ep.26 諸侯の姫(2)

 凪と、今回の目的地である炬の篝州間には、まるで城壁のように峰々が連なり続いていて、山越えを避け峰の隙間を縫うように経路をとる。


 炬之国、篝州へ続く山岳地帯は湿度が低めで、天候も安定している事が多い。春から夏にかけて、初々しい新緑が万緑に向けて色を深めていくこの季節は、心地の良い空気に包まれている。


 そんな気候も手伝ってか、馬上の姫はお気に入りのキョウに馬を引かれてご機嫌だ。


「まあ、峡谷様はまだ十八歳でいらしたの?わたくしは十七ですの。近くて嬉しいわ」


 年齢の話から始まり、食の好み、好きな色、花、動物など、キョウへ質問を乱射している。


 当たり障りないキョウの回答に、何が可笑しいのか幾度と鈴を転がすような声で笑う。


 自然と他の隊員達の口数は減り、道中は陽乃姫の声だけが響いている。


「恐れ入ります、姫様」


 渓谷の道に入りかけた頃、隊列の前方を歩いていたアザミ上士が、准士に先導を任せて白馬まで下がった。


「この先は賊が目撃されている地域に入ります。姫様の安全確保のため、しばしご静粛に願います」


 至極丁寧なアザミの進言に、姫は分かりやすく眉根を顰める。だがすぐにさめざめと泣き出しそうな面持ちになった。


「まあ、恐ろしい……わたくし怖い」

 手綱をとるキョウの手を握る。


「……」

 しまった。


 無表情なアザミ上士の瞳に、小さな後悔の影が差したのを、隊員たちは見た。おしゃべりが過ぎる事を遠回しに諫めたつもりが。


 だがこの先は賊の出現率が高い事は事実である。ただでさえ目立ちすぎる豪奢ないで立ちをしているというのに、と両上士の気苦労は絶えない。


「目立ちますね、隊列」

「普通は、着替えさせるんだけど……ね……」


 朱鷺と青の毒術師二人組は、隊列から離れた藪道を歩いている。遠目からでも一行は目立っていた。


 朱鷺いわく、通常であれば警護対象の要人には商人や旅人等に変装してもらい、馬具もあえて粗末なものに差し替えるものだ。おおかたあの姫君が我儘を言ったのであろう。


「お姫様は、よほど峡谷上士と一緒なのが、嬉しいんですね」


 苦笑する青の言葉に、朱鷺は「ん……?」と改めて隊へ視線を戻した。


「どうしましたか」

「……気のせい……かも、だけ……ど……」


 朱鷺の面が向く方へ視線を辿ってみると、馬上の姫の横顔へ辿り着く。


 アザミ上士の言いつけを守り口を噤んでいるが、機嫌の良い面持ちは変わらずで、交互に入り組むなだらかな稜線や道脇を流れる小さな沢、あちこちへ視線を巡らせている。


「来るかも……」

「何、」


 なにが、と青が言い切る前に、それらは現れた。


「止まれ!」


 藪から走り出て、一本道の先に人影が三つ現れた。


「きゃあっ!」

 陽乃姫が甲高い悲鳴をあげた。


「ここを通りたいんだったら通行料、払っていきな」

 いかにも「山賊」を絵にかいた風体の男たちだ。


 背中に大斧を背負った者、刀を数本差した者、腰帯に鉈を差している者、とそれぞれが異なる武装をしている。


 装備している衣服に統一感はなく、粗末な農作業着の下に帷子を着ている者もいれば、置い剥ぎの戦利品を寄せ集めたのか肩当、胸当て、手甲がそれぞれ異なる様式のものを身に当てている。


「降りて下さい」


 遠隔攻撃を警戒してキョウが馬上から陽乃姫を下ろし、馬と自分の体を壁にして庇う。


「峡谷様~!」

 きゃー、と陽乃姫は黄色い声を上げてキョウの背中に寄り縋る。


 殿ではトウジュが同じように侍女の檀弓を庇っているが、こちらは神妙な面持ちでトウジュや中士たちの影に身を潜めていた。


「……」

「……」

 先頭のアザミ上士と准士が顔を見合わせる。


「この道に通行料が必要だとは、初耳だが」

 三人の賊に向かってアザミが一歩を踏み出した。


「お姫さんと馬と荷物を置いていけば、勘弁してやるぜ」

 その言葉を合図にするように、蟻の子が寄り集まるかのごとく前方と脇の藪、後方からも賊が姿を現した。見えているだけで十人強。後から沸いた賊の面々も、最初の三人と同様の出で立ちだ。


