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10輪:大石先生の噂
6月。
隣のクラスのため、
中間テストが終わり、社会科見学の一環である自然フィールドワークのため、自然科学施設に行く日がやって来た。
その活動内容は、施設の敷地内に流れる川の河川敷で焚き火を1から作り、そこでカレーを作るというものだった。
しかし美鎖子はどう見ても落ち着きのない班員たちが、果たしてカレーを作ってくれるのか不安になっていた。
というのも、美鎖子は全くもって料理ができなかった。
美鎖子は小学生の頃お料理クラブに入っていたけれど、
1度も自分の作った料理を美味しいと思ったことがなかった。
卵の殻、
焦げ、
混ざりきっていない粉、
謎のしっとり感、
赤身、
生臭さ、
美鎖子の血、
入れた覚えのないナニカ……。
食中毒を起こしていないのがせめてもの救いだった。
そのため美鎖子は焚き火係を申し出たのだが、
この感じでは出来上がらないだろうと察していた。
宮沢「まじやめろってぇ」
斉藤「こいつ5組のさぁ!…」
自然科学施設までは各班が電車で向かう。
美鎖子は班長なので、班を引率するため大きく手を振って呼びかけをした。
しかし班の子たちはふざけ合ったり話に夢中になったりしていて、
全く美鎖子の呼びかけに気づいていなかった。
美鎖子「この電車ですよぉー!」
美鎖子が先程よりも大きな声で呼びかけると、
班員はやっと美鎖子の声に気づいて電車に急いで乗り込んだ。
電車は通勤ラッシュが過ぎた時間だったので、車両内はガラガラだった。
班の子らは座席を大きく使い、また話を再開させた。
美鎖子は班の子らに気づかれないようにため息を吐いた。
班員の話し声が大きいのと、
我が物顔で座席を使っていることが気になったけれど、
同じ車両に乗客がいないのが確認できたので、何も言わずにそのままにした。
美鎖子は座席に座らず、立ったまましおりを確認した。
<16時:学校解散>という文字を見て、
“それまでこの子たちのお守りか…”と思い、美鎖子はまたため息を吐いた。
自然科学施設のある駅に到着すると、
また班員は駅のホームでふざけ合ったり走り回ったりしていた。
これは流石に注意すべきだと思った美鎖子は、
「ホームですから危ないですよ!」としおりを振りながら呼びかけた。
そしてすぐに「駅は出るときは一緒に出なきゃいけないので付いてきてください!」と付け加えた。
あくまで『付いてきて』ということを伝えたかったのであって、注意したかったわけではない感じを演出したのだ。
美鎖子は持っていたファイルから団体用の切符を取り出した。
それを駅の改札窓口にいる駅員に差し出した。
美鎖子「すみません、これを…」
駅員「はい、確認しました」
美鎖子は駅員にお礼を言って、帰りの分の切符をファイルに仕舞った。
そして後ろにいるはずの班員に“行きますよ”と声を掛けようとしたその時、
「班長はあなた?」と女の人に声をかけられた。
美鎖子はその声にビクッとして、ゆっくり振り返ると、
稜太郎の担任の先生である大石先生がすぐ後ろに立っていた。
美鎖子「は、はい」
大石先生の顔から視線を動かすと、
さっきまでふざけて走り回っていた班員の男子2人が、先生に首根っこを掴まれて固まっていた。
大石先生「なんで注意しないの班長でしょ?!ホームでふざけていたら危ないってわかるでしょ?!なんで全員が来ていることを確認しながら歩かないわけ?!責任取れるの?!なんのための班長なの?!」
普段は化粧っ気のない大石先生だが、
今日は首と顔の境目が分かるほどの白粉に、濃い口紅をつけていた。
そんな大石先生に早口で、しかもヒステリックな口調で威圧するように、
それに加えて口から勢いよく唾を出しながら捲くし立てられた美鎖子は「は、はぁ」と情けない声しか出せなかった。
大石先生「『は、はぁ』?!」
美鎖子(ヤ、ヤバい!)
大石先生は間髪入れず、美鎖子の何がいけなかったかのみならず、
人格否定とも言える発言を大声で饒舌に、血走った目をしながらキツイ口調で叱りだした。
美鎖子は止めどなく暴言を吐ける彼女に唖然としてしまい、脳が勝手に再起動のコマンド入力を始めた。
すると改札窓口の駅員が「あのすみません」と声をかけた。
駅員「班長さんはちゃんと注意して下さってましたよ。
ホームは電車が通って危ないですから、
君たちは今後走り回ったりせずに、班長さんの言うことをちゃんと聞いてくださいね」
美鎖子(え、駅員さん……!)
