3輪:最初で最後


 救急車が病院に向かった後、歩道の端に座っていた稜太郎と美鎖子に消防士たちが声をかけてきた。


学生服姿の2人を見た消防士は、周りの様子を見て

「学校で話を聞こうか」と微笑んだ。



 中学校に向かう道中、気を遣った消防士がずっと2人に話しかけてくれた。


 しかし稜太郎は先ほどとは打って変わって、消防士の会話に相槌もせず、1番先頭をガニ股でズカズカと歩いた。


美鎖子はそんな稜太郎の足元を見て、

“ボンタンの実物、初めて見た“と感心してしまった。



 美鎖子の手の震えは、しばらく時間が経っていたけれど治っていなかった。

でも笑顔で話しかけてくれる消防士に心配をかけまいと、美鎖子は腕を後ろにして、手首をずっと揉みながら歩いた。


美鎖子(ボンタンボンタンボンタンボンタンボンタンボンタンボンタンボンタン…)


 美鎖子はガニ股で歩く稜太郎の足元を見ながら、手の震えから気を逸らした。

もちろん消防士には笑顔と相槌を忘れずにしていた。

けれどその話の内容は右耳から左耳へ、脳みそを通さず抜けて行った。



 中学校に着くと、消防士は校門のインターホンで職員室に連絡を取った。


 美鎖子と稜太郎は、その間に昇降口に向かった。

2人はそれぞれの下駄箱の前に行き、靴と上履きを取り替えた。


稜太郎はすぐ上履きに履き替えたけれど、 

美鎖子はまだ数回しか履いていない、履き口の硬い上履きとしばらく格闘をしていた。

指先に力が入らなかったからだ。


 昇降口の前の廊下には、体育館で行われる始業式に向かう生徒で溢れていた。

生徒たちは自分たちの会話に夢中で、遅刻気味の2人の存在に気づく人はいなかった。



 すると「君たち!こっちへ!」と教頭先生が手招きをしながら、美鎖子たちに呼びかけた。


 その教頭先生の声で、先ほどまで活気で溢れ返っていた廊下は、しんと静まり返り、2人に視線が一気に集まった。

そして少しずつ、ざわめきが広がり始めた。


 稜太郎はそんなことお構いなしに、教頭先生の方へまたガニ股で歩き出した。


美鎖子も出遅れないようにすぐに歩き出した。

でも周りの視線が気になり、ちょっとずつ背中を屈めて存在感を消そうと努力した。



 教頭先生が二人を案内した場所は、なぜか校長室だった。


美鎖子はゴクリと喉を鳴らした。



 しかし稜太郎は平然と校長室に入り、スクールバックを雑に床に置いてソファに深く腰かけた。


美鎖子(えっ!……えっ?!)


 校長室でも落ち着いた様子に見える稜太郎に、美鎖子はびっくりした。

けれどこのまま校長室のドアを塞ぐ訳にもいかないので、美鎖子は急いで稜太郎の横に行き、スクールバックを抱きしめて浅く座った。


 美鎖子と稜太郎は何も話さないまま、先生たちが入って来るのを待った。

いつもの美鎖子なら、沈黙を埋めようと何気ない会話を振るのだが、

校長室に通されると思っていなかった美鎖子は、完全に頭が回っていなかった。



 数分待っていると、大人たちがどんどん校長室に入室してきた。

稜太郎と美鎖子、その隣に各々の担任の先生が座り、その向かいに2人の消防士が座った。

その後に学年主任の先生と書記の先生が入って来た。


そしてなぜか校長先生も入ってきて、当たり前のように上座に着席した。


 気づけば、校長室の中は緊張感ある空間になっていた。



 大人たちは美鎖子と稜太郎にあらゆる質問をした。

その質問に稜太郎は淡々と答えた。

一方の美鎖子は何度も噛み、声を上擦らせながら質問に答えた。

校長先生は“我が校の自慢の生徒たちだ”とでも言いたげな、わざとらしい微笑みを浮かべながら、その様子を見守った。



 しばらくして1人の消防士が校長室を退席した。

3分ほどで帰ってくると、倒れたおじさんの心拍が戻ったことを校長室にいる人たちに伝えた。


 校長先生は立ち上がり、試合に勝ったかのような歓声を上げて、美鎖子と稜太郎に大きな拍手を送った。

担任の先生たちは、お互いの顔を見合って安堵のため息をついた。



消防士「では最後に、ここにお名前とご住所を」


 30分ほどの質問攻めが終わると、

消防士が美鎖子と稜太郎にそれぞれ紙を差し出した。



 すると稜太郎は不意に立ち上がって、スクールバックを拾い上げた。


校長先生「ちょ、ちょちょちょっ!」


 突然動き出した稜太郎を、校長先生は慌てて制止しようとした。

稜太郎の担任の先生である大石先生も、

「ど、どうしたのよ」と稜太郎の急な行動に怯えるような声を出した。

消防士たちも“状況が飲み込めない”といった表情をしていた。



稜太郎「それ、のやつですよね。僕は大丈夫です」


 稜太郎がそう言うので、

美鎖子は気になって差し出された紙を見てみた。


美鎖子(“感謝状”…“お礼”…?)



