ep.26 諸侯の姫(1)

 青が蟲之区を出ると、凪の都にはすでに夜の帳が下りていた。初夏特有の、湿り気のある重たい空気の中、街の灯りが蛍火のように浮かんでいる。


 チイ


 青を待ち構えていたかのように、頭上に式鳥が舞い降りた。


「一師から…え、明日?」


 脚に結び付けられていた文は朱鷺からのもので、明早朝に西の大門前広場に集合との呼び出しだった。


「今日の明日でいきなりか。任務じゃない、よね」


 あの人は本当に虚弱体質なんだろうか。そんな疑いを抱きつつ、青は明日以降の勤休を得るために三葉医師へどう説明するべきかを考えながら、帰路についた。



 翌早朝、西の大門前広場にて。


「素材採りですか」


 指定の時間通りに姿を現した朱鷺から、その日の目的を聞かされる。


「ちょうどいい…任務が、あったから…」


 朱鷺の説明によると、高位の技能師に与えられる特権の一つに「任務の便乗」があるらしい。


 僻地や遠方地等の危険が伴う場所への素材収集が必要な場合に、任務管理局もしくは任務担当の准士以上の士官の許可を得られれば、無償ではあるが任務に便乗する形で同行する事ができる、という制度だ。


「そんな便利な制度があるんですね!」


 過去の任務履歴閲覧権限、指名制度、便乗制度と、高職位の利点の多さに驚かされる。


 この時ばかりは「早く昇進したい」と打算を膨らませる青であった。


 今回便乗する任務は、凪の西に隣接する炬之国への要人警護とのこと。朱鷺の目的は国境地域で採取できる植物や生物だという。


 朱鷺と青は越境許可を取得していないので、本隊が要人を炬之国内の目的地へ無事に送り届けた後の復路にも同行する事で、往復での安全確保を狙う算段だそうだ。


「何往復も…しなきゃいけないんですって…大変よね…」

 頃来の凪は炬との交流が盛んで、お偉いさん方の来訪が断続的だという。そのために、日程を分けて小隊で凪と炬を数往復するのが今回の任務の内容だそうだ。


「朱鷺一師」

 二人の背中に、声がかかった。

 聞き覚えのある声に振り返ると、


「っぇ」


 そこに立っていたのはキョウ。「おはようございます」と初夏の湿気を吹き飛ばす爽やかな笑みを、毒術師の二人へ交互に向けた。


 反射的に声を漏らしそうになって青は辛うじて息を吞み込む。今の自分は、大月青ではない。


「峡谷上士…同行許可…ありがとう…こっちは、シユウ佳師…」


 朱鷺に紹介されて、青は「よろしくお願いします」の一言だけ添えて一礼した。知人の前では極力、言葉数は最低限にしたい。


「峡谷です。よろしく」


 技能師の事情を察してか、言葉少ない青に厭な顔を見せずキョウは軽く会釈で返す。


 青は内心で安堵した。


 キョウから他国へ長期間の任務と聞いた時は、遠方の国に長期間滞在する危険な戦任務の類だと早合点していた。


 実際は隣国への往復が続くために若干の長期間が見込まれるというもので、危険度は低い。


 だが今回の任務は、まったく別の点で厄介であると、青たちは直後に知ることになる。


「峡谷さま~!」


 離れた所から、裏返ったような高い女の声が、キョウを呼んだ。


 護衛隊の面々が集うところに馬が二頭。

 うち一頭は栗毛で背に荷物が括りつけられている。

 もう一頭は白馬で、こちらは手綱、鞍、鐙などの馬具は紅を基調に、鞍に至っては螺鈿や蒔絵で美しく装飾されていた。


 白馬の側に立つ女―年の頃からすれば十七、八ほどの少女が、こちらに向けて手を振っていた。


 旅装束にしては機能性が低そうな、長い袖や裾の衣を身に着けている。秋に燃ゆる黄紅葉のような明るい髪の毛を、紅や桃の飾り紐で飾っていた。


「あぁ…では、これで失礼」


 少し困ったような苦笑いを残し、キョウは手を振る女の元へ向かった。


「…おひいさま…って、とこかしら…」

「馬の装飾も、お召し物も、すごく豪華ですね」


 朱鷺から渡された任務手配書の写しによると、本日の護衛対象は、炬之国の諸侯の娘、陽乃(ひの)姫。父親である州侯と共に凪へ使節として訪れていたが、帰路は州侯と別日程となっている。


