9輪:三毛くんの思考


 結局美鎖子は、体育祭の予行練習日も体育祭本番中も何の仕事もせずに、椅子に座って日傘を差して応援に徹した。



 もちろん体育祭本番はちゃんと出場競技に参加した。


けれど美鎖子は玉投げで見事にすべて球を外し、


クラス対抗大縄跳びではしれっと何度も引っかかってしまった。



『生きるの下手』


『自分勝手に生きればいいのに』



 美鎖子の脳内では、脳内で勝手に改変された稜太郎の声が何度もリピート再生されて、

そのせいで美鎖子は全く体育祭に集中できなかった。



 対して稜太郎は無双していた。


100m走 1着。

クラス対抗リレー 1着。

団体対抗リレー 半周近い差を開き、1着に貢献。


 稜太郎は圧倒的な走力の差を、遺憾なく見せつけていた。

彼のおかげもあって、稜太郎が所属する緑組が総合優勝した。



 ときに美鎖子は、昨日も今日もたくさんの人に話しかけられた。

そのほとんどが


『三毛くんに殴られたって本当?』


『三毛くんが他校のヤンキーを殴って神楽さんを助けたって本当?』


という質問だった。

美鎖子は粗過ぎる噂がなぜこんなに早く広まるのか、不思議で仕方がなかった。



 美鎖子はなぜそのような噂が立ったのか、質問しに来た人に聞いてみた。


 すると美鎖子が倒れた日、


左腕に雑にジャージの上着を巻きつけた稜太郎が、


美鎖子を右肩に米俵のように担いで保健室に行くところを複数名の生徒が目撃したそうだ。


稜太郎の歩いたところには血の痕が残っていたらしい。



 “稜太郎が美鎖子を殴った派”は、


稜太郎が美鎖子を左手で殴り、


思いの外左手に殴った痕が残ってしまったと思った稜太郎は、


その痕を隠そうと左腕にジャージをぐるぐる巻きにしたのではないか?


そしてあの血の痕は美鎖子から出ていたのではないか?と考えたそうだ。



 でも殴った相手を親切に保健室まで運ぶか?


殴った相手の仕事を代わりにやるか?という疑問が残ったため、美鎖子に聞きに来たそうだ。



 “稜太郎が他校のヤンキーを殴って美鎖子を助けた”派も、


他校のヤンキーを稜太郎が左手で殴り、


予想外に殴った痕が左手に残ってしまったため、


その痕を隠そうとジャージを左手に巻きつけていたのではないか?


そしてあの血の痕は稜太郎と美鎖子の、2人のものではないか?と考察したそうだ。



 でも助けたにしては雑に怪我人を、米俵のようにして運ぶか?


そもそも授業時間中に他校からヤンキーが来ることはあるのか?


美鎖子は何をして他校のヤンキーの怒りを買ったのか?という疑問が浮かんできたため、美鎖子に聞きに来たそうだ。



 美鎖子は体育祭予行練習日の朝、体育祭委員の先輩たちに囲まれた時のことを考えた。


そしてそのうちの1人が『三毛くんと何があったの?』と言っていたことを微かに思い出した。



美鎖子(もしかして先輩たちは、私が貧血で倒れたのを知ったからじゃなくて、


三毛くんかヤンキーに私が殴られたと勘違いして、過保護にしてくれたのかも…)



 美鎖子は質問してきた全員に、自分は貧血で倒れて気を失っていたこと、

自分が倒れた時に稜太郎が庇って左手を怪我してしまったことを伝えた。


血の痕は稜太郎のもので、

仕事を代わってくれたのも稜太郎の配慮で、

自分のことを米俵みたいにして保健室に運んだのは…でもありがたかったということも伝えた。




* * *




 美鎖子は体育祭の片付けをするため、放課後学校に残った。


体育祭の片付けと言っても学級委員の簡単な仕事で、

応援のために使ったビニールテープのポンポンをクラス全員分集めて、ゴミ捨て場に捨てるというものだった。


 美鎖子は教室の机の上に置かれたポンポンをゴミ袋に入れ、それを持って校舎の外にあるゴミ捨て場に行った。


ゴミ捨て場にはポンポンの大量の残骸が置いてあり、それを見た美鎖子は思わず手を合わせてしまった。



 美鎖子が校舎内に戻ると、


昨日美鎖子が渡した保冷バックを右手にぶら下げた稜太郎が、廊下をブラブラとしていた。


稜太郎は美鎖子に気づくと、保冷バックを掲げてヒラヒラと揺らした。



美鎖子「か、返さなくて良いんですよ!」


 美鎖子は駆け足で稜太郎に近づいて行った。



稜太郎「いやお詫び」


美鎖子「お、お詫び?」


 稜太郎は保冷バックの持ち手を左手の親指に引っ掛け、

もう一方の持ち手を右手で引っ張りバックの口を開けて美鎖子の方に見せた。



美鎖子(あれ?昨日より左手の包帯が頑丈に巻かれてる)


 稜太郎の左手を見ると4本の指がまとめて包帯で括られており、親指しか独立した動きを取れていなかった。


昨日荒っぽく動かしていたし家族に怒られたのかな、と美鎖子は思いながら、そのまま保冷バックの中を覗き込んだ。



美鎖子「……え?」



 保冷バックの中には美鎖子が使っていたタスク帳の新品が入っていた。


美鎖子「そ、そんな、いいですよ気を遣わなくて」


 美鎖子は両手を横に振った。



稜太郎「でも僕使わないよ」


 稜太郎は美鎖子の方に保冷バックをぐっと近づけた。


そ、そうですけど、と美鎖子は思いながら保冷バックの中に視線を落とした。



 表紙に可愛らしいコーギーの写真が載ったタスク帳。


上目遣いの子犬と、美鎖子は目が合っているような気がした。



 稜太郎は人を見る時、時々サングラスの上からこちらを見る。


その時少し上目遣いになるのだ。



 このワンちゃんにサングラスつけたらほぼ三毛くんなのでは?と美鎖子が考えたその瞬間、


彼女の視界から保冷バックが遠かった。



稜太郎「ほぼ僕……?」


 稜太郎は保冷バックの口を自分に近づけて、タスク帳の表紙に載ったコーギーとにらめっこした。



美鎖子(あれ?!声出てた?!)


