第36話 ルーシェの前世 生贄の少女
***
世界樹の葉の映し出す画面で、アルフレッドとアイルはルーシェの前世とタクトの前世の物語を見ていた。最後まで結ばれることなく終わった二人に、せつなくなってため息をつく。
「その後、何度もエルシー、つまりルーシェとタクトは生まれ変わったみたいだよ。ルーシェがそれを追体験していて、タクトが追いかけて知っていっているみたいだ」
アイルがつぶやいた。
場面はまた、違う状況になっていた。この国は、閉鎖されているようだった。
「このティアという少女がルーシェみたいだね」
***
「生贄が逃げたぞ!」
怒号が響く。少女を抱えて、彼は身を潜めた。
「生贄を逃すな!」「タクトが裏切ったぞ!」
角の向こうを武装した兵たちが駆ける。
青年は、少女を抱きしめて息をひそめた。元は白かったであろう服は泥にまみれ、髪もくすみ、頬は青白く。少女は、ぼやける瞳ですがるように青年を見上げた。
「むり、しないで」
やせほそった小さな手で、彼の服をつかんだ。
「わたしは、もういいから。あなたがむりをしないで」
黒い青年は微笑む。
「絶対に、君を助ける。信じて」
少女は不安そうに瞳をゆらがせ、目を伏せた。
何度も死線をくぐりぬけ、二人は故国から遠く離れた村にたどりついた。住民たちは親切で、村のはずれの家を借りて住むことができるようになった。若い男手に不足していた村の住人は青年の働きを喜んだし、少女は村の娘たちと布を編んで飾りをつくった。
数年の時が過ぎ、監禁生活で弱っていた少女の体もだいぶよくなった。
「タクト。……ありがとう。あなたには感謝してもしきれない。なのに、ごめんなさい」
ティアは顔をゆがめ、なみだをこぼした。
「ごめんなさい。私はよくばりだわ。あなたのことが、……あなたのことが、好きになってしまった」
助けてくれた彼の思いを汚すような、自分の恋情が許せなくて。ティアは涙をあふれさせる。
「こんなにずるくてごめんなさい。あなたが他の子を奥さんにするのはいやなの。あなたが、わたしのそばにいてほしいの。すきなの。どうしようもなく」
タクトはそっと、ティアの涙をぬぐう。恐る恐る顔を上げたティアに見えたのは、このうえなくやさしく微笑んだタクトだった。
「ありがとう、ティア。俺も好きだよ」
ティアの目が見開かれる。
「あなたに、たくさんけがをさせてしまったのに?」
「うん」
「あの国の、輝かしい幹部の未来を奪ってしまったのに?」
「うん。そんなものいらない」
タクトはにっこりと首を振った。
「君のためなら、ほかの何もいらないよ」
そっと、ティアを抱きしめる。ティアはまた違う感情であふれる涙をとめられず、タクトの胸を濡らす。
「結婚しよう」
ティアは小さくうなずいた。
ふたりはその村で、ささやかな結婚式をあげた。野の花と小動物たちの祝福する、自然に愛された二人にふさわしい結婚式だった。
このまま、何事もなく年老いていけると思ってた。
だけど国の要職に就いた友人から、不穏な便りが来ていた。タクトは警戒して、家に隠し通路を作った。
その予感は当たってしまった。
ティアは隠し通路に身をひそめる。彼女たちの家で、戦いの音がする。何度も、何度も。 昨春生まれたばかりの子は幸い、すやすやと眠っている。
(もうやめて。わたしからなにもかもを奪わないで。ただ、しずかにくらしたいだけなのに)
そして、静寂が訪れた。
どれくらい時間がたっただろう。彼女は隠し扉を開けた。そこは、ひどい有様だった。
何人もの刺客の死骸とともに、タクトが倒れていた。ティアがかけよると、薄く目を開ける。
「きみがぶじでよかった……」
血に汚れた手でティアの髪を撫ぜた。
「きみは、生きて。子どもたちを守って」
ティアは声にならず、涙をためて首を振った。
(あなたが、いなければ生きてなどいけないーーーー!)
「ねえ、おねがい。あの国はもう君たちを狙わない。新しい世代になったんだそうだ。こいつらは負けて、破れかぶれでここに来たって。……だから、だから」
タクトは、笑った。全身を振り絞った笑みだった。
「きみたちは、生きて。オレの分まで」
ティアは天井を向いて息を一つ吐き、気持ちをなんとか繕って。そして、微笑んだ。
「あいしてる」
タクトも嬉しそうに微笑んで、そして最後の息を吐いて、目を閉じた。
そのとき、ティアが思い出していたのはいつかの会話。
「ねえ」
「なあに」
「どちらかが死ぬときは、笑って見送ろうね」
「いいよ」
「いつか、年老いて、死がふたりを分かつときは」
「笑って、見送ろう。約束だよ」
ずっと先、二人が年老いた先の話のはずだった。
こんなに、はやくくるなんて。ティアは慟哭した。
そうして、子どもを大人になるまで育て上げると、ひっそりと息をひきとった。
*
そこに、女神が現れた。
「悲しき娘の魂よ」
ティアの、エルシーの魂に問う。
「わたくしの救いを受け入れますか。そなたに、精霊の姿を与えましょう。千年眠って生まれ変わった先で、そなたの伴侶に再び巡り会えるように。このままでは何度繰り返しても悲しき未来を呼び寄せてしまいます」
ルーシェは、それを受け入れた。
こうしてエルシーの魂は眠りに就き、千年の時を経て黒猫の精霊となり、クレアに拾われたのだった。
「ルーシェ」
タクトが呼ぶ。
「ルーシェ。僕のルーシェ」
嬉しくて、ルーシェはにこりと笑った。
「タクト。だいすき」
「おいで。帰っておいで。君を待っている人がいるよ。僕も待ってるよ」
「タクト……? どこにいるの?」
「こっちだよ、僕のルーシェ」
タクトの声がする。
ルーシェは白い光の中を、タクトの声がする方へと歩いていった。
まぶしい光の向こうに、タクトーーー現在のタクトの姿が見えた。
嬉しくなって、ルーシェは駆け寄った。
「タクト!」
タクトが優しく受け止める。
「おかえり」
「ただいま? なの?」
「うん。おかえり」
「ただいま。だいすき」
タクトは少し笑った。
「君が大人になってもその想いが変わらなかったら、その時は……」
「おとな、なる?」
「うん。待ってるから。君はクレアと一緒にいろいろなことを体験して、それから大人になればいいよ」
タクトはそっとルーシェを抱き上げた。
「さあ、帰ろうか」
「うん!」
ルーシェはタクトの首に抱きついた。
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