第30話 元・口裂けの花嫁 舞視点

 白くて高いチャペルの前、茶色くて大きな扉の前で、私達二人は待機をしていた。

「…結構いるっぽいよ」

 白いタキシードに身を包んだ宗二くんが、チャペルにある窓のすりガラス越しに中を覗き込んで言った。

「それ…中から見えてたらみっともないよ?」

 宗二くんは「たしかに」と口にして窓からさっと離れる。

 タキシードの襟元を触りながら宗二くんは言った。

「でもやっぱり、バージンロードを渡るところから新郎新婦が一緒って珍しいよね…」

「しょうがないよ。前にお母さんに頼んだけど、『絶対に歩いてる途中で泣いちゃう!』って言って受けてくれなかったんだもの」

 お母さんの涙が序盤も序盤に枯れ果て、私からの『花嫁からの手紙』に対して一滴も涙が出ないようであれば私達が困る。

 花嫁が一人でバージンロードを歩くわけにもいかず、夫婦揃って入場することになっている。

「あの人らしいと言えばらしいかな…」

 二人でそんな話をしていると、後ろからスーツを着た女性のブライダルスタッフの方が「そろそろ入場の時間です」と伝えてくれた。

 私達二人はチャペルの扉の前で横に並んで腕を組む。

 そろそろだとは言われたが、二人して大きな木の扉をただ見つめているだけでも緊張でどうにかなりそうになってしまう。

 私は気晴らしに、隣にいる彼に話しかける。

「…そういえば、今夜のテレビでようやくアレやるらしいよ」

「アッ…アレ?」

 これから私の夫となる人が、震えた声で返事をした。

 あがり症なのは理解しているが、せっかくの晴れ舞台だ。頼りがいのある夫として堂々としていて貰いたい。

「アレだよ、『三度目のプロポーズ』。ほら…高校の時に二人で見に行ってたやつ」

「あぁ…初デートの時の。テレビでやるのって初めてだっけ?」

「散々コマーシャルで『地上波初!』って謳ってたからそうだと思うけど」

「放映されてから…七年か、随分と時間が掛かったね」

 あの映画が公開されてから七年経っているということは、私達が付き合ってからも七年ということだ。

 本当に、随分と時間が経ったものだと思う。

「せっかくだから今夜見ない?昔見てた懐かしさで、学生時代に戻った気分を味わえるかもだし」

「それは良いね。式が終わったら帰りスーパーにでも寄って、大袋のポップコーンを買おうよ」

 緊張が解けてきたのか、彼は普段のように笑顔を見せ始めた。

「ポップコーンはやっぱり塩味?」

「もちろん、私達どっちも塩派なんだし迷う余地な〜し!」

 家で食べる場合、顔を見られないよう工夫はしなければならないが、映画を見るにはポップコーンは必須だ。

「飲み物はどうするの?」

 私はもちろん烏龍茶一択だ。

 宗二くんは組んでない方の手を顎に当て、うんうん唸りながら悩んでいる様子だった。

「…せっかくだし、高校生の時に頼んでた組み合わせにしない?」

「えっ…でもそれ、俺はコーラで舞さんは烏龍茶になるんでしょ?」

「当然。ていうか宗二くん、昔はポップコーンにはコーラしかありえないって言ってたのに、まだ若い内から血糖値気にしてたら幸せになれないよ?」

「コーラの味が甘すぎるってだけで、血糖値は気にしてないよ。…そもそもそんなこと言ってたっけ?」

「だったらさ、宗二くんも烏龍茶試してみない?意外と合うんだよ、あの組み合わせ」

 烏龍茶の良い所は、喉を通った時の爽やかさとコクの深い味で、塩辛くなった口の中を少しの苦みを残してリセットできることにある。

 是非とも彼にもこの良さをわかってもらいたい。

「…コーラに飽きたら試させてもらうよ」

「あれ、本当にコーラにするんだ?私別に強制はしてないけど」

「ダイエットコーラとかだったら甘さ控えめだろうし、飲んでみてもいいかなってね」

「やっぱり血糖値気にしてるじゃん」

