっている。窓はなく、棚の裏に避難用の扉があるのみ。
壁はほぼ本棚と棚で埋まっていて、部屋の四隅には葛籠が積まれている。この部屋に侵入を許したのは、青が自分を看病した時の一度きりだ。
手燭の小さな灯だけが蛍のように薄暗闇を照らす中、藍鬼はしばらく胡坐をかいた姿勢で、何を見るでもなく動かない。仮面は外されていて、だがすぐ手元に置いてある。
考えていたのは、今日をもって弟子と認めた青のことだ。
一年後までに達成する課題を与えた時や、冊子を突きつけた時の青の面持ちは、まるで新しい玩具を与えられた幼子のようで。未知なる知識や技術への期待と、何より成長への渇望があった。あれは強くなるだろう。
青との出逢いは偶然以外の何ものでもなかった。
あの夜。
真夜中に妖獣の咆哮が小屋まで聞こえてきた。
一度であれば放っておこうとも思ったが、二度目の咆哮が続いた。珍しい事もあるものだと様子を見に行ってみれば三度目の咆哮がして、子どもが襲われていた。
青が抵抗を見せたことで妖獣に二度、三度と吠えたけらせたのは、今思えば出逢いは偶然ではなく、青が引き寄せた縁だったのかもしれない。
青が凡庸であれば、音もなく食われていたことだろう。あの子の母親のように。
小屋へ連れ帰って手当をしたのは、その時すでに青を特別視していたのだろうと思う。長の言う通り、助けたその足で陣守の村へ連れて行き、衛兵に引き渡せばそれで終わるはずの話だった。
自分は青に、何かを期待していた。
「五歳のガキにか」
自嘲の苦笑が虚しく響く。
青を入れた孤児院「霽月院(せいげついん)」は、長の許可を得た特別な事情を持つ子どもたちだけが入所を許される。例えばやんごとなき身分の落とし種や、遺伝性の強い特殊能力を持つ血族の末裔、そして才を見込まれた子どもなど。
また青が学んでいる学校は法軍付属であり、法軍人や国の高官など、凪之国の将来を支える人材の育成場所であり、通っている子どもたちも名のある家柄か、もしくは将来性を見込まれた子らなのだ。
そのような環境下、どこぞから流れ来て、ものの一年でよく食らいついている。
運動神経や術の素地といった才能の点で上回る子はいくらでも存在している。だが青には努力できる力と素直さという才能が備わっていた。それは何よりの武器となる。
二十年後、いや十年後。
あの子はどのような大人になるだろうか。
「……」
ジジッと手燭の火が焦げ付いた音を立てた。
藍鬼は立ち上がり、部屋の隅に鎮座する葛籠の一つを開ける。しばらく中を探り、絹の風呂敷に包まれた直方体の物体を取り出した。軽くはたいて埃を払い、片手で風呂敷を開ける。そこには、漆塗りに蒔絵が施された文箱。中は空。
「これにするか」
いつかの任務で他国へ赴いた時に礼だと押し付けられた工芸品ではあったが、美しい蒔絵と螺鈿の細工がそこそこ気に入っていた。
小さな文机の前に腰を下ろし、箱をその上に置く。代わりに半紙と筆を手にとった。
手燭の心もとない灯りの中で、短くさらりと筆を動かす。
形見
そこまでしたためて筆を止めて、
「…ふ…」
苦笑と共に紙を丸めた。
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