校長先生「ちょ、え!み、三毛くん座りなさいよお」


稜太郎「失礼します」


 稜太郎は校長先生の制止を振り切り、というより校長先生のことなど気にも止めず、

消防士たちに軽く会釈をしてから、校長室をズカズカと出て行った。



 “えぇ……”というような、困惑した空気感が校長室に広がった。


 一部始終を見ていた美鎖子は焦っていた。

校長先生の態度も他の先生の態度も、が目当てだったように見えたからだ。


そして1人残された美鎖子に対して、

“じゃぁ、神楽さんだけでも”という流れに先生たちが持ち込むことも、美鎖子は容易に想像できた。



美鎖子「し、し失礼します!!」


 美鎖子は叫び声のような甲高い声を上げながら立ち上がった。


美鎖子(変な声出ちゃったぁ!)


 しかしこの逃げるチャンスを逃す訳にも行かず、

美鎖子は消防士にだけ会釈をして、ドタバタと足音を立てながら校長室を勢いよく飛び出した。



 体育館で始業式が行われているため静まり返った校舎内。


そんな廊下を稜太郎は我が物顔で歩いていた。


 けれど美鎖子のバタバタバタッという大きな足音が聞こえてきたため、

稜太郎は立ち止まって美鎖子の方を振り返った。


 稜太郎の前で膝に手をつき、ヒーヒーと息をしている美鎖子に、

彼は「……よかったの?」と話しかけた。


美鎖子「空気がっ、地獄でっ、とってもっ、居れたものじゃっ」


 美鎖子は胸に手を当てながら呼吸を整えた。



美鎖子「三毛くんはっ、よかったんですか?あの…感謝状?」


 美鎖子がそう尋ねると、

稜太郎は軽くため息をつきながら、右上の方を見るように顎を上げた。

そして考えがまとまっていないような仕草を取りながら話し始めた。



稜太郎「感謝状あれで、僕が“良い人だ”っていう証明?するみたいで…なんか、んー。

人助けしたからって、僕がいきなり良い人になるわけじゃないでしょ。

だから…そうだな、気持ち悪い、から大丈夫かなぁって」


 美鎖子はリアクションに困って、

「へ、へー!」と嘘くさい返事をした。


人命救助の感謝状イコール良い人の証明書だと、今まで考えていた自分が恥ずかしくなったからだ。



美鎖子(き、気持ち悪いって、い、言い切られた)


 美鎖子は動揺した心と同じくらい、無駄に体を弾ませてしまった。

さらに笑顔にもなってしまった。

別にさっきまで感謝状をもらおうとしていたわけではないが、

稜太郎がいなければ感謝状をもらっていたであろう自分を、容易に想像できたからだ。



 すると先生たちが校長室から出てくる声がした。


 稜太郎はその様子を見て、すぐ横にあった階段の踊り場の方へ行った。

美鎖子も先生たちに、特に校長先生に絡まれるのが怖かったので、2階へとつながる階段の影に隠れた。



 稜太郎は、階段の影に隠れていた奥の方にあるドアに気づき、そのドアを開けた。

美鎖子も一緒になってそのドアの向こうを覗いてみると、ドアは外と繋がっていた。



稜太郎「……来る?」


 稜太郎は美鎖子の方を見て言った。

美鎖子は小刻みに頷いて、ドアから駆け足で外に出た。



 ドアから外に出ると何のために作られたかわからない、3畳ほどの場所に出た。


周りの景色が見えないほど生い茂った木々が、バリケードのようにその空間を区切っていた。


下のコンクリートには誰も来ないのか、ところどころに苔が生えていた。


美鎖子が周りを見渡して確認してみても、後ろの階段の踊り場にあるドアからしか出入り口がなさそうだった。



 ドアを閉めた稜太郎は、またスクールバックを雑に置いた。

そしてドアの前にある、湿気でジメッとした冷たいコンクリートの段差に腰かけた。


美鎖子もまた、スクールバックを抱きしめながら恐る恐る稜太郎の隣に座った。



美鎖子(沈黙……)


 美鎖子は目の前にある木々の葉っぱの枚数を数え始めた。

学校に来るまでの道中で、消防士の気を使った会話に全く反応を示さなかった稜太郎を思い出し、

“自分の話なんてもっとつまらないだろう”と考えた、美鎖子なりの暇潰しだった。



稜太郎「……ていうか、名前なんだっけ?」


美鎖子「すみませンンン!!!!」


 美鎖子は稜太郎に向かって、凄い勢いで頭を下げた。


美鎖子(この謎の沈黙は私の名前を思い出そうとしていただけだったのね!

