第3話 ころりころり

 今し方見たモノに恐怖する深結へ、そういう場所なのだと斜陽は事もなげに言った。柔和に微笑みながら。

 不意にその笑みが、帰ろうとする自分を滑稽と嗤っているように思えて、「何がおかしいの!?」と苛立ったのなら、困り眉に笑んだ斜陽は言う。

 こういう顔なのだ、と。

 証拠に斜陽が両方の口角を指で下げても、彼の口元は笑みを刻んだまま。

 深結自身の手でも下げてみるかと聞かれたなら、気まずさに首を振った。

 重ねて彼は言う。

 気にすることはない、私はそういう者なのだ、と。

 だから逃げるのだろうと手を伸べられて、瞬間迷いが生じた。

 深結が此処から脱したいのは、別に斜陽を嫌ってのことではない。ただ、此処が恐いのだ。相容れない此処が恐いから、逃げたい。

 対し、此処の者だというのに、深結を慮り、助けてくれる斜陽のことは――……。

 惑う深結へ、重ねて彼が言う。

 気にする必要もない、逃げたいなら、逃げることだけに専念するべきだ、と。

 まるで深結の考えを読んだかのような言葉に顔を上げる。

 見つめる先のその顔には、変わらない笑みだけがあり、深結は再び手を取った。


 それから先は繰り返しだった。

 基本的には影絵の道のりをただ進むだけなのだが、急に現れる得体の知れない相手に、思わず声をあげてしまったり、知らず斜陽の手を離したり。その度、戻った先で斜陽の説明を受け、対処法を頭に入れて再び臨む。

 最初に見た頭だけの化け物は、直進し続けるしかない存在らしく、立ち止まってやり過ごすのみ。逆にリスに似た化け物は、目の前で立ち止まると身体に登って居座るため、蹴散らす勢いで通り過ぎる必要がある――等など。

 繰り返せば繰り返した分だけ蓄えられてくる、ここでしか役立たない知識は、何度も経験する内に自然と身についていった。自分しか時間が戻らないことで、同じ道を歩く度、同じタイミングで化け物たちが出てくることも、増え続ける知識に無理なく対処できる要因になっているのだろう。


 合間に、斜陽についても色々と知る機会があった。

 此処を出た後、深結と一緒になって黙るのは、彼自身にも制約があるためではなく、ただ単に、自分が話すと深結がつられて話してしまうと思ったから、とか。

 最初に聞いていた通り、道中、花嫁である深結に危害が加えられることはなかったが、斜陽の命を狙うモノはいる、とか。そして、それらがどう足掻いても、傷一つつけられないほど、斜陽は強い、とか。


 例として一場面をあげるなら、その時のソレは斜陽の命を奪う目的ではなく、花嫁――深結を奪う目的で斜陽を殺そうとしていた。だが、ソレは思惑を語る途中で、いきなり発火し、苦痛の呻きもあげられないままに焼失した。消し炭の一欠片もなく。


 これにより此処へ戻った深結が、斜陽という存在自体を本当の意味で恐ろしく感じたなら、相変わらず微笑む斜陽は開いた距離を詰めることもなく、此処での身分を明かす。

 陽のない此処で何よりも力を持つのは、名に陽を持つモノであり、此処が花嫁を選び連れてくるのも、自分たちのような名を持つモノのためである、と。

 何故と問えば、基盤のない陽の均衡を保つためだという。新しい血――陽のある現世の存在は、斜陽たちの育ち過ぎた力を制御するのに欠かせない、と。

 花嫁の存在は、自分が思う以上に此処では重要なのではないか。

 そう深結が思い、改めて斜陽へ問うたなら、彼はそれには答えずあっさり言う。

 そんなことよりも、深結の気持ちの方が大事だから――と。

 話を聞く限り、深結が花嫁にならなければ斜陽が大変なことになるのではないか。

 改めてこれを伝えたところで、彼はやはり答えず事もなげに笑う。

 大事なのは深結の気持ちであって、此処の事情は一考に値しない。だからこそ、深結の記憶にあるこれまでの斜陽も同様に、このことを語らずにいただろう?――と。

 どこまでも深結を優先しようとする斜陽に、言い表せない思いを抱いたなら、彼は今までと同様に、今までとは少し違う言い方で深結を帰路に促す。

 ――ほんの一欠片でも帰りたい気持ちがあるのならば、此処に残るべきではない。


 そして再開される繰り返しの道。

 回を重ねていく中で、やがて慣れが生じ始めたなら、それに合わせて見える景色も変わっていく。最初はただの暗いだけの草原だったはずが、そこここに黒い腕が生えていたり、小川を渡る白い石がうつ伏せに沈む人の形と気づいたり。

 どうしたって深結の望む場所は現れず、帰る気持ちを強める要素しかない。


 その内に、ふと思い起こしたのは、家族のこと。

 斜陽の話では、花嫁の存在は此処に来た時点で現世から消えるという。

 それなら、このまま帰って果たして元の生活に戻れるのか。

 戻った時に聞いたなら、これもまた斜陽は問題ないと笑った。

 なんでも、現世に帰った時点で花嫁の存在していた記憶は戻るそうだ。ただ、此処と現世の時間の流れは少し違うらしく、戻った時点で数日経過している可能性はあるという。その点の言い訳については、深結任せになってしまうと申し訳なさそうに斜陽は付け加えた。


