6輪:罪悪感の所在地


 翌日、美鎖子の母は朝一で業務用スーパーに向かった。


そして「命の恩人なんだからカートンにしました」と満足げに、

シュガーシガレットを2箱買って帰って来た。


 美鎖子は玄関先でシュガーシガレットが入った保冷バックを母から受け取った。

中身を確認するため保冷バックを開けてみると、ビニール袋に入ったシュガーシガレットの箱が透けて見えた。


その透けた箱の表をよく見ると、

〈シュガーシガレット 30個入り〉の文字が。


美鎖子「ママありがとう。

でもこれ1箱でカートンだから、もうこれじゃカートンなんだよね」


 美鎖子の母は「あらやだぁ」と言いながら口に手を当てた。


そして「もうそろそろ時間じゃない?」腕時計のない左手首を確認して、

「気をつけていってらっしゃい」と美鎖子を送り出した。



美鎖子(あれ?単位の授業でカートンは何箱だって習ったかな?

なんで知ってるんだっけ?)


 美鎖子はそんなことを思いながら歩いていたけれど、

すぐに稜太郎に何と言ってシュガーシガレットこれを渡そうか考え始めた。


美鎖子(ごめんなさい?

ありがとうございます?

粗品ですが?


あ、そういえば病院から帰って来た後、タスク帳が見当たらなかったな…三毛くん見てないかな?

いやっ、この話はシュガーシガレットを渡してから言うべきだよね。


……ああああああああああああああああどうしよう!!)


 学校が近づいてくると、美鎖子はどんどんどんどん何と言って渡そうか、考えがまとまらなくなってきていた。



 美鎖子が俯き加減で歩いていると、

「神楽さん!」という声が遠くから聞こえた。


美鎖子が顔を上げると、

体育祭委員の2・3年生たちが校門の前で手を振っているのが見えた。

そのまま先輩たちは美鎖子を目掛けて走ってきた。


 そこからは2・3年生のマシンガントーク。

「大丈夫だった?」

「荷物持つよ」

「三毛くんと何があったの?」

「もう今日も明日も何もしなくていいから」

と先輩たちが同時に話し始めた。


 美鎖子はパニックになり、

「ありがとうございます!もう大丈夫です!元気です!」と大声で言って、

2年生にぬるっと取られたスクールバックと保冷バックを取り返し、昇降口に駆け込んだ。




 ────なぜこうなった?


 美鎖子は気がつくと、3年生に持たされた日傘を差し、アームカバーも付けられていた。

2年生は美鎖子の頭の上に水で冷やしたタオルを乗せ、首にはひんやりとするリングもつけた。


 美鎖子の足元には体育教師の荒川先生が持ってきたクーラーボックスがあり、その中には冷えたスポーツドリンクと氷嚢が入っている。

クーラーボックスの上には保健室の先生が置いた充電式扇風機があり、美鎖子に生ぬるい風を送っていた。


 『大丈夫』と言ったはずなのにと思いながら、美鎖子は応援席の後ろの木陰に設置された椅子に座っていた。


 美鎖子はこの過保護措置を、最初は少し嬉しく思っていた。

しかし他の生徒たちの視線を受けて、恥ずかしさが断然に勝ってしまった。

けれど先輩たちの気遣いを無碍むげにすることも出来ず、

結局予行練習を応援席から離れた位置に設置された椅子から観戦した。



美鎖子(そういえば、三毛くんとは会えずじまいだな。

というか、今日三毛君見かけていないな)


 そんなことを考えながら、美鎖子はクーラーボックスの上で生ぬるい風を送り続けている扇風機をぼーっと眺めていた。



 するといきなり美鎖子の視界に、学校指定のものではないジャージが映った。


「ちょっと」と冷たく声をかけられたので、

美鎖子は少しビクッとし、恐る恐る顔を上げた。


 目の前に立っていたのは、稜太郎の担任の大石先生だった。



大石先生「あなた何してるの?」


美鎖子「あ、その」


 美鎖子は運動会を見に来た、子どもの出番を待っている母親くらいくつろいでいたので、

先生の質問に分かりやすく動揺してしまった。


大石先生「出場競技は?そこで何しているの?応援は?

