ep.3 凪之国

 森を歩き続けたこと二刻と少し。

 朝食が完全に消化されて小腹が空いてきた頃、藪を抜けると急激に開けた空間に出た。森との境から土を踏み固めた人道が始まる。まっすぐに伸びた道の両脇には獣除けの木杭が並ぶ。その先には閉じられた門が待ち構えており、門の両側には一人ずつ門衛が立っていた。いずれも肩当てと胸当てを着用した軍属と分かる揃いの武装と、紋章が刻印された腕章を装着している。

「止まれ!」

 若い門衛の声が、黄土色の袋を背負った幼い少年と、仮面の男の二人連れの行く手を止めた。警戒の色を浮かべた面持ちで接近しようとする若い門衛を、

「おい、待て、その方は」

 年長の門衛が引き止め、追い越した。「失礼しました」と藍鬼へ礼を向ける年長者に、若い門衛は戸惑いつつ後につく。

「森で保護した。街まで送り届けたい」

「迷子ですかな。承知しました。では中へ」

「開門だ」と年長者の指示を受けた若者は急ぎ門前へ戻り、中に向けて声を上げた。すると大人の背の三倍はありそうな木の門がギチギチと音を立てて外側に開く。

「うわあ…」

 門の内側に広がる風景に、青は呆けた声を漏らした。草深く鬱蒼とした森を抜け出たばかりだというのに、そこにあるのは箱庭のような村の風景。周囲は石垣で囲まれて、村の東西南北に門を構えている。田畑が石の道で区分けされ、小さな藁葺き屋根の家屋が点在している。小さい、だが人の手が行き届いた村だ。

「行くぞ」

「う、うん」

 先を歩く藍鬼の後を追って、青も村の中へ足を踏み入れる。内側にも門衛が立っていて、通り過ぎる藍鬼を目で追っていた。

「おや、どうしたんですセンセイ。子連れとは珍しい」

 村の入口は広場になっていて、店らしき小さな平屋が一軒。店の軒先を掃除していた初老の男が、藍鬼と青の存在に気づいて破顔した。

「迷子を拾った」

「おやおや」

「青。そこで少し待っていろ」

 藍鬼は店の軒先に置いてある竹の長椅子を指さして、早足で村の奥へ進んで行ってしまった。

「こ、こんにちは」

 店主にぎこちなく挨拶して、言われるがまま青は長椅子に腰を下ろす。喉の乾きを覚え、腰にぶらさげていた水筒を手に取った。

「大変だったね。でも運が良かったよ。拾ってくれたのがあのセンセイで」

「あらあら、センセイのお連れかい?」

 店の中から初老の女も姿を現す。店の主人夫婦だろう。「何か食べるかい?」と青の返事を聞く前に店の中に一度戻り、団子を乗せた皿を持って再び姿を現した。

 よそ者の子どもが珍しいのか、他にも次々と村人が愛想よく近づいてくる。農民が多いのか、中には農具を手にしたままの者もいた。麻の上っ張りを腰紐で止めただけの装いで身なりは質素だが、貧しさは感じられず誰もが穏やかだ。

「センセイって?」

 村人たちは口々に藍鬼を「センセイ」と呼んでいる。青の知っている「センセイ」は学校の先生でしかない。

「よく薬を作ってくれたり、ケガや病気を看てくれるのよ。だからみんなしてセンセイって呼んでるのさ」

「ここいらの森は薬の原料になる珍しい植物が豊富なんだけど、毒花や毒虫もいるもんだからね。センセイがよく材料を採りに来るついでにお薬や解毒剤を置いていってくれるから助かってるんだ」

 気がつけば一人、また一人と村人が輪に加わる。その誰もが藍鬼に助けられた経験の持ち主のようだった。

「何の騒ぎだ」

 藍鬼が村の入口に戻ってくると、村人に囲まれて青の姿が見えない状態だった。藍鬼の姿に気がつくと皆が道を空ける。長椅子に座った青は団子を頬張っている最中だった。

「準備ができた。それ食ったら行くぞ」

「まあまあセンセイ。ボウズ、ゆっくりお食べよ」

 青が団子を食べている間が好機とばかりに、村人たちは藍鬼を取り囲む。もらった薬がよく効いただの、ケガの手当のおかげで今はすっかり元気だの、感謝の言葉に溢れた。対して藍鬼は黒い仮面の下から小声で「そうか」を繰り返しているだけ。だが人々は「センセイ」のそんな愛想のカケラもない態度や、そもそも恐ろしげな模様の仮面も気にならない様子だ。

