『人の女神』

 あるところに1人の少女がいた。


 少女は特別だった。

 生まれながらにして不思議な力を持ち、その力を使って家族や隣人――たくさんの人を救けた。


 世界には多くの生物がいる。

 人間、動物、植物、魚に鳥、猫、そして魔物。


 その中にあって、人間は弱い存在だった。

 動物のような力はなく、植物のような生命力はなく、海にさらわれれば助からず、空も飛べない。


 世界の頂点にいたのは魔物だった。

 人間とは比較にならない多様な姿を持ち、空も海も大地も、あらゆるすべてを支配する。

 魔物と相対すれば、人間はすぐに殺されてしまう。


 だけど、少女だけは違った。

 彼女は不思議な力を使い人間を守り、魔物を倒すことができたのだ。


 そんな少女は人間の現状と世界の在り方に心を痛めた。


 世界は広い。

 しかし、人間の住む世界は狭い。

 魔物が寄り付かないような、本当に小さな領域だけが人間のすみかとして認められた場所だった。


 人間は日々を必死に生きる。

 生きて、生きて、生きて、生きて、生きて、生きて――

 そして、やがて目の前に現れる魔物によって簡単に命を奪われていく。

 人間という種族に与えられた、そんな理不尽な現実が少女にとってはつらかった。


「お兄さん。それ、何やってるの?」


「ん? ⬛︎⬛︎⬛︎か。これはな、お祈りだ」


「お祈り?」


「そうだ。こうやって、俺たちは毎日祈るんだ。今日を無事に生きていくことができて、ありがとうございます。明日も、また生きていけるようお願いします……ってな」


「誰に祈ってるの?」


「んなの、神様に決まってる」


「神様? 神様ってなに?」


「神様ってのはな、えらい存在なんだよ。俺たちを助けてくれて、生きていくことを許してくれて。見守ってくれてるんだ」


「……そんなの、本当にいるの?」


 少女が首をかしげると、祈りを捧げていた男が晴々とした顔で笑って答えた。


「――いるさ。そうじゃなきゃ、報われないだろ? 毎日頑張って、頑張って生きて……最後に、神様の下に俺たちは帰るんだ。だから、生きていけるんだよ」


 そう言った男は、次の日に魔物に襲われて死んだ。


 人間はみんな神様に祈りを捧げる。

 そうすれば、明日死ぬかもしれない不安から目を逸らすことができるから。

 死んでも、神様の下に帰るだけだから。

 常に、生きていく頑張りを見守ってくれるから。


 だけど、少女は思った。


「――神様なんて、いるわけない」


 そんな存在がいるのなら、この世界はこんなにつらいことばかりなわけがないんだから。


 今この瞬間、苦しんでる人がいる。

 今この瞬間、悲しんでいる人がいる。

 今この瞬間、死んでしまいそうな人がいる。


 人間を救うなら、死んでからじゃなくて今救うべきだ。

 だから神様なんていないのだ。


 もし本当にこの世界に神様がいるのなら、きっとそれは魔物の神様に違いない。

 だって、世界はこんなにも魔物を祝福してるから。


 人間の中でただひとり、恐ろしい魔物を倒すことができた少女はたくさんの人々を見てきた。

 たくさんの感情に触れてきた。

 たくさんの絶望の顔と、それを覆したときの感謝の顔。


 神様がいるのならなんで救わない。

 人間はこんなにも懸命に生きていて、絶望の隣にいながら感謝と希望をお祈りすることができるのに。

 とってもえらくて、すごく頑張っているのに。


「――だったら、わたしが神様になる。見守ってるだけで助けてくれない無責任な神様に代わって、わたしが人間を助けるんだ。これはきっと、そのための力だよね」


 少女は強い。

 どんな魔物が相手でもいとも簡単に倒してしまう。

 少女がひとたび力を振るえば、もう魔物なんて怖くなかった。

 魔物の脅威さえなくなれば、人間は森を切り開くことができる。

 少女は魔物の手から多くの地上を奪いとって、少女についてきた人々はいくつもの町を作った。


 ほんの少しの場所にしか住むことを許されなかった人間は、少しずつその領域を広げた。

 数を増やし、協力して、人間はここにいるぞと世界に主張するように繁栄していく。


 恐怖の象徴である魔物を倒すことのできる強さ、どれだけの時を重ねても変わらない姿、人間を救おうという高潔な意思と慈愛の心。

 やがて少女は人々に敬われ、尊敬されるようになる。


 その不思議な力は、世界すら変革する。

 少女は人間に魔物を倒し、生きていくための2つの力を与えたのだ。

 それは『魔力』と『闘気』という力。


 『魔力』は人間の可能性を広げ、『闘気』は人間の脆弱な体を強くした。

 これをもって、人間は魔物に対抗できるようになる。

 人間は、たったひとりの少女の手によって救われたのだ。


 やがて人々は、少女のことを自然とこう呼びはじめた。

 ――『人の女神』と。














「――だが、少女は人間だった。姿は変わらず、長いときを生き……それでも終わりの時が訪れた」


 青年は、目の前に鎮座する棺を前に小さく呟く。


「この世界のもっとも古い救済の話。始まりの神話」


 青年は棺の蓋をゆっくりと外す。

 そして、蓋が開かれた棺を覗き込んだ。


 そこにはひとりの少女が眠りについていた。

 長い金色の髪をした、幼い少女だ。


「これがあなたの本当の姿なのか。ずいぶんと、見栄を張っていたのだな。いや、これがわずかでも残った人間性というものか。まったく、羨ましい限りだ。私には恨みと怒りしか残らなかったというのに」


 青年は、眠りにつく少女へと手を伸ばす。


「あなたへの恨みや怒りはない。だけど、これは私にとって必要なこと。人間の救済を願ったあなたには悪いが、私が願うのは人間の根絶だ。その力、利用させてもらおう」


 青年が少女に触れると、少女の体が少しずつ光の粒子となって消えていく。


 少女が消えてなくなるのを最後まで見送った青年は、空になった棺へと背を向けた。


「あなたに私を恨むことはできないだろう。感情など、すでにないのだから。神とはそういうものだ。私も、すぐにあなたと同じ存在になる。だけどその前に――」


 何事か言いかけて、青年は首を横に振った。


 青年は歩く。

 静かな地下を、一歩一歩と足音を鳴らして歩く。


「人間に対する恨みと怒り。私に残った最後の感情――消え去る前に、終わらせよう」

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どうあがいても死亡ルートしかない悪役だけど、生き残るために努力する 秋町紅葉 @trah

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