ここからはじまる

@ihcikuYoK

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***


 帰省していた娘の部屋から、内線があった。

『お父さん、1番にミサちゃんからお電話です』

「あぁ、わかった」

 名前を聞き条件反射で立ち上がってしまったところ、机にしたたか足を打った。平静を装ったが、書斎の前を通りすがった妻が無表情で震えていたところを見るに、バレている気がする。


 溜息を飲み込み、いつもの癖で机の上の紙とペンを手に取る。

 椅子に座りなおすと、愛犬飛雄馬やってきて足元に座った。4匹飼っている犬の中で、飛雄馬が1番愛想がよく人懐こい。こちらを嬉しそうに見上げてきたので撫でると、大喜びで腹を見せて転がった。お前はそれでも番犬か、と思う。

 ――でも、おかげで少し緊張がほぐれた。


 息を整え、内線1番を押した。

「――ミサか。お父さんだ」

『……。久しぶり』

久しぶり、じゃないだろう、と叱責に似た音が出て、受話器の向こうが黙り込み内心慌てた。

「……ロクに、連絡も寄越さないから。……お母さんもチサも、みんな心配した。そっちでは元気にしているのか。おじさんたちに迷惑をかけるような、非常識な行動はしてないよな」

『……。私は元気だし、おじさんたちにも親切にしてもらってる』

迷惑はかけてないつもりだけど、心配ならおじさんたちに直接訊いて、と固い声が戻ってきた。


 高圧的な態度をやめること、人の話に最後まで耳を傾けること、自分と違う考えを頭ごなしに否定しないこと。

 以上3つが、娘ミサが親である私との対話の条件として手紙で送りつけてきた項目である。

 私はそれに、できるだけ努力する、と返信をした。


『……春に、一度そっちへ戻ろうと思ってるの』

「! そうか」

『何日か泊まってもいい?』

言いづらそうに述べた声に、少しほっとした。

 ミサも、私たちと本気で絶縁したいわけではないのだろう。

「……当たり前だろう、ここはお前の家なんだから。気をつけて帰ってきなさい」

『……わかった。ありがとう』

しかしなぜ急に、と問うと、色んな手続きのあれこれ、と娘は述べた。


 まぁ、理由はこの際どうでもいい。一時でも帰ってくる気になったのだから。娘に会うのは4年ぶりだ。

 簡潔なやり取りをいくつか終え、受話器を下ろし汗を拭った。なぜ私は娘と電話するくらいのことで、こんなに緊張しているのか。馬鹿馬鹿しい。


 ノックの音がした。見やると開いた戸の前に不安そうな顔をした娘が立っていた。

 チサの後ろには娘大好きな我が家のボルゾイが護衛のごとく付き従っており、そのどちらでもいいから遊んでほしい飛雄馬が私の足元から大きく尻尾を振りながら寄っていった。

 ボルゾイに窘められつつも、止まらぬバーニーズマウンテンドッグの尻尾ののどかさよ。

「……お父さん」

「なんだ」

「怒らないでね」

誰をだ、と述べると、ミサちゃんのこと、と困ったような顔をして言った。


 至極言いづらそうに、チサは言葉を紡いだ。

 曰く、現在のミサは複数色に髪を染めピアスを開け、実に動きやすい(カジュアルを越えた)服装をしているようだ、と言った。

 ……聞いているだけで頭が痛くなってきた。

 なぜ若者はみな、好き好んでそんな頭の悪そうな恰好をしたがるのだろう。理解に苦しむ。まさか、そんなトンチキな格好をうちのミサがしているとは。


 服装の乱れは心の乱れ、きちんとした装いをなさい、清潔感は信用に直結するんだ、と教えてきたはずなのに。

 目の前のチサが暗い栗色に染めた時でさえ、なぜそんな真似をするのか、なんの意味があってと問いただしてしまったものを。

 でも、黒と変わらないでしょう……? とチサは言ったが、たいして変わらないなら染める必要がなぜあったのか、私にはほとほとわからない。


「――あのね? きっと、海外の生活に馴染むためもあると思うの。

 日本人ってスリや誘拐に遭いやすいって聞くし、ミサちゃんがここにいたころのままだとすごく大人しそうに見えるから余計、すごく気をつけて危ない目に遭うのを避けてきたんだと思う」

まぁ、そう言われるとわからないでもない話だった。

 ミサは昔、誘拐されかけたことがあるのだ。身代金目当てではない、幼い子ども目当ての馬鹿野郎にである。幸い近くを人が通りがかり助けてもらえたのと、幼かったのでミサもなにも覚えていないのだが。

 いま思い出しても腸が煮えくり返る思いである。警察になど突き出さず、私刑にしてやればよかったといまでもたまに思う。遠い遠い異国の海へ、空から放り投げてやったものを。


「ミサちゃんから送られてきた画像を見たんだけど、向こうの若い人らしい装いっていうのかなぁ? 格好良くて案外似合ってるって思ったんだけど、お父さんが見たらちょっとビックリしちゃうかもしれないなぁと思って」