「弱そう、ですよね」


 藪の中から様子をうかがう青。護衛隊の面々からも、顔を見合わせたり首を傾げたりと、緊迫感が感じられない。


 その中で、陽乃姫は相変わらず「こわ~い」とキョウの背中にくっついている。


 一方で、トウジュの背後に庇われている侍女の檀弓はしゃがみ込んで身を縮めていた。侍女の方がよほど深窓の姫君らしい。


「小物よ……あんな奴ら……よく……見て……」

 隣で朱鷺が首を横に振る。


 賊たちが手にしている武器の中には斧や鉈といった農具もあり、出で立ちも武装と言えない軽装ばかりだ。大狐が率いた賊達のような統一性がない、まるで寄せ集めの集団だ。


「勘弁してやる?こちらの台詞だ」

 先頭に立つアザミが鼻先でせせら笑う。

 護衛隊の面々も気がついているようだ。


 護衛隊側の頭数は賊より少ないが、雑魚がどれだけ集まったところで、上士が二人と准士一人、中士三人の相手では無い。


「お前たちこそ、大人しく去れば見逃そう。通りすがりのゴロツキ成敗は任務の範囲外だ。ただし」


 アザミは腰に差した刀を抜き、刃先を賊の一人へ向けた。


「そちらから手を出してくれば、容赦はしない」

「……っ!」

 鋭い眼光に見据えられて、賊は肩を震わせる。


 恐怖が伝播したように、護衛隊を取り囲む賊達が怯んでいる様子が伺えた。その様子をアザミはじめ隊員の面々は、静かに眺めている。


「成敗、なさらないの?」


 キョウの背中にくっついていた陽乃姫が、顔をあげて尋ねた。


「ご安心を。無駄な殺生はいたしません」


 顔を前方に向けたままキョウは短く答える。素っ気ない反応が不満だったのか、


「な~んだ……」

 姫は頬を膨らませて呟く。


「……」

 キョウの縹色の瞳が、ちらと姫を一瞥して、またすぐに前方に向き直った。


 前方ではアザミが賊に向け、殺気を帯びた視線を刺して威嚇を続けている。こうしている内に、賊の方から撤退していくのを待てばいいのだ。


 数呼吸分の間、渓谷の道に沈黙が走る。

 乾いた風が藪から藪へ通り抜けた。


「あぢっ!」


 誰かの小さなうめき声、それが起爆剤であったかのように、


「うぐぁ!」

「あぢぢ!」


 取り囲む賊の間から次々と声が上がる。


「??」

 護衛隊に緊張が走った。


「あっぢぃ!」


 熱い熱いと言いながら、賊の一人が懐に手を突っ込みまさぐる。手を引き抜いた瞬間、何かが手中で発光した。白い閃光が赤から黒へ変色したかと思うと、黒煙が立ち込める。


 一人だけではない、二人、三人と、取り囲む賊のうち半数の体から黒煙がもうもうと昇り頭上の宙空を覆わんばかりの勢いで拡がり、賊共の体を覆い隠した。


「ぐぉおあああ!」

「ぐ、ぐるじぃ……」

「あづい……あづぃ」


 黒煙の中から悶え苦しむ悲鳴や叫喚が聞こえてくる。


「どうなってんだよ!」

「おい、どうした!?」


 仲間に生じた突然の異変に、残った賊たちが慌てふためいている。どうやら賊らにとっても、不測の事態であるようだ。


「な、なに……」

「静かに……!」


 立ち上がりかけた青の肩を、朱鷺が掴んで押さえつける。普段の虚弱体質ぶりが嘘のような力だ。


「……自分の状況を、考えるの…よく見て…聞いて…」

「は、はい……」


 深く一つ、二つと呼吸して、青は藪に身を隠したまま、護衛隊のおかれた状況に目を凝らし、耳を澄ませた。事象から身を隠し、距離を置いた状況にいる自分にできる事は何か、考える。


「峡谷上士、これは一体……」

「……式……いや……」

 侍女を背に庇いながら抜刀するトウジュの問いに、キョウは目を細めた。


「構えろ!」

 アザミ上士の声。


 賊たちの悲鳴はいつの間にか途絶えていた。


 不規則に蠢いていた黒煙が突如、意思を持ったように天に向かい隆起する。黒い気体が次第に、頭、胴体、手、脚と生物の形状が判別できるように変化した。


「鰐(ワニ)……?」


 細長い頭部、太く長い吻から続く喉部、丸太のように厚みのある胴、そこから生える鋭く長い鈎爪を持つ前足と後ろ足、吻端から胴までより長く太い、棘に覆われた尾。大きく開口した腔内は血のように紅く、そこから二股に割れた舌が別個の生物のように蠢いた。


「いや、大蜥蜴(トカゲ)……!?」


 黒煙が完全に消え去ったそこには、人間たちを取り囲む五頭の大蜥蜴。暗灰色の硬質な鱗や棘に覆われた全長は、まるで森の倒木かのごとく太く、長く、幼い子であれば一飲みで喰われそうだ。


「な、なんだこりゃあ!!」

「ひぃええ!」


 つい先刻まで隣に立っていた仲間が、大蜥蜴へ姿を変えた。状況を頭で理解する前に、残った賊たちは本能のままに逃げ出そうと散り散りに駆け出す。


 が、


「ぎゃっあ!」


 大蜥蜴の太い尾が撓って賊の足を撥ね上げる。地に転んだ賊の胴へ、鋸状の奥歯が並ぶ大蜥蜴の口が喰らいついた。


「ひぃい!!」

 賊は一瞬、抵抗を見せて手足を動かしかけるが、


 バツン


 骨が断ち切れる音。


「きゃああああ!!!!」

 陽乃姫の悲鳴がつんざく。


 賊の体は上と下に別れ、大蜥蜴は吻と頭部に血飛沫を浴びて赤黒く濡れていた。


「ぁ……あ……」

 目の前の惨劇に、陽乃姫はキョウの背後から裾を握りしめ、顔色を青くして震える。


「見ない方が良い」

 さすがにこの状況はお姫様にはキツいかと、微量の同情を寄せたキョウの耳に、


「何よ……聞いてない……知らないわ……こんな……」

 絞り出す声が流れてきた。


「え……?」

 指先が白くなるほど強く裾を握り、歯の根が合わないほどに震える姫へ、キョウの薄氷色の瞳が瞠目した。

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