ep.10 修行

 青が凪に来て迎える、三度目の春。


 麗らかな陽の光を受けて、森は新緑や若葉の柔らかい緑に包まれる。

 一斉に咲きだした花々をハチが忙しなく行き交い、キビタキやシジュウカラの囀りが飛び交っている。

 春の音色を浴びながら、藍鬼は森の小道を歩いていた。

 ふと、仮面を装着した顔が、斜め上に向く。手の中で弄んでいた木の実の一つを、軽く手首をしならせて空中に投げつけた。木の実がナラの木の枝に当たると弦が弾けたような音、直後に目の前で網が引き上がった。驚いた鳥たちが周辺から一斉に飛び立つ音が続く。

「えーー!なんで分かったの!?」

 その向こうから青が姿を現して、がっくりと腰を折る。

「小枝が不自然にしなっていた。それを隠そうとして枝葉を被せていたな。逆に目立つ」

「くっそーー!」

 くやしがる少年の声が森に木霊した。もう数え切れないほどの連敗を重ねている。

 これは技能職位の罠工一級の試験に向けた練習。

 座学で何とかなる三級、二級と異なり、一級には実技の二次試験があるためだ。課題となる罠を設置し、その出来栄えで合否が決まる。

 実のところ現時点での罠の完成度ではとうに一級の合格基準を越えているが、そこで満足する事は許されない。まだその先が続くのだから。

「今のはどうしたらいいのかな…」

 罠の発動装置をしかけてあったナラの木を見上げ、呟く青。

「あの場合は、」

 吊り下がった網を迂回して、藍鬼が青の元へ歩み寄ろうと踏み出すと、

「っ!」

 突如、足元から水が噴出して仮面と前髪を濡らした。反射的に顔を逸らす。

「な…」

 何が起きたのか瞬時には理解ができず、藍鬼は水の噴出元を探ろうと前を向く。

「やったーー!!かかったーー!」

 飛び上がって喜ぶ青がそこにいた。

「まさか」

 思いついて藍鬼は片膝をつき地面に左手を添えた。

「そこもか」

 右手で苦無を握り、更に一歩先の地面に投げつける。刃先が土に突き刺さると、そこからも水が噴出した。他にも三箇所、苦無を投げると同様にすべての箇所から水が噴出したのだ。

「澪と蠢動と主根の応用か」

 藍鬼が青に伝授した水術・澪は、意識を潜り込ませて水脈を探る。

 地術・蠢動は地をうねらせ水を引き寄せ、更に主根は澪の地術版で根を通じて地中の情報を読み取る。

「当たり!水を根っこに瘤みたいに溜めて、上から踏むと破裂して水が出るようにし

たんだ。目潰しの水とか、すっごい辛い水とかにしたら敵をひるませられるよね」

「……」

 藍鬼は沈潜したように黙り込む。立ち上がりながら、前髪から垂れる水を指先で払った。

 もしこれが水ではなく、目潰しや激辛の液体でもなく、自分のような高位の毒術師が作った毒薬であったなら。

「俺は死んでいた…」

「?」

 聞こえなかったようで首を傾げる青を他所に、藍鬼は周囲を見渡した。自分を取り囲む水罠の跡。まるで地雷原の只中だ。

「青」

「うん?」

 無邪気な顔で待つ弟子へ、師は歩み寄る。最大限の注意を払いながら。

「今の水罠は、甲の試験までとっておけ」

 甲は一級から更に、丁、丙、乙の試験を経て、最後の上位資格だ。合格するには、自作罠の考案を課せられる。青の発想力はその域にあった。

「俺の負け。合格だ」

「!」

 途端、青は破顔して藍鬼の腹に抱きついた。

「ししょ、」

 が、空振りする。青の腕の中から藍鬼の体が消失し、抱きついた勢いのまま青は前方に転がった。その先には、なぜか落とし穴。

「わわわ!!」

 情けない声を残して青の小さい体が穴底へと消えていく。

「いてて…ちょ、何…」

 藁と草まみれになって見上げると、穴の上から黒い仮面が覗いた。

「俺がただで負けるとは思うまいな」

「くっそーー!!」

 穴の底で暴れる弟子の様子を、師は楽しそうに観察するのであった。


 式術の場合は、二級から実技試験が伴う。

 式術は使役術とも言い換えられ、手法が様々に存在する事から、非常に広義的な分野である。

 極端な喩えをするならば。

 獣を飼育し調教して使役する事も、妖魔や鬼を調伏し式符や使役者自身に封じて使役する事も、広義的には同じ「式術」に分類されるのだ。

 最も広く一般的に使われるのは伝達手段として鳥を使役する術だ。手紙を運ばせる、もしくは声を模写させて伝言を文字通り「飛ばす」のだ。これは二級の実技試験で必須の実技であり、式術の資格を有していなくとも、ほとんど全員の法軍人が式鳥を使えると言っても過言ではないほど、任務には必須の術だ。

