ep.4 手形(1)

 自称弟子は一月(ひとつき)も経たないうちに、再び仮面の前に姿を現した。


「師匠!」

 森の庵の戸が勢いよく開いた。


「……お前どうやってここまで」

 掘っ立て小屋の戸口に立つ青を前に、鬼豹の仮面の下から盛大なため息が漏れ聞こえた。


「良かった、いた。やっぱり仮面つけてるね」

 都の福祉官に身柄を預けられてから約一月、少し背が伸びた青は黄土色の背負い袋と共に藍鬼の庵を尋ねていた。


「俺の質問に答えろ」

「転送陣でだよ」

「そんなはずがあるか」


 来れるはずがない。


 藍鬼の庵が建つ森へは、転送陣を使わねば子どもの足で到底たどりつく事は不可能だ。通行証を持たない子どもの利用が許されている訳がない。


「これを使ったんだ」

 狼狽を隠しきれない師匠の様子が楽しくなってきた青は、道具袋から小瓶を取り出した。


「俺がお前にやった解毒薬だな」

 瓶の箔模様から、中身の作者が判別できる。


「これを少し分けてあげるからってお願いしたら、通してくれた」

「は」

「師匠ってすごいんだね。みんなこれを見て驚いてた」


 青の手中におさまる薬瓶には、龍の箔が押されていた。藍鬼の手甲の銀盤にも同じものが彫られている。


「価値があるのは俺じゃなくてその紋章だ。で、村からここまでどうやって来た」

 陽のある時間といえど、森の中を子どもが一人で二刻ほどかかる距離を歩く事がどれほど危険か。


「師匠と歩いたままの跡を通ってきただけだよ。獣にも妖獣にも遭わなかった。師匠すごいね、どうやって分かるの」

「……」

 藍鬼は肩を落とす。


 子ども連れである事を考慮した経路選びがアダになるとは、誰も予想しないだろう。恵んでやった薬の使い途といい。


「それで。何しにきた」

「お薬作ってたの? 僕、お手伝いしたい」


 藍鬼の体の向こうへ青が室内を覗くと、居間に大判の半紙が拡げられている。その上に大小の擂粉木、薬研、箱からあふれる薬草、怪しげな色の液体に満たされた瓶などが置かれていた。


「お掃除とか、お片付けとかもするから」

「邪魔はするなよ」


 追い返す口上を考えるのも面倒になった師匠は、存外あっさりと折れた。

 そして「邪魔をするな」との師匠の言いつけに、自称・弟子は忠実だった。質問攻撃を放つ事なく、黙々と雑用に勤しんだ。


 藍鬼が薬草をすり潰している間は飛び散った草や木の実のカスを掃く。

 使い終わった器具を川へ洗いに行く。

 中途半端に余った材料を仕分けする、など。


 藍鬼の作業工程を穴が空くほど観察しながら、必要な雑用を見つけ出すのだ。


「お前、学校はいつからだ」

 青の働きが功を奏したのか、想定よりも早く作業が片付いた事で、藍鬼に会話をする時間が生まれていた。


「卯月からなら、もうすぐだろうに」

 それも青の作戦であったと知って、師はあえて幼い弟子の策略に乗っている。


「うん。でもまた来る。来てもいいでしょ?」

 青は藍鬼と向き合う位置に座り、背を正す。また黒い仮面の下から深い溜め息が漏れ出た。


「俺は四六時中ここにいる訳ではない。俺は法軍の一軍人だ。任務の命が下ればいつ何時でも発たねばならない」


 法軍とは、ここでは凪之国の国軍を指す。

 これは近い内に青が学ぶ事になる、社会的教養の一つであるが、その詳細はまた別の話とする。


「任務ってお仕事のこと? どれくらいかかるの?」

「二刻足らずで終わる物から、国の外に赴いて数月(つき)単位のものまで」

「どんなお仕事なの?」

「人ならざるものの討伐や、対象が人の時もある。戦もな」


 針一本で妖獣を倒すことができる藍鬼の実力を鑑みれば、難易度の高い任務が舞い込んでくるのは当然の事だ。


 同時に、命の保証が無いであろう事も想像に容易だった。

 誰でも死ぬかもしれないのだ。

 母さまのように。


「それでも、何度も来たい。学校の勉強も頑張るから。お願い」

「お仕掛け女房かお前は……今のは覚えなくてもいい」


 自分が漏らした軽口に苦笑しながら、藍鬼は立ち上がる。奥の一室へ向かい何かを探し出すと、またすぐ居間へ戻ってきた。


 手には漆塗りの小さい箱。

 箱を開けると中には数枚の木片と、角ばって膨らんだ巾着の袋。


 何をするつもりだろうと青が見守る前で、藍鬼は右手で小刀を逆手に握ると左袖をまくって腕にすらりと線を引いた。


「え!? な、何してるの?!」

 驚く青を置いてけぼりに、藍鬼は黙々と作業を続ける。


 腕に引いた線からぷつぷつと顔を出した血の玉を集めるように指でぬぐい、木片の一枚に血文字を書いた。

 次に巾着袋から直方体の石を取り出し、片面で傷口をぬぐって血を塗りつけ、木版に押し当てる。


 龍紋の血判だ。


「次からこれを使え」

 差し出された血文字と血の判を押された木片を、青は恐る恐る受け取った。


「この森への通行証だ。俺が生きている間は使える」

「い、いいの……? ありがとう!」

 半紙でおざなりに血を拭き取る黒い仮面の横顔へ青が破顔を向ける。


「あこぎな商売でも覚えられたら困る。子どもに何を教えているんだってな」

 薬の使い途について、根に持っていたようだ。


「日が落ちる前に帰れ」

 開け放たれた戸口から外を見る。

 影が伸びつつある時刻だ。

 森の陽が落ちるのは早い。


「今日は助かった」

 見送りの言葉へ両手をぶんぶんと振り回して応え、青は村へ続く獣道へと駆けた。



 何事もなく陣守の村まで帰還した青は、一直線に転送陣の堂へ向かう。

 木片を見せると、転送陣を護る兵たちは表情を微変させた。


「龍の血判通行証か」

「よくこんな物がもらえたな」

 二人、三人と集まる兵たちは口々にそう言って、青に勘ぐりの目を向ける。


「師匠が書いてくれたんだけど、珍しい物なの?」

 青の尋ねに兵たちは顔を見合わせた。若い女の兵が少しだけ困ったように微笑んで応える。


「それは血判通行証といってね。転送術師が術をかけた手形板に血で署名と押印する事で即席の通行証になる。ただし高難易度の任務を請け負うような、上位の職位の者にしか発行が許可されないものよ」


 ショメイ、オウイン、テガタ、コウナンイド、ショクイ、ハッコウ――知らない言葉が色々と登場したが、青は質問攻めにはせずそれらを記憶に刻み込む。

 施設の資料室で調べられる事を、学んだからだ。


 文脈や兵たちの様子から、師・藍鬼が「軍」の中で上位にあたる存在である事だけは理解できる。


「教えてくれてありがとう」

 頭を深々と下げて、青は通行証を受け取った。


 藍鬼の元へ通うためにも、陣守の村や駐屯兵たちとの関係性を良好に保つのは得策であると、頭の隅で理解していたのだった。

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