「ん???」


 任務依頼書に目を通していた青は、再び息を呑む。参加隊員の中にもう一人、見知った名前があったからだ。


「トウジュも…!」


 榊玄朱(さかき・とうじゅ)。

 初等学校時代の同級生で親友だ。


 更に青が驚いたのは、トウジュの位が「中士」と表記されていた事。


「すごい!昇格したんだ」

 我が事のように嬉しく感じながら、友の姿を探す。


「榊君、知ってる?」

「ん?」


 近くでそんな声が聞こえた。見ると、数人の中士らしき若者が地図や資料を手に寄り集まっている。女二人と、男一人。男はトウジュだった。


「あのお嬢様、峡谷上士がお目当てみたいよ」

「あからさまよね~」


 女二人は冷ややかな目を、白馬の側に立つ陽乃姫へ一瞥させる。


 諸侯の姫、陽乃はキョウを前に表情を輝かせて楽しげに話をしている。時おりキョウの腕に手を絡めるなど、なかなかに積極的だ。


「さすが峡谷上士、すっげぇオトコマエだもんな~」


 呑気なトウジュへ、女子中士二人は「そういう話をしてるんじゃないの」と呆れた溜息を向け合う。


「私、前回も峡谷上士と一緒に護衛を担当したんだけど」


 女子中士の話によると、前回は父親である州侯と娘の二人を炬まで護衛する任務で、隊の人数も今回の二倍規模だった。その時にどうやら陽乃姫がキョウに一目惚れしたらしい。


「今回だって本当なら州侯と一緒にお帰りになるはずだったんだけど、姫君がどうしても急ぎのご用件で先に帰るって言って聞かなくて、急遽組まれたんだから」

「えーあからさま。それって父親抜きで峡谷上士と一緒にいたいからじゃない」

「そんな我儘のせいで、こんな早朝から招集かけられる身にもなってほしいわよね」


 女子二人の愚痴が治まる様子を見せず、トウジュは身を縮めてその場から離れた。待機する馬の方へ歩いていくと、キョウの背中へ声をかけている。


「うわ、見て」

「あーあ。榊君すっごい睨まれてる~」


 女子二人の言う通り、キョウに背を向けられた陽乃姫が、トウジュへ恨めしい視線を送っている。トウジュとしては上官へ挨拶し、任務内容の確認をしているに過ぎないのだが。


 そんな中、ふとトウジュが肩越しに女子中士へ視線を寄越した。そして悪戯に成功した少年のように笑って小さく舌を出す。


「やっだ~あれわざとだったのね」

「やるわね、榊君」


 どうやらあえてキョウに声をかけて、陽乃姫の恋路の邪魔をしに行っていたらしい。


 女子中士たちも気が済んだようで、噂話を止め、集合する隊員たちのもとへと歩いていった。


「今回は色々な意味で、大変そうな任務ですね」


 初めて遭遇する類の任務だ。青は肩をすくめながら、隣の朱鷺の様子をうかがう。


「ま…お偉いさんが…絡むと…色々、ね」


 この手の任務においては、家柄の良い士官や、見目が良い士官が駆り出されるのだという。


 相手が男の諸侯であれば、好みに合わせた女性士官が選抜される傾向にあるなど。


 これも外交の一種というわけだ。


「きゃっ」


 キョウに支えられて馬上へ上がる際に、よろめいて抱きついたりなど、姫はなかなかの策略家だ。一方でキョウは、塗り固めた微笑を微動だにさせず淡々と「任務」を遂行している。


「カッコいいってのも、大変なんだな…」


 キョウの気苦労を思い遣りながら、青は出立準備が終わりつつある隊列を眺めた。


「檀弓(まゆみ)は下がっていいのよ」

「しかし陽乃様…」

 早速、小さな揉め事が発生しているようだ。


 白馬の手綱を持つ侍女が、困ったように馬上の姫を見上げる。陽乃姫は白馬を引こうとする侍女へ、隊列の最後尾につくように命じているのだ。


「わたくしの近くにいると、檀弓も危ないわ。だからあなたは後ろにいなさい」

「ですが…」


 長い黒髪を後ろに束ねた若い侍女は、手綱を握ったまま目を伏せる。周囲の中士達は「やれやれ」という顔で待っていた。警護対象の姫の側が最も安全で、隊列の最後尾はむしろ危険である事は周知の事実だ。


「峡谷様、わたくしの馬を引いて下さる?」


 陽乃姫の魂胆は分かりやすく一貫していた。侍女、檀弓の手から手綱を離すと、キョウへ差し出す。


「…それは」


 だがキョウは上士として隊列を先導する責務がある。どう応えるべきかキョウが言い淀んでいると、そこへ、


「私が先導する」


 と凛とした女の声が前へ出た。


「先輩」


 護衛隊に参加する二人目の上士、菊野アザミだった。


 短く切りそろえた黒髪に、その名の通り薊色の組紐を結わえている。年の頃は二十代の若手で、怜悧で涼やかな美貌の持ち主だ。


「峡谷君は姫様の馬を引いて差し上げて。榊、古暮、黒川の三名は殿をお願い。檀弓女史をお守りするように」

「承知」


 トウジュと女子中士の三人が殿の位置へ移動。


「お手間をとらせてしまい申し訳ありません」


 それを見て侍女はやむなしといった様子で、隊員たちへ深々と礼をし、白馬から離れて姫の後方についた。


 キョウが手綱を握った様子に馬上の姫は、満足げだ。


 こうしてアザミ上士の瞬時の判断と指示で、場が即座に収まった。


「…こういう時は…技能師で良かった…って…思う…わね」


 仮面の下で小さな笑いを漏らしながら、朱鷺は動き出した隊列から距離を置いて歩き出した。今回は便乗なので、隊列に添う必要はないのだ。


「確かに」


 馬上の姫からしきりに触れられたり、話しかけられ続けるキョウの背中を、青は気の毒に思いながら見守った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る