日傘にアームカバー、ひんやりリングと扇風機とクーラーボックス。

これって学校に持ってきて良いもの?」


美鎖子(いやぁ全部、先輩たちの物と荒川先生の私物、

ハンディ扇風機は保健室の先生のデスクにいつも置いてある学校の備品なので、

私のものじゃないし…。

荒川先生のクーラーボックスに至っては、油性ペンで大きく荒々しい文字で荒川先生のフルネームが書かれてますけれど…)


 美鎖子は頭の中で言い訳を並べたけれど、そんなこと言い出せるわけもなく。


美鎖子「え、えっと」


 美鎖子は大石先生から視線を逸らし、

どう見ても怒っている先生の神経を逆撫でしないような説明を必死に考えた。

けれど謝る以外の良い方法が思いつかなかったので、

“謝りますか”と美鎖子が思ったその時、



「僕が持って来ました」という声が大石先生の方から聞こえた。


 美鎖子が顔を上げて先生の方を見ると、大石先生の後ろに稜太郎が立っていた。

先生も稜太郎の方を振り返っていた。


稜太郎「昨日神楽さん、体育祭委員の手伝いをし過ぎて倒れたので、心配で。

ほらその証拠に」



 稜太郎は包帯が巻かれた左手をヒラヒラと振った。


 包帯は稜太郎の左肘辺りから指先まで巻かれていて、

それを見た美鎖子は目を見開いて、

“そ、そんな雑に動かさないで!”と稜太郎に目配せをした。


けれど稜太郎は真っ直ぐに先生を見ていたので、美鎖子の目配せに気づいていなかった。


 さらに稜太郎は「神楽さんが後ろ向きに倒れて、頭を打ちそうだったので手で支えたらこうなりました」と言って、

左手をグーパーグーパーと動かした。


その話を聞いた美鎖子は

“あああああごめんなさい!ごめんなさいなんですけど動かさないでぇぇ!”と心の中で叫んだ。



大石先生「あ、あぁ、そうなの」


 大石先生は決まりが悪そうな声で稜太郎に返事をして、

「気をつけて」と美鎖子に軽い挨拶をして去って行った。


 美鎖子も先生に釣られて会釈した。

しかし心の中では“え、これでいいの?”と思いながら、去って行く先生の後ろ姿を目をぱちくりさせながら見送った。



稜太郎「大丈夫?」


 稜太郎が声をかけてきたので、

美鎖子は日傘を放り投げて飛び上がるように立ち上がった。


そして「手!手!」と言いながら稜太郎に近づいた。


 稜太郎は「ん?手?」と言ってまた左手をヒラヒラと動かした。


美鎖子は「そんな雑にっ!」と大きな声が出てしまったので、

今度は小さな声で「そんな雑に動かしたら傷口に障りますよ」と小声で話した。


 稜太郎は左手を動かすのを止めて、その手を観察し始めた。

そうそう、丁寧に、丁寧に扱ってください、と美鎖子が安心した瞬間、



稜太郎は先ほどよりも速くグーパーグーパーと左手を動かしだした。


美鎖子「なんでなんでなんでなんで?!」


 美鎖子は稜太郎の目の前であたふたし始めた。



稜太郎「いやぁ、こんな怪我したの初めてだから」


 落ち着いた口調で稜太郎がそう言うので、

美鎖子は背中を丸めて

「ご、ごめんなさぁい」と情けない声で謝った。

昨日母から、稜太郎が小学生の時3階から飛び降りたけれど無傷で済んだ、という話を聞かされたばかりだったので、

余計に肩身が狭くなっていた。


稜太郎「いやなんか面白くて。ちゃんと血が通っていたんだなぁって」


 稜太郎は自分の左手を裏表と観察するように見た。


 美鎖子はまた「すみませぇん」と情けない声で謝り、背中を丸めていた。

背中を丸めたので、美鎖子の目線は自然と下がった。



 すると稜太郎の右手に、プラスチックのバケツが握られていることに気がついた。

そのバケツの中には、茶色く変色したブラシが入っていた。



美鎖子(バケツ、水、ブラシ、茶色……血……しょ、証拠隠滅?!


あ、場所で倒れたことが先生たちにバレたら、

三毛くんの憩いの場かもしれないが閉鎖されちゃうかもしれないから、

今まで証拠隠滅してたってこと?!

