Hello,world! 1-2b
余程お腹を空かせていたのか駆け足で朝食を済ませた琴無に比べると、彰音が食べ終わったのは五分ほど後だった。
「ごちそうさまでした」
そう言って手を合わせ、食事の後片付けをしようとテーブルから立ち上がる。横目に入る琴無は、小難しい顔をしながらスマホを睨んでいた。
「んん……んんん…!んんんんん!!!!」
呻く様な、か細い声が、どんどんと大きくなってゆく。その様は威嚇をする小動物の様で少し面白かった。
「なにしてんの?」と尋ねると「昨日更新された限定のキャラ!まだ当たってないの!」とプンスコと怒りながら、今し方、爆死した画面を見せてくる。どうやらソシャゲのガチャを引いていたらしい。
「おー……これはまた……天井手前じゃんか。随分と沼ったなぁ」
「そう……強いから環境必須キャラになりそうなんだけど、ここまで沼ると気分下がるよね〜」
「この辺で自力で引けても、天井で当たるからなぁ複雑な気分にナリマスネ」
概ね同意だが、今回の俺は少し違う。何故なら昨晩、寝る前に気分で引いた単発で当たっているからである。
(悪いな琴無よ、許せ)と内心思いながら皿を重ね、キッチンに向かおうとすると「彰音はは引けた?」と意地の悪い笑みを向けて、琴無はこっちを見ていた。
幾らゲームが上手いとはいえ、確率は皆に平等だ。人を小馬鹿にした様な笑みを浮かべるアイツにお灸を据えてやることにした。
ポケットからスマホを取り出し、ゲームを開き画面を見せる。
「クハハ!バカめ!」
ゲームのボックス画面を見せると、琴無は思いの外、良い顔をしてくれた。敗北感と少しの怒りと悔しさが込み上げてきたような顔は、少しだけ気味がよかった。恨めしそうに「ふーん……やるじゃん、で?何連したの?五十連ぐらい?」と負け惜しみの台詞を吐いている。
「二連、単発で」
土壺に嵌るとは、まさにこのことだろうと思った。「くぅぅぅ!!」と涙目ながらに唸る琴無。勢いよく立ち上がり、背に回ってくる。
「うぉっ!なに!?」
非常に弱い力でポコスカと背中を殴ってくる。それは、駄々を捏ねる幼児の様で、可愛らしかった。
彼女は「う〜ら〜ぎ〜り〜も〜の〜」と小さく囁いたあと「ふん!」と鼻を鳴らしソファーに寝そべり、またぽちぽちとスマホを眺めていた。
どうやらひと段落ついたらしい。朝からご乱心とは随分と騒がしい奴である。
そんな彼女を眺めながら、キッチンで食器を洗い始める。ゆったりとした朝は、ドタバタと音を立てて忙しくなってゆく。
そういえば、琴無の髪の毛は、いつにもなくボサボサだった。
「これから学校だし、髪、といておいた方がいいと思うぜ」そう琴無に声を掛けると「めんどくさい!彰音がといて!」と声を荒げて返ってきた。王女様は、未だご乱心である。こういう時は、執事に成り切るほかない。
「もう洗い終わるので、少々お待ちくださいませ」と投げかけると「はぁい」と笑みを取り戻す、実に良かった、こうして平穏は保たれたのだった。
洗い物を終えて、手を洗い、ドライヤーと櫛を手に取りソファーの前に立つ。
「準備できましたよ〜」と声を掛けると、ソファーを降りる。温もりの残るソファーに彰音が膝を開いて座ると、その真ん中でカーペットの上にぺたりと座る琴無。
手のひらに髪の毛をまとめていく。ぼさぼさと跳ね散らかしているが、手触りはとても良く少し硬い絹糸のようだった。本人はあまり手入れなどに興味はなさそうなのだが、シャンプーやリンスは恐らくかなりの物を使っているのだろう事がよくわかる。
「はじめるぞ」
毛先から縒れた糸をほぐすようにゆっくりと丁寧にほぐされてゆく。彰音が「痛くない?」と尋ねてくると、心地よさに身を任せ「ん」とだけ返す。
私は、この時間が好きだ。いつからこんな関係になったのか、そんな事は遠い昔の記憶だから、覚えていない。けれど、この心地良さは不変であって欲しい。
毛先を終えて内側から先に流れていく櫛は、猫を撫でているみたいに優しい。温かくて安心する手。徹夜明けの朝には、少し酷な温もりだと思う。
(あ……ヤバい今日のは特に……)
そんな事を思いながら、瞼が徐々に重く、首元の力が抜けていくのを感じる。無理だ、眠すぎる。
(五分だけ……五分だけ寝かせて欲しい……)
ふにゃりとだらけた身体は、体重を彰音に預け、首はかっくんかっくんと、テンポの遅いメトロノームの様に、情け無く揺れている。
そんな私を察してなのか、手が止まる。どうやら髪を整えるのは終わったらしい。彼が話しかけてくる。
「終わったぞ。めちゃくちゃ寝そうになってるし……今寝たら起きないだろ?はやく支度して学校いこうぜ」
無慈悲な提案だった。「五分だけだから……」となけなしの提案をしてみるも「これまで何回その五分の巻き添えを喰らって遅刻してると思ってんだ……今日はすぐ終わるから、帰ってから寝なさい」ときっぱり断られた。
鬼!悪魔!と罵りたくなったけど、相手に理がありすぎるので何も言い返せない。
「ほら、もう一回顔洗ってきて、終わったら出るぞ」
こういう時の彰音は、とても厳しい。優しさからの厳しさなのだろうが、ダメ人間な私には辛い時がある。
「夜は好きなの作るから……ほら立って」
厳しいけれど、甘い。そんな所が好きなんだと、あまり意識していなかったことを考えるととても恥ずかしくなってしまった。
「ほらもう……眠すぎて顔赤くなってる。はやく熱冷ましてきた方がいい、マジで寝るから」と急かされる。指摘されると、恥ずかしいのがますます増してきて、だんだんと目が覚めてきた。
「うぅ……わかった」そういうと、琴無は駆け足で洗面台に向かって行ったのだった。
(本当に真っ赤っかじゃん……!)
鏡を見ると茹でた甲殻類も顔負けの琴無がそこに居て、何度も水を掬って顔に掛けた。
タオルでぽんぽんと顔を拭いて、薄く顔を整える。そうすると心臓は落ち着きを取り戻し、玄関に向かう。
彼は、玄関でスニーカーを履いて待っている。ローファーを履き終えると、差し出された手に引っ張り上げられ、扉を開き、世界との繋がりを認識する。
———Hello,world!世界は眩く照らされていた。
プロゲーマー幼馴染と無自覚イチャラブ高校生活 光明七夜 @mikage38
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