最終話
◇
「……と、まあ、そこからここにいるんだけどね」
男はあくまで軽い口調でそんなことを話す。私はそれに対して、何か言葉を返す、ということはできなかった。
「第二音楽室のことは保健室の先生から聞いてさ。あの先生、悪ノリがすごいからやってみなよとかいって、本当にやっちまったんだよなぁ」
冗談めいた口調。でも、私は、どんな言葉を返せばよかったのだろう。
彼が軽口のように話す言葉は、きっと私に対しての配慮でしかない。私がこういう風に沈黙をしないための、大事な配慮。それならば、きちんと雰囲気に便乗しなければいけないけれど、結局それでも言葉はまとまらない。
そんな過去が存在して、私がどの口で物を言えるだろうか。理沙の言葉を思い出しながら、そんなことを考える。
彼はそんな過去が存在していても、そうして人生は明るいものだと言うように。それでも人生を歩まなきゃいけないと示すように。そんな彼に、私は言葉を紡ぐことが許されているのだろうか。
内容に対してのショックとかもあるとは思うけれど、結局、それさえもただの言い訳でしかない。私は、呼吸さえまとまらないまま、呆然としている。
彼にとってみれば、きっと私程度の話なんて、暗いものではない。せめて、そんな言葉をしゃべればいいのだろうか。
でも、私から口を開くことはできない。沈黙が続いて、どうしようもない。ずっとこれの繰り返し。自責だけが上手になる感覚。
「……もしかして、気を遣ってたりする?」
「……」
私は、やはり答えることができない。
その問いでさえも、きっと彼の配慮だし、それこそが気遣いだ。それに対して行動するのは……。
「……だから言ったのに。ろくでもない話になるってさ」
男は、ははっと笑いながらそう語る。
「──それでも、私は聞くべきだったんだと思います」
やっとの思いで言葉を吐く。男は、少しびっくりしたように声を上げた。
「だって、あなたのことを知らなければ、やっぱりあなたのことを誤解したままだった。勝手に最悪な印象をつけて、そして、無意識にあなたを傷つけて……」
「……別にいいと思うんだけどな」
「よくないです!」
割と強い口調でそう返していた。
「私の話程度、貴方に比べればなんでもないようなもので……」
私は、なぜかあふれる涙とともに、そう言葉をつぶやく。まるで独り言のように。
「それは、違うと思うよ」
「──ぇっ」
男は、語る。
「程度、という言葉は使わないほうがいい気がする。君は確かに悩みぬいて、そうして俺に話してくれたわけだし、きっとその相談は俺が想像する以上に重大な問題なんだと思う」
「……」
「価値観は人によって異なるんだから、程度なんて言葉、使っちゃだめだよ」
どこかで聞いたような言葉。私は涙が止まらなかった。
◇
しばらくすすり泣くような声をあげて、次第に落ち着いてくる。男はその間も黙りながらずっと待っていて、私は話せるように呼吸を整えた。
整えた呼吸、ため込んだ酸素を吐き出して。
私はそうして、彼に向き直った。
「なんとか、頑張ってみます」
「……うん。きっと、なんとかなると思うよ」
──そこに、光明はあると思うから。
私は、その言葉に背中を押されて、そうして世界へと解き放たれた。
◇
きっとどこまでいっても暗い話なのかもしれない。でも、それは個人の些細な価値観の違いでしかなくて。もし暗い話だとすれば、明るい話に書き換えてしまえばいい。
それを現実に上書きするように、そうしたらきっと彼にも前向きに話せるような気がしたから。
彼はずっと第二音楽室で待ってくれるだろう。
いつになるかはわからないけれど、私にとっても明るい話になるように。
止め処なく明るい話を、紡げるように。
止め処なく明るい話を 楸 @Hisagi1037
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