第5話 トランス反則
「そうじゃないと思うよ」
「そうじゃないなら何だって言うのさ」
「すっごく暖かくて、気持ちいいものだよ」
ベルは軽業師のように、高く飛んでバク転して足でヤヴェイロンの首を掴む。腹筋で上体を起こし、彼女の後頭部を殴る。
「はっ、反則だろ。そんなの」
「私はラビットパンチは反則じゃないと自認しています」
ベルはそう言いながら、淡々とラビットパンチを繰り出している。
「あんたが私の首にくっつくっていうなら好きにしろよ」
ヤヴェイロンは高く跳んだ。天井すれすれで頭から地面に叩きつけるような落下姿勢を作る。
ベルはすぐに離脱し、空中で身体を翻し、受け身を取って落下の衝撃を最小限に留めた。
その一方で、ヤヴェイロンは地面に頭を強打した。
昏倒しそうになるものの、負けたくないという意地に突き動かされてか、立ち上がる。
ふらついているヤヴェイロンの隙を見逃すほど、ベルは甘くない。顔面目掛けて痛烈なハイキックが炸裂する。更に不幸なことに足の指先は眼球に突き刺さる。
「反則だ」
「私は目潰しを反則じゃないと自認しています」
「カメラで見てるだろレフェリー。こいつを反則負けにしろぉ」
「ならあなたが先に言いなさい。私は体重を偽って試合に臨んだと」
「まけ、負けられないんだよ。私は。あんたを倒して百人目。私はC級のフェミニストになる!」
ヤヴェイロンの目の色は変わった。
ヤヴェイロンがフェミニストになる野望に燃える理由は単純明快だ。女性優位思想の時代、女性優位を築き上げてきたフェミニストになるということは大変な名誉があることだ。更にフェミニストの上澄みである超A級フェミニストになると社会的地位と、名誉、財産を手に入れることができるのだ。
(フェミニストは狭き門。さんざんズルした上に格下に負けるような人間にはなれない。奴はなにがなんでも勝たなければならないと焦ってくる)
ベルはヤヴェイロンのウィークポイントを見抜いた。それと同時に潰した右目側に動くように立ち回る。ローキックで下を削り、コンビネーションでダメージを蓄積させる。
「格下に負けて自分の夢を破られる気分はどう?」
「まっ、負けない!」
「ぼこぼこに削られてうすのろになったあんたとなら今の私でも十分打ち合える。さぁやろう」
正々堂々と打ち倒してやるという怒りが、ベルの身体を熱くさせた。
「舐めやがって」
ヤヴェイロンの攻撃を見切って躱すのが馬鹿らしくなるほど遅く見えた。
最小限の動きで躱すと同時に、燃える拳をヤヴェイロンの顔面に叩きつけた。
この炎が、彼女の見た最後の光であった。
ベルは卑怯な戦士が重い音をたてて倒れるのを見届けた。
(よし。勝った。勝ったぁ。ざまぁみろ。学園の馬鹿どもめ……)
「これで釈放ですね」
「こっ、抗議します。ベル・ウララは試合の終盤に目潰し、ラビットパンチなど様々な反則行為を致しました。この試合は彼女の反則負けです」
ベルの言葉に対して真っ先に反対してきたのはアリゾナ・プラムである。
「私はトランス反則です。目潰しも、ラビットパンチも反則だと思っていません」
「そんな詭弁は通りません」
「あんたらのトランスウエイトだって詭弁だろうが!」
アリゾナはベルの反論に鼻白み、なにも言い返せなくなっていた。
「あんたの道理は外道の道理」
「おっ、落ち着きなさいベル・ウララ。あなたの勝利は認めます。だから」
「アンチフェミ拳法。烈火拳」
摩擦熱か、炎か、赤く光る拳の百連撃がプラムの顔面に叩きつけられる。この間、やられている彼女はなにも言えずにやられるばかりであった。
最後の一撃の時、特に拳が赤く眩しく煌めく。
大爆発が起こり、それに吹き飛ばされたプラムが地下の天井をぶち抜いてぶっ飛んでいった。
「アリゾナ・プラム教諭の抗議通り、今の勝利には疑問があるわ」
と言って抗議してきたのは観客席から試合を見ていたアリスであった。
「アリス。なんでそんなことを言ってくるの?」
「さっきの私は友人として負けてしまうあなたを守るために言ったこと。あんなインチキまがいの勝ち方をして釈放されようとするあなたを私は許せない」
「くっ」
アリスは若干十四歳でC級フェミニストになってしまう才媛であった。
(アリス。私達はもう……)
ベルはアリスと道を違えたような寂しさを感じながらも、それを顔におくびに出さないようにした。
「アリス・F・ミラー。私はテロリストじゃない。おかしいと思ったことにおかしいと言っただけだ」
「みんなはそう思っていない。あんたは有望なフェミニスト候補の将来を卑怯な方法で奪った」
「有望なフェミニスト候補というならトランスウエイトとか、馬鹿なことを言わないででルールを守って試合をするべきだ」
とベルは言い返す。
「ベル・ウララ。これ以上反抗的な態度を取るというなら逮捕します」
「せっかく釈放されたというのに素直に応じるわけにはいかない」
「なら素直になるように力で分からせてあげる」
アリスの身体が青色に光り始める。光の輝きが急激に増した。
ベルはアリスを中心に暴風が吹いているような錯覚を起こしてしまい、思わず体を逸らしてしまう。
「どうしたのベル?」
「別に。ちょっと驚いただけさ。フェミニストってのはこんな化け物だったとは」
「私より強い奴はゴロゴロいる。でもあんたは私の手で捕まえる」
アリスのオーラが水へと作り変えられた。彼女を中心に会場を飲み込むほどの水が流れ出す。
彼女は水の方向を操り、自分とベルを水の壁で囲う。
「ベル。別れる前に少しだけ話をさせて」
「うん」
ベルは今のアリスは友人として接してきているということに気付き、口調を元に戻した。
「あんたはやっぱりここから出るの?」
「うん。だって勝ったし」
「この試合は負けしかない。それを無理に覆して勝ったということはあなたは私達の敵になるということ」
「知ってる」
「指名手配されて追われることになるかもしれないのよ。その意味は分かってる?」
「うん」
「今自首すれば私がなんとかすることができる。十年の刑期だって、絶対に縮めてみせる。その後、私の下に来るというならあなたに一生苦労させない」
「アリス。なんでそこまで頑張るの? あなたにはメリットはないじゃない」
「好きだからよ。なんでそんな単純なことも分からないのよ」
「アリスが……」
ベルは思わず動揺してしまった。
「もう一度聞くわ。私についてくる? それとも敵対する覚悟はある?」
アリスは顔を赤らめながら、ベルに向けて手を差し伸べた。
ベルの答えは決まっている。
言葉に出すのが非常に躊躇われた。これを吐くということはすなわち、彼女の告白と、愛情を切り捨てるからだ。
(でも私はこの国のために都合の悪い人間や男性を殺すことはできない。)
「ごめん。私にはその手を取る資格はないよ」
「そう」
アリスはベルの答えを悟っていたようだった。落胆しているが、動揺していなかった。
水の帳は、ただの水に帰る。カラフルな砂は濡れて混ざり、黒に近い醜い色になった。
ベルはこれから起こることを啓示しているかのように感じ、にわかに身震いした。
暗い思いを振り切るように会場を出て、フリージェンダー学園を後にした。
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