 要するに、ミサのめちゃくちゃな恰好を見た途端に私が空港で怒鳴り散らすことを懸念したようである。チサはこう見えて、細やかな根回しがうまい。どこか政治的な力があると言ってもいい。

 男であれば我が家の跡取りにでも考えたが、娘のどちらもそういったことに巻き込みたくはなかった。本家の連中がうるさく、たいへん面倒くさいのだ。私の小言程度を煩わしく思う娘たちに、こんな面倒が耐えられるとは思えなかった。

 適当に、親戚から養子を貰う予定である。


 チサがやや俯いていた。

「……そんな顔しなくても、数年ぶりに会う娘に怒号を飛ばすような真似はしない」

「……。うん、そうだよね。念のため、先に伝えておこうかなって思っただけなの」

曖昧な微笑みだった。

 なんてことだ。私はチサにまで信用されていないらしい。


 我が家は娘がふたりいる。双子の娘だ。

 目に入れても痛くない、この子たちのためなら別に死んだっていい。

 大事に大事に、できる限りの手を尽くし守り育ててきた娘たちだが、思春期にさしかかった中学生のころ、姉の方が爆発して我が家どころか日本からも出て行った。


 ミサ曰く、私は面倒くさすぎるのだそうだ。


***


 確かに、変わった装いだとは聞いていた。

 だが大人しかった娘がもじゃもじゃのパーマ頭になっているだなんて、いったい誰が思うのか。ズボンはデタラメに破け、汚らしくいろんな色のペンキがついていた。

 だいたいのことは「あら、これはこれでいいじゃないですか。若い人らしくて」と流す妻でさえ、さすがに目を丸くしていた。


 ――言っておくけど、これはオシャレなんだからね、と娘は挨拶より先に述べた。


「、…………~~ッ、……っ長旅で、疲れただろう」

なんとか口にできた。ミサはきゅっと口を結び、

「そうでもないよ。……ただいま」

みんなも久しぶり、元気してた? と荷物を渡しつつ声を掛けた。

 迎えに連れてきた使用人たちは戸惑いつつも、「ミサお嬢さんもお変わりなく、お元気そうで安心いたしました」と声を掛けていた。いや、充分変わっているだろう。なにが“お変わりなく”だ。

 私の娘は、こんな頭や服装をするような恥知らずな子ではなかった。

 やはり海外になんてやるのではなかった。迎えるのが私の妹の家だからと、判断が甘くなってしまったのだ。あのとき無理やりにでも引き留めていれば、と口から出掛けるのをなんとか飲み込む。

 口にすれば娘はきっと、踵を返し他国行きの飛行機に飛び乗るに違いない。


 ふと、ミサはキョロキョロと視線を巡らせた。

「? ……チサちゃんは?」

「お前を迎える用意がしたい、と家に残ったんだ」

「……そっか。パーティでもするつもりなのかな」

チサちゃんらしいね、とようやく少しだけ微笑んだ。


***


 チサより先に飛びついたのは犬たちだった。

 驚いたのか最初は見つめているだけだったのだが、

「チサちゃ~ん!! ただいま~~!!」

との声を聴き確信が持てたようで、千切れんばかりに尻尾を振り飛びついた。

 顔をなめまくられ、「わぁ熱烈歓迎だ! みんな元気だった~~??」と述べながら、大興奮の4匹を抱きしめ順番に撫でまわした。


 そういえばミサがいなくなったころ、子犬のようにキュンキュン鳴きながら、玄関でミサの帰りを待ち続けたり、ミサの部屋の扉の前で出てくるのを待っていたりしていた。

 犬たちはミサが出て行ったことがなかなか理解できず、ただその帰りを待っていた。

 そのけなげな姿にチサはいつも眉をへの字にして、

『……撫でてあげても移動しないの』

ミサちゃんたまには帰ってきてくれるかなぁ、この子たちにも顔見せてあげてほしい……と言った。


 それから、4年だ。4年もだ。

 私のせいで犬たちにまで可哀想なことをしてしまった、と今更反省した。


 細心の注意を払い、食事時もできるだけ落ち着いて丁寧に話に耳を傾け、極力発言は避けた。

 ミサは向こうの学校で学んだことや、向こうでできた友人たちの話、一度やってみたかったというスカイダイビングなど(命を掛けるなんて馬鹿げたアクティビティだ、と喉元まで声が出かかったがなんとか耐えた)の話をし、久方ぶりに我が家の食卓は賑やかだった。