 美鎖子は飛び出しそうな心臓を飲み込んで、


そぉーっと稜太郎の左手から保冷バックの持ち手を外し、ちょんちょんっと引っ張った。

すると稜太郎はタスク帳とにらめっこするのをやめ、美鎖子を見た。



美鎖子「あ、あのぉ」


 美鎖子は稜太郎の方に体を傾けた。


それに応えるように稜太郎も前屈みになって、美鎖子の口元に耳を近づけた。



美鎖子「へ、変な噂を。


そ、その三毛くんが人を殴ったとかなんとかいう噂を、流してしまって、流す形になってしまって、


すごく申し訳なくて…い、頂く訳には……」


 美鎖子のこしょこしょ話が終わると、稜太郎は美鎖子から少し顔を離した。



 すると数人の女子生徒がコソコソと


「殴った」「米俵」


などと話しながら、美鎖子たちの横を通り過ぎて行った。



美鎖子(き、気まずい)


 美鎖子が稜太郎の顔を見ると、


稜太郎の目は完全に女子生徒たちを捉えていた。


そして次の瞬間、美鎖子は持っていた保冷バックの片方の持ち手に、バック全体の重みが掛かったのを感じた。



稜太郎「殴ってごめんなさい」



美鎖子(……えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?!


何を思ったの三毛くん?!


なんで頭下げてるの三毛くん?!


私の、私の努力(?)が無駄に!!)



 2人の横を通り過ぎた女子生徒たちは、少し離れたところで先ほどよりも大きな声でざわつき始めた。


それに気づいた美鎖子は「なぐ、殴ってないですよね?!」と、女子生徒たちに聞こえるように大きな声で言った。



稜太郎「殴った、というよりも叩いた?」


 稜太郎は可愛らしく首を傾げながら答えた。



美鎖子(…た、叩いた?)


 女子生徒たちは


「叩いたってよ」

「可哀想」


と言いながらその場を後にした。



美鎖子「……た、叩いたって言っても、ぺちって感じですよね?私が起きなかったから」


 美鎖子は誰もいなくなってしまったので、声量を抑えて聞いた。



稜太郎「むぅん…


再現してみる?」


 稜太郎は、今度は逆方向に首を傾け直して、美鎖子に1歩近づいた。



美鎖子(……さ、『再現してみる?』)



美鎖子「な、何をですか?」


 美鎖子は保冷バックの持ち手を強く握り、2歩後ろに下がった。



稜太郎「ほら、後ろに倒れてみなよ。持ち上げるところまでやってあげる」


 稜太郎は“支えますよ”といったようなジェスチャーをとった。



 すると美鎖子の頭に、自分が貧血で倒れて視界がホワイトアウトした時に見た光景が少しずつ蘇ってきた。



 その時の美鎖子の視界は、稜太郎から木々、そして空へとスローモーションで移っていった。


狭く、白く、ぼやけていく視界の中で、どんどんと空が徐々に遠のいていった。


そこに稜太郎の左手と、サングラスがズレた稜太郎の焦ったような顔が……。



美鎖子「いやいやいやいや大丈夫、大丈夫です!

ありがたくありがたくっ、タスク帳これ頂きます!」



 美鎖子は稜太郎に別れの挨拶もせずに、逃げるように走った。


 恥ずかしさからなのか、美鎖子の体は弾んでしまい、階段を2段飛ばしで軽々と駆け上がっていった。


 美鎖子は1年生フロアの踊り場に着くと、息を整えるため体育着の胸元を強く掴んだ。



美鎖子(み、三毛くんがわからない。


なぜ再現する必要があるの?


 あの1階の、人がよく通る廊下で、私が倒れると、演技として倒れるとしますよ?


その私を三毛くんが支えますよね。


三毛くんが私の頬を、軽く叩くとしますよ?


……私が意識のある状態でそんなことするなんて)



 美鎖子は顔を両手で仰いだ。



美鎖子(で?私は三毛くんに担がれるんでしょ?


…米俵みたいに)



 美鎖子は廊下をズカズカと歩いた。



美鎖子(やっぱり三毛くんは訳がわからない。


 恥ずかしいに決まってるでしょ!そんなことしたら!


…そ、そんなこと?


 ど、どんな感じで受け止めたかもわからないし、私のこと受け止めた時とか叩いた時とか、


三毛くんが何してたか分からないし、


三毛くんって何するか分からないし…。


 って、私どんな想像してるの。


こう、こうきて、こう支えて、こ、こう……)



 美鎖子は首を強く横に振って、教室に入った。

自分の机の上に置いてあるスクールバックを雑に肩に掛けると、


心の中で大声で叫んだ。



美鎖子(本当に三毛くんは何を考えてるのっ!!)





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