美鎖子は駅員の方を見ながら目を輝かせた。
駅員「それからすみません。
他のお客様の迷惑になってしまうので、早く通って頂けないでしょうか?」
駅員がそう言うと、大石先生は小さな声で謝りながら男の子たちから手を離した。
しかしそれで終わるかと思いきや、
大石先生は「でもですよ、でもですよ!」と言って、
今度はなぜ自分が怒っていたのかを、駅員に少し熱量を抑えて話し始めた。
村上「か、神楽さん、行こ?」
美鎖子が大石先生の行動に対して引いていると、班の女の子が小声で美鎖子に耳打ちしてきた。
いやあなたたちが!と言いそうになったけれど、美鎖子はその言葉を飲み込むように頷いた。
大石先生「この子たちがやったことは最終的に私たち教師の責任になるのであって」
大石先生は駅員を納得させることに必死で、
美鎖子たちが後退りして距離を取っていることに全く気づいていなかった。
すると美鎖子と駅員の目が合った。
美鎖子が後退りをしている姿勢のまま固まると、駅員は大きく1回瞬きをした。
どうぞ、行ってください、と言っているような優しい目配せを合図に、班員は勢いよく改札を飛び出した。
美鎖子は駅員に大きくお辞儀をしてから改札を飛び出した。
しおりの地図を何度も確認しておいて良かったと思うほど、美鎖子は迷いなく自然科学施設の方へ走ることができた。
後ろを振り返って大石先生が追いかけてきていないことがわかると、
赤信号の横断歩道で止まり、班員全員で息を整えた。
「いやまじ
美鎖子は鼻先をかきながら、
"いやあなたのせいでしょ”と思ったけれど、何も言わなかった。
村上「まじ宮沢たちのせいだからね!
あの
女の子はふざけたように言って、男の子に軽く蹴りを入れた。
終わるって比喩かな?と思いながら、美鎖子は青信号になった横断歩道を渡り始めた。
斉藤「
美鎖子は大石先生について話し始めた子たちの方を向いた。
小倉「それ、あたしのお姉ちゃんのクラスだった子だよ。
不登校じゃなくて引っ越ししたらしいんだけど、去年卒業した代の子だよ」
宮沢「え、ガチなん?その話?」
小倉「マジマジ。
その子めちゃくちゃ良い子だったらしいんだけど、
なんか大石に目ェ付けられたんだって。
かなり酷かったらしくって…。
その女の子、学校来る最後の日に廊下でおかしくなったみたいなの。
お姉ちゃん言ってたの、『断末魔が聞こえた』って」
美鎖子の背筋がピンと伸びた。
先ほどまでふざけているようだった班の子たちも顔を引き攣らせていた。
斉藤「え、それかなりヤバいやん」
小倉「その後すぐに引っ越ししちゃったらしいから、その子がどうなったか誰も知らないんだって」
村上「なんで大石辞めないの?怖っ!」
『終わる』が比喩ではなかったことに、美鎖子は冷や汗をかいた。
美鎖子(でも、なんか…勘違いかもしれないけれど、
大石先生の次のターゲットは私のような気がする)
大塚「なんでその人、大石に目ェ付けられたの?」
小倉「
宮沢「うわぁ、まじさっき体現してたじゃん」
その言葉に班員はどっと笑った。
けれど美鎖子は“大石先生のメンツ…?”と考えることに集中していたので、眉を顰めていた。
小倉「ほら、大石って生徒会の顧問じゃん?
その引っ越した子、生徒会だったらしいんだけど、
大石の勘違いかなんかを指摘してからいじめが始まったらしいよ」
大塚「そこまでわかってるんだったら辞めさせればいいのにな」
村上「ねぇー!まじきしょいわぁ」
その後も大石先生が女子生徒にしたことなどを、班員たちは話し続けていた。
けれど美鎖子は考え事に集中していたので全く内容が入ってこなかった。
美鎖子(もし大石先生の目が自分に向いていたら…。
でも勘違いかな、自意識過剰?)
美鎖子は色々と考えていたけれど、自然科学施設に着いたので考えることをやめようと努めた。
この数時間後。
改札で一件を大石先生にチクられて、美鎖子たちは担任の先生に怒られた。
しかし大石先生の怒りに比べると全く怖くなかった。
担任の先生の説教中、大石先生に首根っこを掴まれていた男の子はあくびをするほどだった。
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