 私が口を挟まないからか、ミサはご機嫌に見えた。

「私、今日はチサちゃんの部屋で寝ようかな。聞きたいこともあるし」

壁際でニコニコと話を聞いていた坂巻が、布団の用意をしにそっと出て行った。

 思わず首を傾げた。

「? なんだ聞きたい話って。いま聞けばいいじゃないか」

「ここではダメー。内緒なんだもんね?」

隣に座っていたチサの腕を取った。チサはチサで、頑なに私の方を見ようとしなかった。


 ムッとした。

「……親に言えない話なのか?」

大袈裟に溜息をつかれた。

「――あのねぇお父さん。年頃の娘がなんでもかんでも親に話してるとしたら、そっちの方がおかしいの」

「なんでだ? 親に言えないことをしている方が心配だろう」

「人に話してばっかりいたら、自分と対話をする時間がなくなっちゃうでしょう?」

それでは人として成熟できないって私は向こうで教わりました! と胸を張った。

 おかしなことを教える学校だ。海外ではそうなのだろうか。


 不機嫌に黙ったままの私を見て、ミサはしばらく言葉を選んでいた。

 妻はそれをじっと見ていた。妻は私に文句を言う人ではなかった。ただ、娘に黙れと言うこともなかった。

『したいことがあるなら自分で説得してごらん、お父さんは心配してるだけなんだから』

と言う人だった。妻は私も娘たちも信じていた。


「私ね、向こうに行ってから自転車を買ったの」

 娘たちが小学生のころ、どうしても乗ってみたいとチサとふたり泣いてお願いされたことがあった。私はそれを『怪我をするから駄目だ』とはねつけた。

 ミサはそれに大層怒って、小学校高学年になっても中学生になっても、

『自転車に乗れないのなんて私とチサちゃんだけだよ! 上手に乗れる自信があったのに!!』

と事あるごとに言ってきた。


「チサちゃんには動画を送ったんだけど、……お父さんも見る?」

チサが、自分の携帯電話を取り出してこちらに差し出した。

 平坦な芝生の上で、グラグラと安定の悪い自転車が走っていた。向こうでできた友人たちだろうか、複数人の励ます声が聞こえ、途端に自転車ごと思い切り転んでいた。

 転んだ自転車の操縦者はミサで、全身擦り傷だらけになりながらゲラゲラと大口を開けて笑っていた。

『次こそ絶対乗れるし! もうほとんどマスターしてきた感じあるもんね!』

と述べるとまた自転車にまたがり、キャーキャー歓喜の声をあげながら懲りずに漕ぎ出していた。


「私、自転車乗れるようになったの。いまね、向こうでずっと乗ってるの。学校通うのも帰ってくるのも、買い物に行くのにも乗るの」

毎日すごく楽しい、と私を見て述べた。

「……私だってさ、お父さんが心配してくれるのはわかってるよ。

 でもね、私は怪我ひとつないまま自転車に乗れない自分でいるより、痣だらけになっても自転車に乗れる自分になりたかったの。どんなにお父さんに怒られても、気まずくて家に帰れなくなったとしても。いろんなことがしてみたかったの」

日本に帰ってきたのは、お父さんにそう言おうと思っただけ、と言った。


「……。そうか。わかった」

「……ほんとかなぁ~~~~」

お父さんは嘘はつかない、と言うと、そうだと嬉しいけどねと肩を竦めた。


 溜息を飲み込んだ。

「チサも、……まだ乗ってみたいなら言いなさい。自転車くらいお父さんが用意する」

娘たちは顔を見合わせ、だがチサは至極言いづらそうに口を開いた。

「あのね、お父さん実はね。去年お友だちに頼んで教えてもらって、私ももう乗れるの……」

衝撃を受けた。

「!? 聞いてないぞ!?」

「だって怒ると思ったんだもの……」

「誰に習ったって!?」


 黙って微笑んでいた妻が、口角を上げた。

「どうせ高倉くんでしょ? うちの飛雄馬みたいなあの男の子、チサちゃんのボーイフレンドの」

言葉を失った私を見て、チサが慌てた。

「そうなの、フレンド! フレンドだからお父さん、心配いらないよ」


***


「じゃ、帰るね。またねー」

友だちへの土産だとあれこれ購入し、パンパンになった荷物を引っ張り、されど来た時と違い晴れやかな顔をして娘は手を振った。

 以前と違い今回は別れを惜しむ時間もあったので、ミサに甘え倒していた犬たちも少しは落ち着いてくれるといいのだが。

『また来るからね。いい子にしててね、ミサちゃんはまたしばらくいなくなりますよ』

とのミサの言葉が、犬たちにどの程度伝わっているかはわからない。


 なんだかあっという間だった気がする。

 もうちょっといなさいとか、もう少しどうなんだとか色々引き留めて引き延ばし続けてきたが、ついにそれにも本当に限界が来てしまったようだった。

『んもー! 私にだって学校があるんだから!』

と、しまいにはミサがふくれっ面になった。

 娘は大学も向こうで進学をしてしまった。またしばらく、顔を合わせる機会がない。


「お父さーん」

手を差し出された。

「? なんだ?」

「あくしゅ」

あぁ、と戸惑いつつも握った。


 ピアノくらいしか弾いたことがない、重いものなど持ったこともないはずの娘の手が、妙に力強く頼もしくなっていた。

「えい!!」

唐突に思い切り力を込められ、私は情けない悲鳴を上げた。


Fin.

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