橙の扶郎花
岩桜 瑠璃
1束:隣のクラスの同級生
1輪:神楽美鎖子
────「みーちゃん、みんなの前で泣かないほうがいいよ。泣いた顔、かわいくないから」
この言葉は、美鎖子が幼稚園生の時に、初恋の男の子に言われた言葉だ。
美鎖子はなぜ自分が泣いていたのか、今はもう思い出せない。
けれどその男の子が美鎖子の顔を見ずに、手持ち無沙汰に足で小石をドリブルしながら、面倒くさそうな声でそう言ったことは、はっきりと覚えていた。
美鎖子は幼いながらに、人前で泣かないことを決意した。
そして初恋の男の子に、カルガモの親子くらいの距離と頻度で付いてまわるのもやめた。
────「神楽さんって、なんでいっつも怒ってるの?私たち何かした?」
この言葉は、美鎖子が小学校低学年の時に、クラスメイトの女の子から言われた言葉だ。
美鎖子にとっては標準装備の、ノーマルな表情をしていても、
同級生には美鎖子の顔が怒っているように見えていたのだ。
でも美鎖子はそのことについて理解があった。
なぜなら美鎖子は、絵に描いたようなキツい猫目だったからだ。
というのも美鎖子自身、毎朝洗面所の鏡に映る自分の目が、こちらを睨みつけているのではないかと思うほどだった。
だからもし同級生から「怒ってるの?」と聞かれたとしても、
美鎖子は優しく「怒ってないよ」と伝えようと思っていた。
しかし美鎖子のその計画は破綻した。
大勢の女の子たちが美鎖子の元まで、廊下のど真ん中を、
まるで大奥系のドラマでよく見るあのシーンのように、
綺麗な三角形の体系を保ちながら歩いてきたからだ。
そしてセンターに立つ女の子だけが、なぜいつも怒っているのかということを、美鎖子に問い詰めてきたのだ。
美鎖子は驚きのあまり何も言えなかった。
この公開大奥尋問をきっかけに、美鎖子は仲間はずれにされ、無視もされた。
それに加えてありもしない話を言いふらされもした。
美鎖子は転校を機に、いじめられないようにしようと決めた。
それから周りの人から怒っているように見られる表情をするのをやめた。
────「神楽さんが怖いから、神楽さんの指示に従ってました」
美鎖子は小学校中学年の時、友達だと思っていた女の子たちにいじめの首謀者にされた。
もちろん美鎖子は転校を機に、いじめられないようにきちんと努めた。
友達の愚痴にも悪口にもちゃんと相槌を打った。
これをしなければ「良い子ちゃんぶってる」といじめられることを知っていたからだ。
しかし友達は美鎖子のいないところで、ある子をいじめていた。
陰口以外にその子の上履きをゴミ箱に捨て、ノートや教科書を修復不可能なほどに破き、トイレの汚水を頭から浴びせた。
いじめを受けた子がクラスの先生に相談したことでいじめが発覚し、学年集会が開かれた。
そこで友達は「いじめは神楽さんの指示に逆らうのが怖くてやった」と学年全員が見ている中で、美鎖子を一度も見ることなく、涙を流しながら説明したのだ。
もれなく友達全員がそう答えた。
いじめを受けていた子は、彼女たちを抱き締めて頭を撫でた。
そして軽蔑するような目で睨んできたことを、美鎖子は鮮明に記憶している。
学年集会が閉会してからすぐに、美鎖子に対するいじめが始まった。
そのいじめの首謀者はいじめを受けていた子。
そこに元友達や他の生徒たち、担任の先生までもが加わった。
いじめの内容は、美鎖子が指示していたとされるいじめの内容と同じ。
美鎖子は担任の先生から「自業自得」「いじめっ子だから、仕方ないよね」という言葉を飽きるほど聞かされた。
けれど美鎖子は両親に心配をかけまいと、ちゃんと毎日小学校に通っていた。
"お姉ちゃんだから我慢しなきゃ"と自分に言い聞かせていたのだ。
美鎖子は二度目の転校を機に、みんなから好かれるような良い子になろうと誓った。
そして悪く見られるかもしれないことを避けて、他人に対してネガティブなことを言うのもやめた。
────「神楽さんは、先生とやりましょうか」
美鎖子が小学校高学年の時、この言葉を毎日、耳にタコができるほど先生から聞いた。
もちろん美鎖子は良い子でいようと努めていた。
宿題を忘れた子には宿題を見せてあげた。
困っている子がいればお手伝いをしてあげた。
悪口大会が始まったらその場からそっと離れた。
しかし蓋を開けてみると、美鎖子のことを友達と言ってくれる子は、誰一人としていなかった。
グループ活動でもペア活動でも、いつも孤立していた。
美鎖子はただの都合のいい良い子ちゃんになっていたのだ。
美鎖子は“真の”良い子になりたかった。
“真の”良い子というのは良いことをたくさんして、みんなから好かれて、友達がいっぱいいるような子のことだ。
真っ直ぐで純粋な、そんな子。
けれど美鎖子は今後の人生において、都合のいい良い子ちゃんであり続ける方が、いじめられるリスクが一番低いことを知ってしまった。
でも“真の”良い子に対する憧れは消えなかった。
だからほんのちょっとだけ抗いながら中学校生活を送ることを、美鎖子は密かに決めた。
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