わ、私がするべきことなのに…)



美鎖子「しょ、証拠、いん、隠滅、わ、私が…」


 美鎖子は壊れた機械音声のような声で喋りながら、震える手でバケツを指差した。


稜太郎「ん?あぁこれ?」


 稜太郎はバケツを美鎖子に近づけて見せた。



稜太郎「証拠隠滅?じゃないよ。

人間の皮って、めくれてもすぐに血って出ないんだね、僕初めて知った」


美鎖子(衝撃の事実!人体の不思議!

……じゃなくて!)


 美鎖子は焦り過ぎて、心の中でノリツッコミをしてしまった。


美鎖子「え、え、え、えじゃなんで?」


 稜太郎は「あぁ」と言うと、バケツを雑に地面に置いた。

そしてジャージのポケットの中を探り始めた。


美鎖子(あれ、よく見たら三毛くんのジャージが新しくなってる。

体操着も白い……。


血、血のせいかな?!)


 美鎖子が歯をガタガタと揺らしていると、稜太郎は何かを取り出した。



稜太郎「これ返したいんだけど、僕の血が」


 稜太郎の右手には美鎖子のタスク帳があった。

タスク帳は所々に変色して、茶色くなった血で染まっていた。



 美鎖子が自分の方に向けられたタスク帳をよく見ると、

<体育祭まで 西門掃除(水 ブラシ掃除)>

と書かれた部分以外全てに、美鎖子自身が書いていないチェックマークが付いていた。


美鎖子「あ、え?ななんでチェックマーク?」


稜太郎「え?いつまでとか書かれてたから」


 稜太郎は美鎖子が指差したチェックマークを、首を傾けて覗き込むようにしながら答えた。


そ、そういうことじゃなくてですね、と美鎖子は思いながら、

「いやぁ、あのぉ、なんで三毛くんがしてくれたのかなぁと思って」と稜太郎の顔を上目遣いで見た。



稜太郎「え?これって、神楽さんがやらなきゃいけないことじゃないでしょ?」


 稜太郎はタスク帳を自分の方に向け直し、パラパラとタスク帳をめくった。


稜太郎「だってこれ、体育祭委員の仕事でしょ?あれ、これ野球部がやってなかったっけ?」


 美鎖子は少し考えてから首を傾げた。



美鎖子「……私、体育祭委員じゃないって言いましたっけ?」


 稜太郎はタスク帳から美鎖子の方に目線を移すと、美鎖子と同じように首を傾げた。


稜太郎「……あれ?学級委員じゃなかったっけ?ほら朝会で並んでーって」


美鎖子(あ、なるほどぉ。)


 美鎖子はゆっくりと数回頷いた。



 けれど稜太郎がまた芯から逸れた答えを返したことを思い出し、

美鎖子は「あ、でもなんで、私の代わりにやってくれたんですか?この仕事」と言い換えて質問をした。


稜太郎「神楽さんが倒れた時、保健室に運ぼうと思って持ち上げたら、

タスク帳それがポケットから出て来たから?」


美鎖子(も、持ち上げて…。


いやいや三毛くんはさっきから私の質問に答えているようで答えていない気がする。

私は事実じゃなくて、三毛くんが何を思って手伝ってくれたか知りたいのであって…)


 美鎖子は少し頬を膨らませたけれど、質問をしても埒が開きそうになかったので…色々と謝ることにした。



美鎖子「私が倒れたことで、そ、その手を、左手を怪我させてしまってすみません。

あと怪我してるのに、私のことを運ばせてしまって、本当にすみません。

で、でも、タスク帳を見たからってそれが三毛くんの仕事になるわけでは…。

もし罪悪感?を持たせてしまったのであれば、ごめんなさい」


 美鎖子は勢いよく頭を下げて謝罪した。



しかし稜太郎は何も答えず、二人の間に静寂が流れた。


美鎖子(こ、このタイミングでの沈黙は何?


三毛くんは言葉を選んでるの?


それとも私の謝罪内容が悪かった?


謝罪のタイミング?


もしかして私の頭に何かついてる?旋毛押そうとしてる?)