 一方で。村人たちの輪の外に見え隠れする門衛や、村の駐屯兵だろうか、同じ武装姿の者たちの藍鬼を観る眼には、違う色が宿っている。

「お団子、ありがとう」

「あいよ。元気でな」

 団子を食べ終え、青と藍鬼が村の奥へ向かう道中の見張り。そして村の奥に設けられた小さな堂の前に立つ警備兵らしき者たちも、同じ眼をしていた。いずれも何か忌まわしいものから距離を取ろうとしているような、だが無礼な態度を見せるという事でもなく。

「これは、何?」

 兵が堂の扉を開けると、室内は藍鬼の小屋と真逆で調度品の一つもない、がらんどうだった。ただ、床に模様を描いた跡が刻まれている。

「転送陣だ。転送術を使う事で、同じ陣を設けた場所へ身を移すことができる」

「だから陣守の村っていうんだ」

 納得する青の横で、藍鬼が兵の一人に声をかける。兵は「では」と頷くと、床の模様の前に歩み寄る。二言、三言、呪文らしき言葉を呟きながら床に手を触れると、薄暗い堂内で模様が仄かに発光し始めた。

「どうぞ」

 促され藍鬼が陣の上に立ち、倣って青も横に並んだ。見計らって兵が「転!」と一声あげた瞬間、

「…う」

 眩暈と共に景色が白くなる。たまらず青は固く目を瞑り、手探りで藍鬼の袖を掴んだ。

「慣れないうちはそうなる」

 着いたぞ、と藍鬼の声。恐る恐る目を開くと、またがらんどうな堂内の景色があった。さきほどまで目の前にいた転送術を用いた兵の姿はなく、堂の扉も村のものと異なってあけ放たれている。どこか違う場所に来たのだと、直感的に分かった。

 出口に背を向けて立っていた門衛が、転送された二人組に気づいて肩越しに振り返るも、一瞥しただけでまた背を向ける。

「うわぁ…」

 転送陣の堂を出てまず目に飛び込んだ光景は、青がこれまでに目にした建造物の中でもっとも大きいものだった。七重の塔が遠景の中央にそびえ立ち、背後には剣山のように尖った岩山がまるで塔を護るように鎮座している。塔周辺にも二重、三重の櫓や屋敷が並び、背の高い石壁が切り立っていた。

 青たちが送られた堂は繁華な場所からは離れているようだ。公園のような広い敷地内には他にも多くの堂が均一の間隔で並んでいて、白い石畳の道の左手には外界へ続く重厚な櫓門、一方で右手の櫓門は水路をまたぐ橋がかけられ門扉が開け放たれている。人ばかりではなく荷車や荷馬車の出入りもあって、それらは色鮮やかな装飾の街へと流れて行った。

 村でも、町でもない、都に来たのだ。青の少ない語彙力でもそれだけは理解できた。

「跳ぶぞ」

「へ、ふぁあああ!」

 都市の規模に呆けて口を開けていたところ、急激な浮遊感に襲われる。気が付いたら七重の塔の最上階が、青の目線と同じ高さにあった。藍鬼に抱えられて宙を飛んでいるのだ。耳元で襟や袖がバタバタと強風に煽られてうるさい音をたてる。

 眼下に都のほぼ全景が見渡せる。厚く高い城壁に囲まれた、城塞都市。剣山を背にそびえる霊山のごとく七重の塔を祀り、護るように街が裾野を拡げている。

 凪之国。母さまが目指していた場所。

「ひゃっ!」

 水に落ちたような浮遊感の直後、風の壁に叩きつけられたような圧が全身を通り抜ける。二回それが続いて目を回しかけたところで、足が床につく感触がした。

「着いたぞ」

 手を離された途端によろけた青の手が咄嗟に手すりを掴む。降り立ったのは七重塔の途中階の外通路だった。外通路と並列の中廊下を、忙しそうな大人たちが行き交っている。いずれも陣守の村の門衛たちと同属と分かる装い。外廊下に突然舞い降りた二人組に驚いたものの、誰も騒ぎ立てる事もなく一瞥だけくれて通り過ぎて行った。日常茶飯事なのだろう。

