11輪:猫で証明できること


 7月。


梅雨の時期に入り雨の日が続いたので、美鎖子みさこは休日にあまり外出できていなかった。


けれど今日は久しぶりの快晴になったので、駅前の本屋に行こうと家を出た。



神楽かぐら美鎖子みさこ(……暑い)


 美鎖子は日傘を差していたけれど、コンクリートの地面からの照り返しで肌がジリジリと焼ける感覚がしていた。

首につけたひんやりリングは生ぬるくなり、すぐに荷物になってしまった。

ハンディタイプの扇風機はずっとぬるい風を送り続けているが、無いよりかはマシだったので、そのまま風を当て続けた。



美鎖子(げ、幻覚?)


 美鎖子がお店がずらりと並んだ大きな通りを歩いていると、ちょっとした路地にある駐車場に、


見覚えのあるサングラスを付けてしゃがんでいる人を見た。



 でもなぜか猫まみれ。


頭の上にも猫、


肩の上にも猫、


その人の足の間にも猫、


周りの地べたにも猫。


車一台分の範囲を埋め尽くすほどの猫。



美鎖子は最初、暑さにやられて変な幻覚でも見ているのかと、自分を疑った。


 美鎖子はサングラスの人物が稜太郎かどうか気になって、路地に入って行った。


サングラスの人に気づかれないよう、そぉっと近づいて行くと、


1歩近づくごとに稜太郎りょうたろうだと確信していった。



 赤いツナギの上だけを脱ぎ、


腰の辺りに袖を結びつけ、白いタンクトップ姿になっていた。


いつもと同じ形のサングラスだったが、レンズは赤色に変わっていた。


しかし緩いリーゼントはいつもと変わらない。


そして口元にはシュガーシガレットが揺れている。



その姿に、美鎖子は“やっぱりツッパリの解像度高いな”と感心した。


 サングラスの人物が稜太郎だったことが分かったので、美鎖子は元の通りに戻ろうとした。



けれどその前に稜太郎が美鎖子に気づき、猫を撫でていた手を挙げて挨拶した。


美鎖子は一瞬、自分の後ろにいる人に挨拶したのかもしれないと思って後ろを振り向いたけれど、

誰もいなかったので稜太郎に小走りで近づいた。



美鎖子「こ、こんにちは。す、すごい、すごい量の猫ちゃんですね」



三毛みけ稜太郎りょうたろう「髪の毛束ねてたから、神楽さんだって分からなかった」



美鎖子(わ、私が見ていたことに最初から気づいていたんだろうけど、


は、話が噛み合ってない…)



 美鎖子は学校に行く時、髪を下ろしている。

黒色の直毛の髪は美鎖子の腰辺りまで伸びている。


流石に今日は暑すぎるというのと、誰にも会わないだろうという想定をしていたので、

美鎖子は高い位置でポニーテイルを作っていた。


 その束ねた髪を、美鎖子は手櫛で梳かすように触りながらしゃがんだ。



美鎖子「あ、暑いので束ねてみました。猫ちゃんたち、地面熱くないんですかね?」


 稜太郎の周りには、お腹を出してあられもない姿になった猫でいっぱいになっていた。



稜太郎「どうなんだろう」


 稜太郎の頭の上にいた猫が降りると同時に、その頭を蹴飛ばし、彼の顔が傾いた。


けれど稜太郎は全く動じることなく、足元にいる灰色の猫のお腹を撫で続けた。



 猫が稜太郎の頭を蹴飛ばすと同時に会話が途切れたので、美鎖子は必死で話題を考えた。



 美鎖子は咳払いをしてから


「猫とか動物ってが分かるって言いません?」と話しかけた。


稜太郎「どうなんだろう」


美鎖子「ほら、良い人には近寄って来るって」


稜太郎「どうなんだろう」



美鎖子(どうなんだろうって…


三毛くんの周りにだけ異常な数の猫ちゃんがいますが?


私のところには1匹も来てませんが?)



 美鎖子は持っていたハンディ扇風機を日傘の柄に引っ掛け、手で猫たちに合図を送った。


しかし猫はみな稜太郎にメロメロで、美鎖子の合図に気づかなかった。



美鎖子「ほ、ほら、本能的に分かるって」


稜太郎「どうなんだろう」



美鎖子(…三毛くん、私と会話するつもりあるのかしら?)


 美鎖子は少し唇を尖らせながら、猫に合図を送り続けた。



 すると1匹の三毛猫が美鎖子に近づいて来て、合図を送っていた美鎖子の手の匂いを嗅いだ。



稜太郎「……僕は神楽さんの方がだと思うけど」


 稜太郎は、美鎖子に近づいてきた三毛猫の方を見ながら言った。



稜太郎に褒められると思っていなかった美鎖子は、


どぎまぎしながら「いやいや、三毛くんの圧勝かと、色々と……」と


稜太郎の周りに集まった大量の猫の方を見ながら答えた。



 三毛猫は美鎖子に背中を向けてお尻の近くを撫でるようにねだったので、

美鎖子は三毛猫の尻尾の付け根辺りをポンポンと軽く叩いた。

美鎖子が叩くのに合わせて、三毛猫は体を弾ませた。



 それにしても稜太郎の周りの猫は暑さのせいなのか、


稜太郎にメロメロなのか分からないが、


でろんでろんに、酔っ払いの人が千鳥足で歩くように空に向かって足を動かしている。



美鎖子(三毛くん、マタタビでも持ってるのかな?


それとも三毛くんからマタタビフェロモンが出てるのかな?)