 心配の種がなくなれば、後は進むのみ。

 繰り返し、繰り返し。

 時に、本当に自分は帰りたいのか段々分からなくなる気持ちは、斜陽の後押しを受けて持ち直し、見えない終着に帰れるのかという不安は、迷いなく伸べられる斜陽の手に引かれて払拭する。

 そうして、初めて見えたゴールらしき場所に目を見開いた深結は、直後、思わぬ強風でうっかり戻され、前にした斜陽の笑みとその手のひらに顔を覆った。


「どう……したかな? まさか、ないとは思うが私が何か……?」

「違います……。ただ、ゴールっぽいところに着いて」

「なるほど。それは残念だ。あともう少しのところだったのに」

「違うんです。そうじゃなくて」

「うん?」

 困惑した声がかかる。

 正直、深結自身もどうしてこんな風に顔を覆っているのか分からなかった。

 陽のない道のりで初めて見た、白い光を放つ場所。

 これを目にした時の斜陽の様子からも、あれはゴールで間違いないはずだ。

 それなのに、ゴールを前にして戻されたことよりも、戻された後の斜陽の姿を見て、堪らなく胸を締めつけられるのは何故だろう。

「……あの」

「何かな?」

「抱きついてもいいですか」

「もちろんどうぞ」

 言うなり抱きしめられたのは深結の方。

 驚きながらも恐々腕を回したなら、慈しむように頭が撫でられた。

「喜びの抱擁、という訳でもなさそうだね。今更不安、という訳でもなさそうだ。正しくは確認と言ったところかな? これで君にも何か得られるものがあれば喜ばしいことこの上ないんだが」

「……君にも? 貴方には何が?」

 不思議に思って見上げたなら、斜陽は初めて見る明るさで笑った。

「こうして君を抱きしめているだろう? 嬉しくないはずがない。ああ、勘違いはしないでくれ。別に君に私と同じ気持ちであって欲しいという意味ではない。ただ、私がこうして君を抱きしめていることを喜びとしているように、君にも何か、得られるものがあれば良いと思っただけで」

「……抱きつきたいと言ったのは私の方ですけど」

「ああ、それもすまないね。でもほら、抱きつかれるには抱きしめた方が安定するだろうから、君を支える意味でも私は君を抱きしめるべきだと思ったんだよ。という訳で、この腕はまだ離さなくても良いだろうか? 撫で続けても? せめて君の気が済むまではこうしていたいのだが、許してもらえるだろうか?」

「ど、どうぞ」

「ありがとう」

 にっこり笑って礼を言ったところで、斜陽の腕は深結を更に引き寄せるでもなく、撫でる手の動きが変わるでもない。それは深結の腕が力を込めても変わらず。

(……うん。たぶん、そういうことなんだ。私は――)

「斜陽さん」

「うん? そろそろ出発するかい?」

「!」

 何の気なしにかけられたその言葉で、深結は愕然とする。

 深結にとっては長い時を共に過ごした斜陽。

 だが、斜陽にとって深結との関係は、あくまで最初の頃のまま。

 積み重ねてきたものなど、深結の方にしかない。

 時間が戻されるというのは、そういうこと。

 例え斜陽に回された腕が優しくとも、頬を寄せた身体が心地良くとも、これは深結が重ねた記憶の感覚であって、今ここにいる彼は深結との今までを知らない。

 同じように振る舞えば、同じように接してくれるとしても、分かっていても――。

 受け入れがたい、しかし、紛うことなき事実を前に、想いを仕舞い深結は頷く。

「はい、行きましょう」

 

 手招く黒い草原を横目に、繰り返した道を辿る。

 これで最後だと心に決めて、分かりきっていても慎重に進む。

 握った手は深結から離さなければ離れることはないと知っていた。

 払うことになるくらいなら、その身体に腕を回し、抱き上げられれば抱きしめる。

 そうして再び辿り着いたゴール前。

 一度体験した強風は、一歩引いて観察し、規則的に吹いていることに気づく。

 確かめるように指を差せば、斜陽は変わらない笑みで頷いた。

 ――もうすぐお別れのはずなのに。

 それとも……もしかしたら。

 不意に深結の頭があることに思い至った。

 あれだけ何度も繰り返し、その度に会話を重ねてきたのに、まだ確認していないことがある。

 此処を出たとして。

 果たしてもう二度と、斜陽と会えないものなのか。

 もしかしたら、此処を出たとしても斜陽とは今後も会うかもしれない。

 だからこそ、彼はこんなにも気楽に深結を帰そうとしてくれる。

 ――そっか。だから……。

 たぶんそう。きっとそう。

 確証はないが、今までの斜陽のやり取りを振り返れば、そういうことなのだろう。

 少しだけあった迷いは断ち切られた。

(行こう)

 覚悟を決めて、強風に離れないよう、斜陽の手をしっかり握って進む。

 そうしてゴールへ辿り着いたなら、二人揃って白い光、その先へ。


 迎えたのは、燃えるような夕陽に染まる見慣れた風景。

 そして、始まりと同じく唐突な――別れ。

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かさねがさね かなぶん @kana_bunbun

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