第11話 お嬢様とボロアパート

 このあたりは不法投棄が頻発するくらいだから、お世辞にも治安が良いとはいえない。


 真衣のような美少女がここらを歩いていたら、よからぬ輩から声をかけられるかもしれない。


 それで、俺に助けを求めて——


 いや……俺には関係ないことだ。


 だが……万が一ということもある。


 一応確認のために、話しくらいは聞いた方がいいか。


 家に上げる気はなかったが、真衣の深刻そうな顔を見たら、帰れという言葉が出なかった。


「……お願い……少しだけ中で話してもいい?」


 上目遣いに真衣にそう言われて、俺は思わず頷いてしまった。


 と、真衣は、一転して顔をパアッと明るくさせると、


「ありがとう! 唯」


 そう言ってするりと俺の横を抜けると、素早く部屋に上がりこんでしまう。


「ち、ちょ——ま、待て——」


 その変わり身の速さに俺は唖然としてしまう。


 く……やはりリアルの女というのは信じられない。


 俺は結局またこの真衣の美貌と演技に騙されてしまったのか……。


 真衣は俺の部屋に勝手に上がり込み、キョロキョロとあたりを見回している。


 だいぶ目つきが真剣で、正直怖いくらいである。


 まるで、ドラマで見た家宅捜索をする刑事のような雰囲気だ。


 真衣のやつ……いったい何を探しているのだろうか。


 は……まさか……真衣のやつ……そうかわかったぞ。


 真衣がわざわざ俺の家までやってきた理由が……。


 きっと真衣は俺の部屋であるものを見つけようとしているのだ。


 そう俺をおとしめるためのブツ——思春期の男の部屋には必ずあるもの——を探しているのだ。


 誰かと仲良くなるためには、その人と誰かの悪口を言い合うのが手っ取り早い。


 特に女子はその傾向が強い。


 だから、クラスではいつも陰口がたえない。


 真衣は、クラスに早く溶け込むために、俺をからかいの種として利用しようとしているのではないか。 


 だが、幸いと言ってよいのか、俺の部屋は一人暮らしの男の割にはかなり整頓されている。


 今ではこの有様だが、俺は3年前まではそこそこの家で暮していた。


 家族もいたし、その家族……特に母いやあの人からは無駄に厳しく躾けられた。


 今から考えると躾というより、虐待一歩手前だったような気がするが……。


 あの時に、あの人たちの本性に気づくべきだったな……。


 いずれにせよ、整理整頓の類は幼い時分から体に嫌というほど染み付いている。


 家族はいなくなったが、そういう習慣は未だに抜けきれない。


 だから、いまでも俺の部屋は綺麗に整頓されている。


 そのおかげで、俺の数々のコレクションも真衣の目のつかないところに隠されている。


 残念だったな……真衣、お前の計画はまたも破綻したんだよ。


 真衣は、俺の部屋をひとしきり見る。


 あいかわらず見たこともないほどに怖い顔を浮かべたままだ。


 いや気のせいか先ほどよりもその迫力はましているように見える。


「女狐たちの気配は事前の調査どおりない……か。嫌な匂いもしないし。ひとまずはよかったというべきかしら……でも、それにしても……唯にこんな生活を送らせるなんて……あの豚ども……許せない……でももう大丈夫……これからはわたしが唯を——」


 真衣はそう何やら小声で一人つぶやいて、虚空を睨んでいる。


 話しかけるのすら憚れるほどの真衣のその殺気をまとった雰囲気に俺は気圧されてしまった。


 まるで親の仇を前にしたような態度だ。


 ま、真衣のやつ……こんなに怖かったけ……。


 い、いや……それよりも真衣……相当怒っているな。


 やっぱり……さっきの態度はいくらなんでも失礼だったか。


 俺は話しかけるタイミングを失してしまい、どうしたものかと真衣を見ていた。


 とりあえず俺は、冷蔵庫から、作り置きの麦茶をコップに入れて、ローテーブルに置く。


 まあ……招かれざる客でも最低限の対応はしないといけないだろう。


「は、はい……お茶」


 俺は未だにただならぬ雰囲気を醸し出している真衣にそっと声をかける。


「あ! う、うん……唯……あ、ありがとう」


 と、真衣は俺が話しかけた途端に、なぜかまとっていた雰囲気が柔らかくなる。


 俺はその様子に思わずほっと胸をなでおろす。


 べ、別に……真衣にビビっていた訳ではない。


 単に、一緒にいる人間が怒っていると、こっちまで気分が悪くなるだけだ。


 真衣は、長い黒髪にさっと手を通して、スカートに手を置いて、畳の上に座る。


 真衣のその仕草は極めてありきたりのものだった。


 それにもかかわらず、真衣のその動作はとても上品に見えて、俺は思わず目を奪われてしまった。


 いや……本当のところを言うと、真衣が来てからずっともう俺の目は真衣に釘付けになってしまっている。


 反則だろ……こいつの可愛さは……。


 教室でも旧校舎でも真衣の方をあえて見ないようにしていた。


 こうなること——どうしようないほどに魅了されてしまうこと——がわかっていたからだ。


 それなのに、真衣は俺の家にまで来て、目の前に……こんなに近くにいる。


 真衣を見ないではいられない。


 この部屋がポロアパートの一室であることを一瞬忘れてしまうほどに、真衣の美貌とその華麗な振る舞いからは圧倒的なオーラが漂っている。


 ただ可愛いだけでは決してまとうことができない気品のようなものといえばよいのか。


 俺はそこでようやくある事実を思い出す。


 そうだった……真衣は超がつくほどのお嬢様だったと……。


 小学生の時はそのことをそこまで意識していなかったが、いまあらためて実感する。


 水無月家……元々は華族であり、戦後の財閥解体で一時縮小するが、その後、再び盛り返し、今では大小無数の複数の企業をその支配下におく一大財閥家……以上、wikapediaより。


 俺は今まで真衣のペースに乗せられて、すっかり心がのぼせ上がっていた。


 しかし、おかげで冷静さを取り戻すことができた。


 さきほどから真衣が怖い顔をしていた訳がわかったからだ。


 要するに、水無月家の令嬢である真衣は、俺のボロ家を見て、ドン引きしたということだ。


 まあ……いいさ、俺と真衣とはではそもそも住む世界が違う。


 それに、真衣が俺の家にウンザリして、さっさと帰ってくれた方が都合がいい。


「唯、その……転校してからずっとこの家にひとりで住んでいるの?」


 真衣はあらためて、小首を回して部屋をグルリと見る。


 真衣の表情はやはりだいぶ影があるように見えた。


「……そうだけど」


「そう……なのね。あの豚ども……どうしてくれようかしら……いえ……でも裁きを下すためにはまず唯の許可をもらわないと……アイツラも一応唯の家族なのだし……」


 真衣は顔をそむけて、また小言でブツブツと何か文句を言っているようだ。


 顔も相当引きつっている。

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