稜太郎「悪い人でもマタタビなんか持ってたら、猫は来ると思うけどな」


美鎖子「んぇ?」


 美鎖子は自分の思考が稜太郎に読まれたかと思い、間抜けな返事をしてしまった。



美鎖子「み、三毛くん、マタタビ持ってるんですか?」


稜太郎「持ってないけど?」


美鎖子(あ、あぁ…なんだ、今の中身のない会話は)



稜太郎「猫とか動物は良い人が分かるっていう話ができた時、


悪い人がマタタビとか持ってて、それで猫を釣ったんじゃないかなってこと」



美鎖子「……ど、どういうことですか?」


 美鎖子は三毛猫のお尻をバスケットボールのように弾ませながら聞いた。

稜太郎は慣れた手つきで黒猫の顎を撫で始めた。



稜太郎「あくまで僕の想像なんだけど。


最初は本当に誰から見ても良い人がいてぇ、


なぜかその人の周りには本当に猫がいっぱい寄って来てたんだと思う。


それを見たが、


『あの人は良い人だから猫が寄ってくるんだ、猫は本能で分かるんだ』とか言ったんじゃない?」



美鎖子「は、はぁ…」


 美鎖子は稜太郎があまりにも饒舌に話し始めたので、息を吐くだけの相槌を打つだけになってしまった。



稜太郎「『良い人には猫が寄ってくる』とか


『猫は本能で良い人が分かる』っていう噂が広まった後に、


今度はがマタタビでも仕込んで猫を集めて、


“自分は良い人だから猫が集まる”っていうところを周りの人たちに見せつけたんじゃない?」



 美鎖子はその話を聞いて、稜太郎が想像力豊かだったことに感激した。


それに加えて稜太郎が凄く話をする人だったことにも驚いた。



美鎖子「本当は、自分は悪い人だけど、


“自分は良い人だ”っていうことを証明するために猫ちゃんを使ったってことですね」


稜太郎「手っ取り早く、“自分は良い人だ”っていう証明ができると思ったんじゃない?」


 美鎖子は数回大きく頷いた。


そして稜太郎がたくさん話をしてくれたので、それに応えようと頭の中の引き出しをひっくり返して考えた。


美鎖子は「そうですねぇー」と言って間を繋ぎ、

ついこの間読んだ新聞のコラムを思い出し、そのことについてゆっくりと話し始めた。



美鎖子「“魔女狩り”ってわかりますか?」


稜太郎「魔女がり?」



美鎖子「はい、昔魔女だと疑われた女性が刑罰を受けたり、私刑を受けたりしたそうなんです。


『あの人は魔女だ』って言う周りの人たちの噂だけで」


稜太郎「…へぇ」


 稜太郎は、近くに来て寝っ転がった黒猫のお腹を掻き始めた。

黒猫は“そこを掻いて欲しかったの!”といった具合に足をバタつかせた。


 美鎖子は「か、軽く新聞のコラムで読んだだけなんですけどね!」と補足してから話を続けた。



美鎖子「疑われた人は全員、魔女ではなく人間だったわけですけど」


稜太郎「うん」



美鎖子「でも他の罪、例えば盗みだとか放火だとかとは違って、


証拠は自白、


魔女だっていう容疑のかかった人の自白だったそうです。


それ以外証拠がないというか…


まぁ無実なのではなから証拠なんてないわけですけど」



稜太郎「…どうやって自白させられたの?」


 美鎖子は三毛猫を弾ませていた手を止めた。



美鎖子「…拷問です、昔は拷問が許されていたそうなので。


でもその拷問は魔女だとされた人が自白するまで続けられたみたいで、


ほとんど全員、魔女でないにも関わらず『私は魔女だ』と認めたそうです」


 美鎖子はまた三毛猫の尻尾の付け根を掻き始めた。



美鎖子「だから私は、マタタビを仕込んで猫ちゃんを集めようとした人は魔女、


言い換えれば悪い人だと疑われないようにしたかったんだと思います」


 美鎖子がそう言うと、稜太郎は空を仰いだ。



稜太郎「良い人だっていう証明じゃなくて、


悪い人じゃないっていう証明がしたかったってこと?」


美鎖子「まぁ、本当のところはわからないですけどね」


 稜太郎は「ふーん」と言いながら何度か頷き、また視線を黒猫の方に戻した。



稜太郎「まぁ猫が寄ってくるかどうかで、その人が良い人か悪い人かわかるんだったら、


こんなに世の中捻くれてないよね」


 稜太郎は黒猫に言い聞かせるように言った。

黒猫はそれに応えるように「にゃーん」と可愛く相槌を打った。



美鎖子(み、三毛くん?か、過去に何かあったの?)


 暑さのせいなのか、稜太郎の言葉のせいなのか、

美鎖子は背中に大粒の汗が流れるのを感じた。




* * *




 稜太郎と別れた後、美鎖子は駅の本屋に向かう道中、


始業式の日に断った、断った形になってしまった人命救助の感謝状について考えた。



美鎖子(もし私が感謝状をもらっていたら、


私は感謝状これで周りの人たちに良い人だと思ってもらえると思っていたのかな。


それとも悪い人じゃないんだと分かってくれると思っていたのかな。


 人命救助の感謝状は受験や就職の時に印象が良いとか、評価に含まれるとか聞いたことがあるけど、


面接官や人事部の人は感謝状あれから、その人の何を見出すんだろう)



 美鎖子は稜太郎が『気持ち悪い』と言った意味が少しわかったような気がした。


美鎖子(たしかに猫ちゃんや噂、感謝状から


その人が良い人か悪い人か知ることができたら、世の中はもう少し綺麗だろうし。


私も……)



 美鎖子は本屋の自動ドアの前に立つと、日傘を丁寧に畳んだ。

そして開いたドアの向こうから吹いてくる、冷たいエアコンの風と本の匂いをめいいっぱい吸い込んでから、本屋に入って行った。





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