「ついてこい」

 藍鬼を追って外廊下から中廊下へ入る。

「あ…」

 ここでも、だ。

 すれ違う人々の藍鬼へ向ける視の色が、村の門衛たちと同じ。子ども連れと気づいて、中には小首を傾げる者もいた。

 ひたすら進んだ廊下の一番奥には、横幅にして大人四人ほどが並べそうな巨大な扉があった。両脇には門衛。扉の前には藤色に金刺繍の敷物。特別な部屋だと一目で分かる。

「約束はとりつけてある」

 藍鬼が一言告げると門衛は恭しく礼をして扉を開けた。反比例するように遠慮なく室内に踏み込んだ藍鬼を追って、青は恐る恐る室内へ。

「何だ。お前にそんな大きな子がいたとは」

 部屋の主の第一声は、それだった。

 広い室内の真ん中には寝台二つ分はありそうな机。片側の壁は都の全景を見渡せる総硝子張り。室内の面積の割に調度品や家財は少なく、だが殺風景に感じないのは片側の壁一面を埋める本棚と、その前に膨大な数の本が散らかって積まれているからであろう。

 声の主は、その散らかった本の前で胡坐をかいていた。藍鬼の姿を見て、本をその場に置いて立ち上がる。これまでに見てきた軍装の兵たちとは異なる藤色の長衣を羽織っていた。年は四十路半ばから五十といったところで、落ち着き払った雰囲気から、青の目には藍鬼よりもこちらの方が確かに「おじちゃん」に映った。

「難民孤児だ。保護してやってほしい」

 藍鬼の手が、青の肩に添えられた。

「どういう風の吹き回しだね。わざわざ私のところへ来るなんて」

「この恰好で役場をうろついたら障りが」

「そうではない。陣守の村の駐屯兵に託せば済んだ話だろう」

 男の含みのある問いに、藍鬼は応えなかった。そこへ、

「おじちゃんは誰ですか?」

 青のごく素朴な質問が横切る。おじちゃん呼ばわりされた事を気にした様子もなく、部屋の主は青に破顔した。青の前に膝をついて視線を合わせる。

「おじちゃんはね、凪之国の長を務めている。君がこの国で生活ができるようにする人だよ」

 微笑みを残して長は立ち上がった。

「学校の手続きはもう進めさせている。入学は五つの年の春からだけど、不明なら次の春からでも良いね。ちょうど来月だ」

 青の頭上で、大人二人が会話を進めていく。

「孤児院にも空きはあって今日からでも入れるが、どうする?」

「頼んだ」

 長へ引き渡されるように、藍鬼の手に柔く背中を押された。青は振り返って藍鬼の袖を引いた。

「お師匠とは暮らせないの?」

「え」

 仮面の下からくぐもった反応が戻った。困らせていることは分かっていたが、掴んだ袖を離さなかった。「ほう」と長が好奇心の乗った声を漏らす。

「はは、ずいぶんと懐かれたな。お師匠だって?お前弟子をとったのか」

「いや、それは」

「約束したもん」

 言いよどむ藍鬼の語尾に青は断言を重ねた。

「お前はキリンになれるってお師匠、言ったよね」

「麒麟?」

 長の瞳に鈍い光が差した。色素の薄い瞳が藍鬼を見やって、青を見て、そして再び藍鬼に戻った。長に見据えられた仮面の横顔は、口を噤んだまま動かなかった。

 何か、言ってはいけない事を口にしてしまったのか。青はただ、頭上で交わされる大人の無音の会話を見上げるしかない。

「なるほど」

 ふ、と長の口が微笑を形どった。張り詰めた糸がたわむ。長は戸惑うしかない幼子へ、再び笑みを手向けた。

「しっかり学びなさい」

 別れは淡白なものだった。

 長室を訪れた文官の女が青の手を引いて部屋の外へ連れ出す時も、黒い仮面はついに振り向かなかった。

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