第2話「白と赤」

「……誰」


 雁屋は、視界に一人の少女の姿を捉えた。顔立ちは幼く、同年代だろうと推測される。


「誰でも良いだろ、いや良くはないか」


 ヤケクソ気味に口走った言葉を慌てて擁護しながら、雁屋は立ち上がろうとする。しかし少女の力が思いのほか、というかもう異常なほどに強かったため微動だにしない。しかし会話も苦にならないほど呼吸はしやすいので、力の抜き方が相当に上手い。


「俺は通りすがりのただのヌートリアオタクいってぇ!」


「所属は」


 ふざけて回答したところさらに締め上げられる。あまり少女から敵意というものは感じられないが、このままバッドコミュニケーションを続ければ首の骨を粉砕されるだろう。


「第八特殊戦略小隊二分隊、雁屋 祥だ」


 脱走してきた部隊名と名前を名乗ると、少女はふっと拘束を解く。外れそうになった右肘の関節をさすりながら立ち上がり、雁屋は少女の姿をはっきりと視認する。白いワンピースを身にまとい、裸足で、いかにも可愛らしい。ワンピースの白と腰まである黒い髪のコントラストがとても綺麗だ。こんなのに威圧されて身動きがとれなかったのかと思うと赤っ恥である。


「その名前は本名?」


「捨てさせられたんだがね。宝物というのは心の底に残ってるもんで」


 少女と正対して、雁屋はその身長が低いのに驚く。今の雁屋は百六十八センチで、少女は相対的に見て百六十センチ弱といったところだ。少し下から雁屋をまっすぐと見つめるその目は壮麗さすら感じる真紅で、ぼーっとしていると吸い込まれそうだ。


「ところで、なんで俺を放したんだ?」


「ここに一人で来た割には無線機を持ってない」


 少女は雁屋の問いに簡潔に答える。ヤケクソで起こした行動も意外と実を結ぶものだと雁屋は過去の自分に限りない賞賛を送る。少女は全く表情を変えず、無のままに雁屋との会話を続ける。


「ここの斥候に来たんだろうと思ったけど違うようだし。そこの扉閉めて」


 人使いが荒い、と内心呟きながら雁屋は今し方開けたばかりの扉を閉めに向かう。一応、少女に背を向けることがないように後ろ手で鍵までかけると、少女の元まで戻る。


「ところで君の名前を聞いてないな」


「ない。どこを探しても」


「心の底にしまってないの?」


「空っぽだから」


 特に愁色しゅうしょくを表すわけでもなく、少女はそう言い切ると雁屋についてくるように言って施設内を歩き始めた。皮肉の一つでも言ってやろうと思った雁屋だったが、その様子を見てすんでの所で飲み込む。触れたらろくな事にならないだろう。こういう人の心はニトログリセリン並である。

 どうやら雁屋が押さえつけられていた部屋はリビングのような空間らしい。ローテーブルやソファが並べられ、それなりに居心地の良さそうな雰囲気がある。ただこれも真っ白に塗装されていて、その点居心地はかなり悪そうだ。その隣の長机に椅子が並んでいるゾーンはダイニングか。ここから廊下まで壁がなく、開放的な造りになっている。それも塗装のせいでとてつもない圧迫感が付加されているので、意味をなしていないのだが。


「ここって人が住んでたの?」


「そうらしい」


「らしい、とは何だ。君はここの住人じゃないのか?」


 少女の奥歯にものが挟まったような言い方に突っ込みを入れる。彼女はそれに応えなかった。おっと地雷を踏んじゃったか~と内心ヒヤヒヤしている雁屋は、ふとダイニングテーブルの上に写真立てを見つける。横長のそれには、思い思いにポーズを取る少年少女たちが写っている。この施設内で撮られた写真らしく、皆一様の服を着ているが、三者三様の笑顔を浮かべている。

 その中に、少女らしき人物も写っているのを雁屋は見つけたが、見なかったことにした。あの鉄面皮の裏にあった何かを、今の彼女にぶつけるのは酷だと察した。


「どうしたの」


「いや何でもない」


 少女がこちらを振り返って問うたので、雁屋は急いで写真立てを身体の後ろに隠し答える。


「そこの棚が気になってね。一人暮らしでもしたら欲しいんだが、どこに売ってるか知らない?」


 少女は呆れるでもなく、さっと踵を戻してまた歩き始める。雁屋は写真立てから大急ぎで写真を抜き取り、ポケットにしまってその後を追った。少女はいかにも居住区らしき廊下に出ると、左に曲がって突き当たりの扉へと向かう。やはりここに住んでいたのか、と確証に近いものを感じながら、少女が開けた扉をくぐる。


「階段か」


 そういえば、雁屋はこの建物を外から見たときに二階建てではないかと予測を立てた。およそ合っていたということだろう。階段は二人並んで上ることができる程度の幅だ。少女に続いて階段を上ろうとしたところ、彼女は踊り場に立ち尽くしていた。ちょうど雁屋を邪魔するような格好だ。


「……何のご用で?」


「意思確認」


 少女が踊り場に立って、雁屋を見下ろす。


「きっと君の目的と私の目的は一致している。でも、私についてくると大変なことになる」


「たとえ君に会わなくてもそうなってたさ。逆に戦力が増えてくれただけありがたいね」


 そう、とだけ言って少女は階段を上り始める。どうやら交渉は成立したらしい。雁屋はその様子から、いかにも素っ気ないふりして実に優しい心を持っているものだなあと感心した。


「大変なことになるっての、その理由は今は聞かない方が良いのか?」


「別に構わない。知ったら後戻りできないけど」


 いかにもそれらしき警句を言いながら、少女は扉を開ける。入る? と言わんばかりに雁屋の方を向き、首をかしげる。

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新しい祈りの日 郷愁との偶発的な再会を喜ぶ鉄面皮な白犀 @ArakawaTakuya

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