はなさないで、と彼は言った。
椎名喜咲
はなさないで、と彼は言った。
――A県B町にあるC岬は恐ろしい場所と噂されている。というのも、年に必ず人が飛び降り自殺をするからだ。ことの始まりは、
【某オカルトサイトから抜粋】
*
わたしの頭の中に某オカルトサイトの文面が浮かんだ。思わず舌打ちをしそうになった。危機的な状況にあるにも関わらず、自分が真っ先に浮かんだのは怪しげな信憑性も無きに等しいサイトの文章だった。泣きたくなる。
これが走馬灯か。そんなはずはない。わたしは即座に否定する。こんな走馬灯あってたまるか。
「――
彼がわたしの手を掴んでいる。わたしは困惑しながらも頷くしかない。いや、彼の目から見てわたしは頷いたと解釈できたのか。
わたしは今、崖に落ちそうになっている。
噂のC岬において。
C岬は強風に晒された場所だった。おそらくC岬で起きる
そもそもどうしてこんな目に遭っているのか。わたしの記憶はようやく過去へと遡り始める。
……そう、成り行きだ。
これは成り行きに過ぎない。
彼とは合コンで知り合った。ちょうど男が途切れていたわたしは彼を見初め、ホテルに直行した。付き合っているわけではない。しかし、なんとなく関係が続いている。まあいいかなぐらいのだらけた関係。
そんな彼が心霊スポットとして提案したのがC岬だった。彼の車に連れられて、わたしはC岬に来た。
そのときにはもう夜だった。とても暗く闇に覆われていた。確かになかなかの臨場感があった。同時に、わたしはちょっとした恐怖感を覚えた。
――ここには多くの自殺者がいる。
死の匂いを感じ取ったのだ。わたしはC岬から一歩後退る。そのとき風が吹いて――。
わたしの手を彼は掴んでいる。
わたしの力は徐々に失い始めていた。そのたびにひぃっ、と声が洩れる。ここから落ちたら死ぬ。本能的に理解している。
「離すなよッ! 絶対にッ」
彼の必死の顔でわたしを見ている。
わたしの表情は強張っていたに違いない。何よりも多くの困惑に脳内が処理し切れていなかった。彼の手も震えている。強く風が吹き荒れ、わたしの身体が揺れる。ずりっと、一段視界が落ちる。
「花恵ッ!」
「……な、なんでッ」
わたしは声を上げていた。
顔を上げる。彼の顔を見据える。必死の形相の彼に向けて。彼の瞳にわたしが映る。恐怖色に染まる女の顔。わたしはその疑問を投げかけた。
「なんで、わたしを助けるのさっ!」
風が吹いた瞬間、わたしは背中を押されていた。彼の手によって。崖に落ちるとき、彼は何故か、わたしの手を掴んだのだ。
そして、離すなと叫んでいる。矛盾した行動にわたしは困惑を隠せない。
彼の表情に微かな変化が生まれる。ふっ、と笑みを浮かべていた。
手の力が僅かに弱まる。
「――その崖っぷちの顔が見たかったんだ」
子供が夢を語るような口調だった。
「人が危機的に陥ったときに見せる、恐怖の顔が好きなんだ。ゾクゾクするんだ。花恵の顔もそうさ。――ミサキのときから俺はあの顔が離れないんだ」
手の力が更に弱まり。
「……あ、あんた。狂ってる」
「そうかな? 俺って狂ってるかな?」
彼はもう満面の笑みを作っていた。花恵、とわたしの名を紡ぐ。
「はなさないで」
手は離れ、彼の顔が遠のい
はなさないで、と彼は言った。 椎名喜咲 @hakoyuto
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