ep.27 姫の事情(1)

「峡谷上士!」

「!」


 トウジュの声。

 振り返ると、キョウの目前に迫る蜥蜴の大口があった。


「くっ!」

「きゃぁ!」


 キョウは咄嗟に陽乃を抱きかかえ横に飛ぶ。飛びかかった大蜥蜴が、目標を見失い白馬の横腹に食らいついた。馬は断末魔をあげて横倒しに倒れ、藻掻く四肢は次第に動きを止める。


「あれは…」

 朱鷺が呟き、腰を上げる。


「馬を…見て…」

 龍の手甲が、息絶えた白馬を指す。


 土に横たわる白い腹に、大蜥蜴に食いつかれた噛み跡が刻まれている。引きつって伸びた頸、上唇、下唇ともに捲れて歯が剥き出しになり、口角から泡が漏れていた。


「毒…、あれって…外来種ですね」

「シユウ君…行く…よ」


 唐突に朱鷺が立ち上がり、藪から土道へと踏み出ていった。


「はい!」

 青も後を追う。


「ひぃぇえ!」

「何なんだよこりゃ!」


 真っ二つになった仲間を置いて、生き残った賊達は逃げていく。


 五頭の大蜥蜴は賊に見向きもせず、キョウへ―正確には陽乃へ牙を剥いた。肥厚した表皮に覆われた分厚い体躯に似合わぬ速度で、五頭同時に地を這い疾走る。


「いやぁっ!」

 悲鳴をあげ陽乃がキョウに抱きついた。


「風神…」

 陽乃を抱えたままキョウは風術で宙空に逃げる。


 が、大蜥蜴らは尾を発条(バネ)にして体を撓らせ、一斉に空中のキョウと陽乃を狙って口を開け跳びかかった。


「なっ…!」

 意表を突かれたキョウが瞠目する。


「天嶮!」

 地上からトウジュの地術が発動する。

 隆起した土と岩が杭となって、キョウを狙った大蜥蜴を跳ね飛ばした。


「いいぞ、榊」

 大蜥蜴の一頭へ、アザミが苦無を投げつける。

 だが硬質な鱗に跳ね返された。急所を狙わなければ意味が無い、と悟る。


「そいつは炬之国の固有種で、猛毒持ちです!」

「!?」

 面々が青の声に反応を示した。


「少しでも爪か牙が掠ったら退いて下さい!」

「助言感謝する!」

 アザミが応える。


「助かるわ…私…大声出せないから…」

「大声は任せてください」


 朱鷺と青は、栗毛馬の足元にしゃがみ込む侍女の檀弓の元へ向かう。


「助太刀感謝です!」

 毒術師二人と交代する形で、女子中士二人は武器を抜き前へ出ていった。


「ひっ…」

 蹲っていた檀弓が顔を上げ、朱鷺の出で立ちに一瞬、肩を震わせる。


「大丈夫…私達は…凪の、毒術師…」

 朱鷺が傍らにしゃがんで、侍女の顔色を覗き込んだ。

「ねえ…あなたって…」


「グギャッ」


 朱鷺の声に潰れた悲鳴が重なる。口から刀を串刺しにされた大蜥蜴が、アザミの足元に転がった。


「よし…まず一匹…口は弱いみたいだ」


 動かなくなった大蜥蜴から刀を引き抜き、アザミは顔を上げる。残り四頭の大蜥蜴がなおも執拗に陽乃を狙って這いずり、飛びかかろうとしていた。


「きゃああ!!」

「風壁!」


 キョウは悲鳴をあげる陽乃を片手で抱え、空いた片手を振り抜き風術を発動させる。


 風の壁に弾かれた大蜥蜴らは、体を撓らせ尾で巧みに体勢を変え何度でも襲い来る。体躯の巨大さに反して俊敏なのだ。人を抱え、しかもしがみつかれた状態では、さすがのキョウも十分に戦えない。


「そいつは俺が!」


 キョウへ飛びかかろうとする一頭の上から、准士が脳天に全体重をかけて双脚を振り下ろす。


「雷神…」

 雷術の唱えに応じ、組んだ両手を包む雷土が閃光の鉾と化した。


「蒼槍!」

 両足で大蜥蜴の頭を踏みつけ両手を頸に振り下ろす。


 氷を砕くような音と共に硬皮が割れ、皮下の肉を顎下まで貫いた。


「離れて!」

 青が叫ぶ。


「――え…っ」


 青の声に、反射的に准士が飛び退こうと体を逸らしたと同時、大蜥蜴の喉から吻にかけてが膨張し、破裂した。


「っぐあ!」

 黒ずんだ緑の液体が吹き出し、飛び散る。


 液体をまともに浴びた准士が、地面に倒れ込んだ。そこへ別の大蜥蜴が口を開けて襲いかかる。


「させねぇよ!!」

 その口を目掛け、トウジュが刀を突き刺した。


「炎神、業火球!」

 続けて腔内へ炎術を叩き込む。


「ゴァ”ッ!」

 悲鳴か燃焼音か判別できない音がして、黒焦げた大蜥蜴が引っくり返って動きを止めた。


「玄野准士!」

 倒れた准士へ駆け寄ろうとするトウジュを、

「任せて下さい」

 青が止める。

 トウジュの前に割り込んで准士の側に膝をついた。


「すまねぇ、頼んだ!」

 トウジュの声を背中で受けながら、青は道具入れから取り出した符を、准士の首筋付近に押し当てる。


「解呪」

 符の文字が青白く発光し、青の手中で強く瞬く。


「っつ…!」

 手の平を焦がすような熱に、青は目許を顰める。

 毒が、強い。

 片手の上にもう片手を重ね、気を手元に集中させた。


 光を握りつぶすと、掌中で符が燃え落ちる音。そっと開くと、掌を焦がす火傷と、いつもより嵩が多い黒煤が残った。


「退避させます。動かしても大丈夫でしょうか」

 そこへ女子中士が駆け寄る。青の頷きを見て、意識の無い准士の上半身と下半身それぞれを持ちあげた。


「玄野准士……」

 准士が手当されている様子にキョウは、短く安堵の息を吐く。


 大蜥蜴は残り三頭。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る