 美鎖子はそんなことを考えながら、稜太郎の赤い靴下のクマの刺繍としばらく見つめ合った。



 すると美鎖子の視界の隅に白い布…。


いや、包帯が垂れ下がってきた。


美鎖子「いやなんでなんでなんでぇ?!」


 美鎖子は頭を勢いよく上げた。


 しかし稜太郎は美鎖子の大声に動じることなく、黙々と包帯を外し、傷口を覆ったガーゼをラップ越しに眺めた。


 ガーゼには血と得体の知れない黄緑色の液体が染み出していた。

傷口が直接見えていないのにも関わらず、稜太郎が凄まじい傷を負ったことが分かるほどであった。



稜太郎「…あれ?意外と治ってる?」


 稜太郎はつまらなそうな声でそう言ったけれど、

美鎖子は「治ってませんよ?!」と大声で叫び、稜太郎の右手から素早く包帯を奪い取った。


美鎖子(わ、わからないよぉ。

なんで今包帯外してみようって思ったのか、わからないよぉ。

もはや怖いまであるよぉ)


 美鎖子は稜太郎の左手を自分の方へそっと引き寄せ、傷口に障らないように丁寧に包帯を巻き始めた。

傷を覆ったガーゼからはツンと刺すような消毒液のにおいがして、美鎖子は口の中に紅茶のような味を感じた。



稜太郎「…罪悪感はないよ」


 稜太郎がいきなり美鎖子の謝罪に対して答え始めたので、

美鎖子は“タ、タイミング…”と思いながらも、黙って話を聞いた。



稜太郎「大した怪我じゃなかったし、治りかけてるし」


美鎖子(いやいやいやいや!

三毛くんの細胞たちが悲鳴を上げて変な液体出してるじゃないですか!)


 美鎖子は大声でそう叫びそうになったけれど、言葉を飲み込んで、包帯を巻き続けた。



稜太郎「罪悪感を持つべきなのは体育祭委員の人たちであって、僕じゃない」


美鎖子(……あれ?なんかド正論かまされてる気がする)



稜太郎「でもタスク帳これ見る限り、

神楽さんができなかった仕事のことを考えて、罪悪感というか、

色んな人に申し訳ないなぁって思ってそうだな、とは思った。

だから手伝ったんだけど…。

まぁ神楽さん、今は僕に罪悪感抱いてそうなんだけど」


美鎖子「お、お、おおっしゃる通りです」


 美鎖子はいきなり先ほどの質問攻めの答えが返ってきたことに驚いた。

それに加えて、自分の考えが図星だったことに動揺して声が震えた。



 美鎖子は包帯が緩まないようにしっかりと結ぶんだ。

そして先輩たちが用意してくれた椅子の方に行き、椅子の後ろに置いておいた保冷バックを持って稜太郎の方へ戻った。


美鎖子「そ、粗品ですが、お、お詫びに……」


 美鎖子は軽く頭を下げて、稜太郎にシュガーシガレットの入った保冷バックを差し出した。


 自分の代わりに稜太郎が仕事をしておいてくれたとは思っていなかったので、

美鎖子は母がシュガーシガレットを2箱買って来てくれたことにとても感謝した。



稜太郎「え?何これ?」


美鎖子「シュガーシガレット60個です」


稜太郎「……60?」


美鎖子「はい60個です、


2箱…


箱買い…


カートン…」


 稜太郎は少し間を空けてから美鎖子の保冷バックを受け取った。


 美鎖子は稜太郎がバックを受け取ってくれたので、やっと、ちゃんと顔を上げることができた。



 すると稜太郎が「何か、さ」とぽつりと言った。


稜太郎「上手く言えないけど、

神楽さんって生きるのが下手というか何というか……。


もっと自分勝手に生きればいいのに」


 美鎖子は息を呑んだ。



稜太郎「別にやり過ぎだとか、やめればとか言ってる訳じゃないんだけどね」



 自分勝手それができればいいんですけどね、と美鎖子は口に出せなかった。

稜太郎に『別にやり過ぎだとか、やめればとか言ってる訳じゃないんだけどね』と優しさを付け加えられてしまったからだ。


 美鎖子はゆっくり息を吐いて、両腕を絡めた。


そして「私もそう思います」と、稜太郎から目を逸らしながら答えた。



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