 一級の実技試験は、使用する式は自由で、対象物へ攻撃もしくは使役者を防御する手段をとらせる事が求められる。

 前述の通り式術の意味は広義であるため、使役する対象を得る方法も様々ある。どの手段を使用するかは、一級の時点では自由だ。

「これが「式符」だ」

 青の前に差し出された長方形の紙には、達筆な文字列が並んでいる。以前であればミミズが這ったような模様にしか見えなかったであろうが、三級と二級を取得した青には判読ができた。

「狼の式符って書いてある」

「ホタルが作ったものだ」

 白頭巾の式術師の名だ。符には確かに、獅子の押印がされている。

「一級合格まではまず式符を使いこなせる事を目標にしろ」

 一般的に、式術を学ぶ順番として藍鬼の指導は正しい。式術も五大国によって汎用的な術式が確立されており、その手段が符を使う方法である。法軍人には任務や戦の必要に応じて式術師が作成した符が支給される事があり、当然それには符を使う技術が求められる。技術がなければ符はただの紙片でしかない。

「他は後から好きに学べば良い」

「そういうものなの?」

 青は式符を眺めて首を傾げる。

「まず使ってみろ。要領は神通術と似ている」

「う、うん」

 青は人差し指と中指に符を挟み、顔の前に掲げる。本だけで学んだ式の呼び出し方をそのまま倣った。

「青の名のもとに命ず」

 使役者の名が式呼び出しの唱えとなる。応じて符にしたためられた文字列と印が淡く発光し、指を包むように発火し、

 ポン

 と空気が抜けたような音がして光は消失。

『キュウゥン…』

 弱々しい鳴き声と共に現れたのは、青の両手で抱けるほどの子犬だった。

『キャンキャンキャン!』

「……」

「……」

 足元を走り回る子犬を、二人は無言で眺める。

「僕、狼ってちゃんと見たことないもん…」

 子犬は青の足首を甘噛している。

 青が知っている「狼」は、暗い森で怯えた遠吠えでしかない。

「そうか。だが一発で顕現させたのは幸先が良い」

 懐からもう一枚取り出し、藍鬼も符を構えた。青と同じ狼の符。

「藍鬼の名のもとに命ず」

 唱えに応じて符が発光し、発火。赤と黄色い炎が白色に瞬き、蒼色へ転じそして黒い影となって膨張、

『オォオオオーーーーーン』

 頭上に伸び上がった黒い影は四つ足の獣へ転じ、吠え声を上げる。「わあ」と青が口を開ける前で、灰色の大型の狼が藍鬼に寄り添って地に降り立った。

「かっこいい」

 同じ式符でも、使役者次第でこれだけの違いが出る。

 子犬はキャンキャンと甲高い声を上げながら、狼の足元にじゃれつく。

『ガアッ!』

 狼が一吠えすると、子犬はキャンッと鳴いてひっくり返り、小さな煙となった。

「消えちゃった」

 神通術と同じで、式同士も力の強弱でこうなる、という良い例だ。

「よく観察してみろ」

 藍鬼が促すと、狼は青の前に歩み寄り腰を下ろした。

「式も、強く、具体的に思い描く事が大事だ。だから目にしたことがない、戦ったことがない類の式を扱う事は難しいわけだ」

 よって式術は戦いの経験が大きく影響し、上位の式術師には老齢者も少なくない、息の長い職位とも言える。

「お前が目にするもの、遭遇するもの全ては糧となる」

 狼へ恐る恐ると手を伸ばす弟子を、師は一歩引いた場所から見守る。

「目の前に在るもの、起きている事に意味を持たせられるかは、お前次第だ」

 藍鬼の言葉に沿うように、狼は自ら青の手へ顔を擦り寄せた。

「常によく観察し、考え続けろ」

「……」

 蒼はふと、狼の体を撫でる手を止め、顔を上げる。

 師の語調に、常と異なる違和を感じたからだ。

 仮面越しに重なる視線は、ふいと師の方から外された。

「もう一度、やってみろ」

 新しい式符が、青の前に差し出される。再び、狼の符。

「うん…」

 渡された符を指に挟み、顔の前に掲げる。符の向こうに大人しく座る、藍鬼の狼がいる。

「青の名のもとに命ず」

 名乗りに応じて符が発火。光は赤、黄、蒼へと変化し、最後に黒い影となる。最初と明らかに異なる反応を見せていた。

『ァォオオオーーー!』

 甲高い遠吠えと共に、黒い影は成犬ほどの体長の狼へと変化した。藍鬼の狼の半分ほどではあるものの、狼と判別できる蒼色の毛並みが地に降り立つ。

「狼っぽい!」

「だいぶマシだな」

 蒼色の獣は青の傍らに寄り添い立ち、藍鬼の狼をじっと見つめている。

「師匠の狼がカッコ良かったから、それっぽいのを思い浮かべたんだ」

 満足げに式をなでる弟子に向けて、師は軽く指先で空気を払う仕草をした。突如、大人しく座っていた灰色の狼が助走なしにその場で宙空に跳躍する。

「!?」

 灰色の獣は体をしならせ、青へ口を開けて襲いかかる。

「わわっ!」

 無意識に両手を顔の前にかざすと、蒼い影が動いた。

『ガウッ!』