そうよね、三毛くんは有名人(?)だけど、私は他のクラスの、関係ない一般生徒ですものね!

私は普通に『三毛くん』なんて気安く呼んでしまいましたけどね!)


稜太郎「な、名前」


 稜太郎が若干引き気味になっていることを、

美鎖子は旋毛で感じ取った。


美鎖子はゆっくりと顔を上げて、背中を丸めながら自信無さげに答えた。



美鎖子「い、1年2組の神楽美鎖子です……」


稜太郎「あぁ、カグラは苗字だったんだ。へぇ、隣のクラスなんだね」


 稜太郎は頷きながら返事をした。



稜太郎「僕は1年3組の三毛稜太郎。って知ってるか、な?」


 はい、知ってます…、なんて美鎖子は言い出せるはずはなく。


低い声で「ははは」と言いながら、顔を引き攣らせて笑った。

美鎖子の背中は、恥ずかしさでどんどん小さくなっていった。



稜太郎「あ、保健室、行かなくて大丈夫?」


美鎖子「え?な、なんですか?」


 美鎖子は背中を丸めたまま、稜太郎の方を自信なさげに見た。


稜太郎「顔色、さっきまですごく悪かったから」


 稜太郎は自分の顔を指差しながら答えた。


美鎖子(さっきまで悪かったんだ…)


 美鎖子は救命処置をしていた時、頭の先から血が引いていく感覚があった。

しかし校長室では、自分の体調の悪さはさほど気にならなかった。


美鎖子(あぁ、たぶんさっきまで、

ちゃんと救命処置の状況を伝えなきゃとか、


謎の緊張感が漂ってるなとか、


三毛くんはサングラス外さなくていいのかなとか、


校長先生は始業式に行った方がいいんじゃないかなとか、


そもそも校長先生ここにいる意味あった?とか、


色んなことで頭がいっぱいだったから、全然体調のことは気にならなかったのかも)


 美鎖子は人差し指と親指の指先同士をくっつけて、両手でOKサインを作って稜太郎に送った。


美鎖子「大丈夫です、元々貧血持ちなんで」


稜太郎「え、じゃなおさら」


美鎖子「なおさら慣れているんで、大丈夫です」


 美鎖子は稜太郎の方へ少しOKサインを近づけた。



 すると稜太郎は、美鎖子のOKサインを見たままピタリと固まってしまった。


美鎖子(あ、あれぇ?時間止まったぁ?)


 呑気に美鎖子がそんなことを考えていると、



稜太郎はいきなりOKサインを作った美鎖子の右手首を掴み、自分の方へ引き寄せた。


美鎖子「ん!!?ん?!」


 美鎖子はいきなりの出来事に、筋肉を硬直させた。

稜太郎があまりにも真剣に、美鎖子の作ったOKサインを観察しているからだ。


 美鎖子も自分の左手のOKサインを崩さないまま、左手の手の平の方が自分に向くように、ゆっくり自分の手を動かした。


しかし美鎖子が自分の左手を十分に確認する前に、

稜太郎がボソリと呟いた。



稜太郎「…爪の跡」


美鎖子「……あっ、あー!!」


 美鎖子は勢いよく稜太郎の手から自分の腕を引き抜いて、彼から距離を取った。


 美鎖子は救命処置の後や校長室で話をしている間、ずっと拳を握りしめていた。

けれど綺麗に4つ、自分の手の平に赤紫色に変色した、爪が食い込んだ跡がついていることに全く気づいていなかった。


 美鎖子は早口で「こ、これも大丈夫です本当に」と言った。


 稜太郎は少し間を空けて、ゆっくりと一回頷いた。

納得はしてない、という感じの頷きであった。



 直後、始業式を終えた生徒たちの声が体育館から流れ出てきた。


稜太郎は立ち上がって、スクールバックをリュックのようにして背負った。

そして美鎖子に「じゃぁ」と言って、ドアノブに手をかけた。


稜太郎「あ、同級生なんだから敬語じゃなくていいよ」


 稜太郎が不意に振り返ってそう言ったので、

焦った美鎖子は「で、ですよね!」と敬語で返してしまった。

稜太郎はその返事に何の反応も示さないまま、ドアを開けて校舎の中に戻って行った。



 美鎖子は1人、自分の手の平についた爪の跡を見ながら、ため息をついた。


 美鎖子はこの短時間で、稜太郎に自分の恥ずかしい部分を全部見られたような気がしていた。


それに自分が、稜太郎が『気持ち悪い』と感じる部類のに、憧れと居心地の良さを感じていることに、自己嫌悪に襲われていた。



 美鎖子は、今度は大きくため息をついた。


美鎖子(これで三毛くんと関わるのは最初で最後でありますように。


いや、私が最初で最後にさせるのかも)


 美鎖子はだんだんと痛み出してきた爪の跡を強く親指で擦り、腿を拳で叩いて立ち上がった。




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