ep.6 術のかたち(1)

 入学から約半月。

 青はまた藍鬼の作業小屋を訪ねていた。


「で、学校はどうなんだ」

「あのね」


 藍鬼から声がかかるや否や、青は待ってましたとばかりに息せき切ってしゃべりだす。報告したい事が山程あるのだ。


 森の作業小屋にいる間は、師匠が切り出すまでは黙って手伝いをすると決めていた。 


「小松先生っていう先生がね」


 初日と術の授業での出来事をまるで英雄譚か剣戟かのごとく、身振り手振りを交えて語る青の様子を、仮面の師匠は木の実の殻を剥きながら眺めていた。


「それだけの技量があれば中士も特士も関係無い。そのガキも身をもって分かったろうよ」

「うん、トウジュもすごいハンセーしたみたいだった。あ、でもトウジュはすごいんだ」


 そこから青の語りは、神通術の授業でトウジュがことごとく様々な術の発動に成功させた事に及ぶ。


 つゆりも授業の回を重ねるごとに風術の精度が上がり、つい昨日の練習では一瞬ではあるものの、自らの身体を浮かせる事に成功した。


「友人ができたのか」

「トモダチ……なのかな」


 分からないけど、と青はむず痒さを照れ笑いでごまかした。


 トウジュとつゆりとは、術の授業をきっかけによく話をするようになった。主につゆりが青とトウジュを引っ張り込んで巻き込むか、横入りしてくるのだ。


「でも」

 青の陽の目に、影が差す。


「僕だけ術が全然ダメで」

「そうか」


 なるほど。本題はコレか。

 殻を剥いていた藍鬼の指先が止まった。


「全くか? 全く何も出なかったのか?」

「……」


 膝の上で拳を握って肩を落とす自称・弟子。


「水と地はちょっとだけ。でも炎と風と雷はうんともすんともいわないんだ。手がぎゅーっと熱くなってく感じはするんだけど」

「そうか」


 淡々と相槌を打ちながら藍鬼は実を瓶へ詰める。青はごく自然に近くのチリトリを掴んで散らかった殻を掃いた。


「採集に行く。手伝え」

 詰め終わった瓶を棚に置くと、藍鬼は麻袋を肩に担いでさっさと土間へと降りていった。


「え! うん」

 慌てて青もチリトリを棚横に戻して後を追う。小屋の外へ連れ出してくれるのは初めてだった。


 藍鬼は、村とは反対方向、森の奥へと突き進んでいく。まだ陽は高く天気も穏やかで妖獣が現れるような気配はないが、足元の草叢が深さを増していく様子に青は少しの不安を覚える。


 歩き続ける事、半刻ほど。


 青の腰の高さほどの草をかき分けた先で、草が剥げた岩場地帯に出くわした。


「この辺りからだな」

 前を歩く広い背中から独り言が流れてきた。


 岩場地帯を越えた先は、青の素人目にも分かるほどに、植物の生態系が変化していた。


 藍鬼の作業小屋や村周辺は乾いた草地であったが、進むごとに地面の石は大きさを増して岩へと変化していく。比例するように湿気も強くなり、岩が苔むしてくるようになった。


「このあたりは毒を持つ植物も多い。うかつに触るな」

 木々の種類も様子が変わってきていて、露出した巨大な根は青の背丈ほどに地面で渦を描いて絡まりあい、道中の歩行を困難にしている。


「何を採りに行くの?」

「狩りに行くんだ」

 言うが早いか足元の、苔に覆われた根が動いた。

「へ?」


 それが何かを確かめる前に、斜め前を歩いていた藍鬼が振り返りざまに刃物を青の足元の根に突き立てた。根はシャーシャーと怒った猫のような音を漏らしてくたりと動かなくなる。


「蛇?!」

 苔に見えていたのは緑の鱗で、刃物が突き立った箇所から血液だろうか、深緑の液体が流れ出ていた。


「こいつの肝が必要だ。ついでに皮も取っておく」

 木の実の殻を剥くような他愛のなさで、藍鬼は刃物の刃先で蛇皮を削ぎ、皮下を裂いて刃先で小さい内臓をくり抜いた。

 魚を捌いているようにも見えなくもないと思いつつ、青は師の刃物さばきを観察する。


「使えるようになっておけ」

 藍鬼が腰からもう一本あらたな刃物を取り出し、青に差し出す。


「これ、苦無?」

 大人の手には小刀に見えたが、受け取ってみると青の手には大きく感じる。刃物は黒鋼で柄に指や紐をかけられる丸穴が空いている。


「そうだ。土を掘る円匙(えんぴ)や木を削る小刀としても、武器や道具としても使える」

「使ってみたかったんだ、やってみる!」


 右手で握ったり左手に持ち替えたりと感触を楽しみながら、青は蛇を探した。


 藍鬼の斜め後ろ、少し離れた距離に生えている樹木の幹に巻き付く苔色の個体を発見。蛇も人間二人の存在に気付いたか、幹から半身をもたげさせ口を開けた。


「――え」


 青の前髪が僅かに風で揺れる。乾いた音の直後にシャーと音がして、次の瞬間には苦無が蛇の口を幹に縫い止めていた。


 俯いて作業をしていたはずの藍鬼の手から苦無が消えている。


 一切、蛇の方を見ないまま藍鬼が軽く手首をしならせると、幹に刺さった苦無が抜けて手元に戻ってきた。支えを失った蛇が樹の根元に力無く落ちる。


「あれは毒蛇だ。死んでいれば何のことはない」

「どうなってるの? さっきの」

「糸が通してあるだけだ」


 藍鬼の指先から苦無が振り子のように揺れているが、どう目を凝らしても糸が見えない。顔を近づけて指で触れてみてようやく、苦無の丸穴に糸が結んであるのが光の反射で判別できた。


「細すぎて見えないよ」

「職人が作った特殊な糸だからな」


 道具の修理、武具の繕い、医療用、そして罠や、敵を縊り殺す時にも用いられるものだ。


「苦無は投擲武器としても有用だ。迂闊に敵に近づかず、まず遠隔で牽制する手もある」

「キューショを狙えば良いってことでしょ」


 悪戯げな弟子に、黒い仮面の下から「はっ」と短く笑った声が漏れた。


「そういうことだ。さっきのアレ処理してみろ」

 アレ、で藍鬼の片手が、背後でくたばっている蛇を示す。


「うん!」

 岩を飛び越えて、青は蛇の亡骸を拾いに走った。


「……あのさ」 

 師匠と向き合って座り、ぎこちない手つきで苦無を握り蛇の皮を剥ぐさなかに、青は振り絞った勇気と共に、今日もっとも藍鬼に聞いてほしい話の口火を切った。


「僕、目標があって」

「ほう」

「僕、技能師の試験、っていうの、目指して、見ようと、思っ、て」

 一言ずつ声に出しながら、青は向かいの黒い仮面の下の反応を伺う。


 返ってきたのはいつもの「そうか」だった。

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