 短い吠え声と共に蒼い狼が灰色の狼へ体当たりし、灰色の狼は体を翻して藍鬼の足元へ退避した。

「還れ」

 藍鬼の短い命を受け、灰色の狼は尾を一振りして煙となって消え去った。

「ど、どうしたの…?」

「式術との相性は良さそうだな」

 疑問符を飛ばす青の向かいで、黒い仮面は頷く。どこか安堵したかのように。

 式術一級の実技試験は「対象物へ攻撃もしくは使役者を防御する手段をとらせる」こと。

「今のを本番でできれば、合格だ」

「本当!?」

「敵」が消失したと判断した蒼色の式も、尾を一振して煙となった。

「手を出せ」

 言われて差し出した青の両手のひらの上に、

「練習用をホタルに用意してもらった」

「え」

 式符の束が置かれた。ずいぶんと重量感と厚みを感じる枚数だ。

「全て消費する頃には精度も上がっているだろう」

 もしかしてあの日、青を見やった白頭巾の向こうから刺々しい視線を感じたのは、気の所為ではなかったのかもしれない。弟子の練習用に何十枚と符を書かされては無理もないことだ。

「ホタルさんにお礼を言っておいてね…」

 青の冷や汗が一雫、式符の束に落ちるのであった。


 森の中での修行を終えると、次は小屋に戻って薬術と毒術の試験勉強だ。

 薬術と毒術の一級試験にも例に漏れず実技試験がある。

 いずれも形式は似ていて、会場に用意された大量の薬草や植物の中から適切な材料を選び、指定された品を完成させるというもの。

 出題傾向は決まっていて、薬術は傷や火傷の塗り薬もしくは疲労回復や滋養強壮の飲み薬―もとい健康茶とも言うが。毒術は特定の症状用の解毒薬もしくは害獣や害虫に効果のある毒物や痺れ薬だ。一級の段階ではまだ、一般家庭でも使われるような効能の弱い薬が課題の対象となる。

「そうだ、前から聞きたかったんだけど」

「うん?」

 青は半紙の上に拡げられた素材を仕分けする。その様子を藍鬼が部屋の隅で針に鑢をかけながら「監督」していた。

「一師(いっし)ってどういう意味?」

 何故その質問を、というように仮面が顔を上げた。

「ハクロさんやホタルさんが、師匠をそう呼んでた気がする」

「ああ、敬称みたいなものだ。学校で言えば「先生」といったところか」

 藍鬼は腰を浮かして近くの文机から筆と、書き損じを綴った雑記帳を手繰り寄せた。空いた頁に書き込まれていく様子を青が正面から覗き込む。

 麒麟 特師(とくし)

 龍  一師(いっし)

 獅子 二師(にし)

 虎  練師(れんし)

 狼  佳師(かし)

「公式ではないから、教本には書いてないだろうな」

「龍とか獅子って呼ばないの?」

 公に技能職位の「麒麟」「龍」といった称号は、総合職位の「特士」「上士」と同義であるが、当の技能師らが称号名で呼び合う事を避けた結果、総合職位に似た呼称が自然と浸透した。

「俺も龍と呼ばれるのは居心地が悪い」

「そ…っかぁ」

 価値があるのは俺じゃなくてその紋章だ―以前に、藍鬼が言っていた言葉が青の記憶に呼び起こされる。

 麒麟や龍をはじめ、技能職位の師の称号は、いずれも神話や伝承において神獣とされる存在だ。龍の箔押しがされた薬瓶に入っている薬の方に価値があるのであって、技能師そのものが神獣に並ぶのは畏れ多いという訳だ。

 青にはまだ少し難しい感覚であるが、それが技能師の矜持であるといずれ身をもって知る事になる。

「少々、気が早い話をするが」

 弟子がすり鉢で実をすり潰す音に、師の独り言のような声が重なった。

「なに?」

 止まりかけた擂粉木。「続けろ」と促され再び動き出す。

「狼以上の専門職は、道を一つしか選べない事は知っているな」

「うん」

 甲以下を「資格」、狼以上を「専門職」と分類する理由はそこにある。

 狼から初めてその職位の「師」を名乗る事が許され、各技能師はその分野の水準維持と探求の継続が厳しく求められる。道の邁進には他の道との兼業が許されず、故に「師道」と謳われ尊ばれる。

「いずれ、道を選ぶ日が来る」

「師匠、僕、」

「だが今決める事ではない、と俺は言いたいのだ」

 藍鬼の、少し強い語気が青の声を遮った。

「お前が大人になる十年、二十年の間に、転機は何度も訪れる。転機というのは、考えや意識を変える出来事、ということだ」

「……」

 擂粉木を持つ青の手は完全に止まっていた。

「それまでは、とにかく多くを見聞きし、学び、己を鍛えろ。道を選ぶのはそれからでいい」

 黒い仮面は、まっすぐに弟子を見据えている。

「…師匠?」

 昼間にも森で感じた違和が、ここでも青の胸中に灯り、点滅した。

 沈黙に没む室内。開け放たれた戸口の向こうから、成熟した春告鳥(ウグイス)のさえずりが聞こえ始めていた。


 期限の夏は、確実に近づいている。

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