第37話 女神の図書館 そして…

 クレアは、世界樹の根の回廊をてくてくと歩いていた。登っても登っても階段は続いていた。もうずいぶん登ったはずだ。


(いつになったら、着くのかしら)


 不思議な灯りで満たされた回廊をひたすら歩いて登って、ようやく光が見えた。


(出口だわ)


 光の出口をくぐると、そこは空の上だった。

 クレアは目をぱちくりと瞬かせる。


(あれ? アルフレッド様のところに戻るのではなかったの?)


 後ろを振り返ると、世界樹の回廊は葉ばかりになっていた。葉の先まで登ってきてしまったらしい。


 世界樹の頂上には雲の広場があり、柱のある建物が建っていた。1階には壁がないので中の様子が良く見える。建物の中に庭があり、泉があり、揺り椅子があるようだった。壁際には本が並ぶので図書館なのだろうか。螺旋階段が上階へと向かって行っていた。


 揺り椅子に、白銀の流れる美しい髪の女性がいた。本を読んでいる。


 クレアは建物に近づいた。


 女性が顔を上げる。


 紫色の瞳がクレアを射抜いた。穏やかな顔をしているのに、威圧感があってクレアは息をのんだ。


「いらっしゃい。わたくしの巫女姫」

 クレアがそのまま、動けないでいると、女性んーーー女神はすっと立ち上がった。


(……っ、来る!)


 クレアは思わず息を潜めた。

「わたくしの、末裔」

 女神はクレアの頬にそっと指を添えると、そのまま肩を持った。

 優しく押して、クレアを椅子の方へ誘導する。

 女神に押されるままに、クレアは歩いた。

 すとん、と揺り椅子の向かいにある籐の椅子に腰掛ける。女神は揺り椅子に戻った。

「あの」

 クレアは意を決して声をかけた。

「末裔って、どういうことですか」

 女神はあやふやな笑みを浮かべた。

「そなたは、我が末裔。わたくしの、愛した我が子の、子孫です」

 女神がすっと手を振ると、小卓に飲み物が現れる。

「どうぞ。飲んでも彼岸から帰れなくなったりはしないわ」

 すすめられて、クレアはおそるおそる口をつけた。しゅわっと爽やかなレモンの風味がする水だった。

 女神は遠い目をする。

「その昔……わたくしが図書館の世界を作って、どれくらい経った頃かしら。この世界樹の図書館を整えてくれる人がいたの。

 わたくしと彼は愛し合って、子どもたちも産まれた。だけど残念なことに、彼とわたくしは流れる時間が違ったのね。彼の子はクレールの名を継いでゆき、貴女に辿り着いたのよ」


「女神さま。あなたにとって、クレールの名は残したほうが良いものなのでしょうか? このまま何もしなければわたくしで絶える名です」


 クレアは少々心配になって、女神に尋ねた。クレール家の名を復活させるつもりはないのだ。

「かまいません。それも理というものでしょう。名が絶え、血が絶えたとしても、魂を継ぐものが生まれるでしょう。これまでの巫女たちのように」

 ふふふ、と女神は笑った。

「あの娘たちは、わたくしの子の魂を継いでいました。良き娘たちでした。……そなたも、我がもとで図書館を整えて過ごしませんか。ごらんなさい、わたくしの図書館を」

 女神の指す先を、クレアは見た。一面の図書館。螺旋階段を登った2階の上から、どこまでも続く図書館。見上げても霞むような雲の上へ向かって、女神の図書館は延びていた。

 クレアの目に一冊の本が飛び込んできた。懐かしい、今は無い本。王宮図書館にも所蔵がなかった一冊。父が燃やしたクレール家の書庫にあった本だった。

 心が震えた。


 あの本が燃える悲しみは、少しも色褪せずにクレアの中にある。

 ここに、いれば。失ったことすら、無かったことにできるのかもしれない。


 心が少しだけ揺れた。


 ちり、と耳元で金具と石が触れる音がした。アルフレッドのくれた珊瑚の耳飾り。


『本棚ごと、君を守るよ』


 愛情に満ちたアルフレッドの眼差し。

 辛い時に、抱きしめてくれた体温も。何気なく交わした食事の時の会話も。


『クレア、好きだよ』


 たくさんのアルフレッドのくれたものが、クレアの心を暖かくする。

 クレアはきゅっと手を握ると、立ち上がった。

「わたくしを、待っていてくださる方がいるのです」

 女神の力に抗って、微笑む。

「ここにある本はとても魅力的ですが、わたくしを待っていてくださるかたがいます。わたくしがこれからつくる本棚を、わたくしごと守ってくださるというのです。わたくしは、アルフレッド様とともに生きることを、選びます」


 女神は目を丸くした後、淋しそうに微笑んだ。


「そう」

 ふう、とため息をついて。女神の吐息がそっとクレアを包む。

「ではね、わたくしの姫。また、迷ったらいつでもここに来なさい。歓迎するわ」


「はい、ありがとうございました」

 クレアは膝を折ってお暇の挨拶をした。


 女神の吐息に包まれて、クレアはそのままふわりと浮かび上がり、きらきらとした、光に包まれながら大樹の中を降りて行った。


 世界樹の図書館の高さまで戻ってきて、まず見えたのはアルフレッドだった。アルフレッドはクレアに驚いて手を伸ばす。

 クレアはふわりとアルフレッドの腕の中に着地した。きらきらとした光がクレアのまわりを舞い、溶けて消えた。


「おかえり、クレア」

「ただいま、アル……」

 クレアはほっと、その慣れた体温に息をついた。いつのまにかこの腕の中が、クレアの戻る場所になっていた。

「アルがいなければ、ここに戻って来れなかったと思います」

「帰ってきてくれてありがとう」

 アルフレッドはクレアをもう一度ぎゅっと抱きしめると、フロアへ下ろした。


「クレア。お待ちかねの子がいるよ」

 アルフレッドの抱擁から放たれると、黒い塊が飛びついてきた。

「クレア!」

「ルーシェ! 呪いが解けたのね」

クレアは夢中で、ルーシェを抱きしめた。

「ルーシェ、会いたかったわ」

「クレア、おかえりなさい」

 ルーシェはぎゅっとクレアを抱き返すと笑った。

「クレアが無事でよかった!」

「それはこちらのセリフよ、お嬢さん」

 クレアはちょんとルーシェの鼻をつついた。

「さあ、みんなで帰ろう」

 アルフレッドが声をかけた。四人が手を繋ぐ。

 世界樹の魔導書グリモワールの魔法陣の扉はまだ顕現したままだった。四人は扉を開けた。


「またね」

 はたはたと、図書館に残される司書猫アイルが手を振った。

「またね……僕の末裔」

 かつて、人だった頃には帝国の王族だった司書猫はつぶやいた。






 それから、クレアは目まぐるしい日を過ごして。

 その日、純白のドレスに身を包んでいた。

「綺麗だ、クレア」

 正装をしたアルフレッドが迎えに来る。

 二人で、教会へと入場した。

 教会の中、美しい天井画の上の方からひらひらとたくさんの花びらが舞い降りてきた。女神の祝福だった。

『花の降る日の結婚式』と後世の歴史書に名を残す結婚式の、はじまりだった。


「本棚ごと、君を護るよ」

「ずっと、あなたの側にいます」







おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

図書館姫と世界樹の図書館 婚約破棄されたけど本棚ごと君を護ると王太子に溺愛されています 森猫この葉 @z54ikia

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