「健康なことは、別に悪いことじゃないだろ?」

 チャペルの扉の前で話していると、後ろから声をかけられた。

 振り返ると、先程の女性のスタッフさんからのゴーサインが出ていた。

 私は、一緒に後ろを振り返っていた彼と目を合わせ、小さな声で「行くよ」と伝えた。

 隣の宗二くんは軽く目を閉じ、少し深呼吸をしてから覚悟を決めた顔をした。


 目の前の扉が中からスタッフさんの手により開かれ、私達二人は歩みだす。


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 拍手の音が、滝のように聞こえる。

 所々から目が眩むほどの照明が私達を狙い、手で目元を覆いそうになる。

 私達が招待状を送ったのだから当然だが、高校の時のクラスメイトや職場の同僚、お世話になった峰先生の姿も見え、嬉しくなった私は軽く手を振った。

 この大人数、あがり症な私の夫は大丈夫なのかと気になり視線だけ横に向けると、彼もまた顔は真っ直ぐ正面を向いているが私と同じ様に視線だけは私を見つめていた。

 それに気付いた私は、つい吹き出しそうになる。

 あぁそうだ、この人はこうだった。なんて思いながら私達二人はお互いに視線を絡ませ合い、自分達の服の色と同じ真っ白なバージンロードを歩いた。


 十字架の前で待つ牧師様の元まで行き、誓いの言葉、指輪の交換を終わらせる。

 緊張からか宗二くんの発する声も指輪を持った手も震えており、そのあまりの緊張からか私の声まで上擦っていった。

 夫婦揃って誓いの言葉がまともに言えてなかったことから、参列者席の方から押し殺す様な笑い声がいくつも聞こえてきた。


「それでは…誓いのキスを」

 牧師様の言葉を聞き、私達は祭壇の前で互いに向き合う。

 チャペルの中に緊張が走り、私達二人に視線が集中していることを肌で感じる。

 彼は事前の計画通り、ズボンのポケットからあるものを取り出し、私に手渡した。

 指輪ではない。彼からの指輪は、既に私の左手にはまっている。

 すぐにキスを行わない新郎新婦に、参列者の多くは疑問を感じている様子だった。

 私が彼から受け取ったそれは、一枚の白いハチマキだった。

 白いと言っても、このドレスのような純白ではない。今日式場に来る途中に寄った百円ショップで買ってきた、ただの普通のハチマキ。

 彼は私に背中を見せ、私は手渡されたそれを使い彼に目隠しをする。

「痛くない…?」

 二人だけ、もしくは牧師様との三人にだけしか聴こえない声で彼に話す。

「大丈夫…」

 返事を聞き、私は彼を祭壇の正面に立たせて向きを参列者の方へ変える。

「ちょっと右…」

「こっち…?」

「あぁそうそう…」

 私はフェイスベールを外し、大衆の前で顔を晒す。昔では考えられなかったが、今では日常的に行っていることだ。

 彼はタキシードに目隠しという滑稽な姿のまま、手を横につけ直立不動で私を待っている。

 私が彼の両肩に手を添えると、彼は少しだけ前かがみになった。


 かがんでくれてもまだ高さのある唇に、私はヒールを履いたまま背伸びをして、自分のを押し当てた。


 チャペルはまた、滝の様な拍手で覆い尽くされた。


 キスを終えて、フェイスベールを着け直し、彼の目隠しを解く。顔を赤くさせた彼の目は、ベールを着けた私の顔を残念そうに見つめていた。


「あなたは駄目だよ…」


 他の誰から見られても、どうでもいい。

 あなたにさえ見られなければ、なんだっていい。

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口裂けの舞姫 つぶガイ @Tsubuguy

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