十四 ファンシー・ボール

 師走に入り、夜にはめっきり冷え込む季節となった。しかし、鹿鳴館は久々に行われる夜会に沸き立っている。続々と招待客が館に吸い込まれていくが、客の姿は奇妙なものばかり。


 異国の花売り娘や白拍子もいれば、大きく膨らんだ被り物を頭に乗せた大黒やえびす姿の御仁。そうかと思えば、イタリア貴族の扮装をした首相夫妻など。

 国も時代も飛び越えたような人々が集う場は、まるで異世界のようであった。舞踏室のある二階からは、井沢外務卿の機嫌のよい声も聞こえてくる。


「今日は羽目を外してくれ。無礼講だ」


 と、大笑いする外務卿を嗜めるように竹子夫人の声も。


「あまり羽目を外しすぎますと、また新聞に書き立てられますわよ」


 少し嗜めているようだった。それもそのはず、今年の春に行われたファンシー・ボールは朝方まで飲めや踊れやの乱痴気騒ぎが繰り広げられ、新聞紙上に非難の声明が出たぐらいだった。


「日向子さん、いくら動きやすい格好といっても、それはやりすぎじゃないですか?」


 日向子をエスコトートする秋貴は、不服そうな声を出す。


「だって、捕り物ができるぐらい動きやすい恰好といえば、男装しかないでしょ」


 日向子は、ヘンリーから借りたイギリス海軍の軍服に身を包んでいた。髪は三つ組みにして上着の中に垂らしているので、見た目は短髪に見える。

 ヘンリーが海軍学校を卒業して初めて袖を通した軍服らしく、若干サイズが小さい。それでも日向子には大きいので、初に頼んで袖や裾を詰めてもらった。


「あなたのそれは、自前?」


 秋貴は黒衣に、五条袈裟をつけた僧侶の姿をしていた。


「父のものです。生活が苦しくてもこれだけは、質屋に入れず。別れる時、託されました」


 日向子は秋貴のつま先から頭の先まで、じっくり眺めると大きく頷いた。


「うん。とっても似合ってる。あなた色が白いから黒が似合うのね。学生服も似合ってるし。あと錦の袈裟の豪華さに、顔が負けてないわ」


「おほめいただき、痛み入ります。でも、僕はあなたのその恰好は褒めませんからね。女性は女性らしい恰好がいいとはいいませんけど、動きやすい恰好なら僕の学生服でもいいじゃないですか」


 薄い唇をとがらせて言う秋貴が、日向子はおかしかった。


「わかった。今度はあなたの学生服借りるわ」


「そのような機会が訪れないことを、祈ります」


 日向子と秋貴が玄関ホールで言い合っていると、警察官の藤木に声をかけられた。


「おまえたちも、来たのか」


 藤木は、だんだら模様の羽織姿だった。仮装というより、かつての姿に戻っただけのようだ。


「今日は警察官も仮装されて、館の内部を警備しているのですか?」


 秋貴が、しげしげとだんだら模様に見入っている。


「ああ、また亡霊が出るかもしれねえから。というか、亡霊なら俺たちの出る幕はないけどな」


「それも、そうですね」


 藤木と秋貴がしゃべっている間、日向子は猫をかぶりにこにこと笑顔を張り付かせている。淑女は男性の会話に割って入るのはマナー違反だが、訊きたいことがあった。


「あの……、あの後荒川さまはどうされました?」


「ああ、思ったより怪我はたいしたことなくて、今日は外を警備している」


 凶器がペーパーナイフだったから、深手を負わずにすんだのだろう。そのことを日向子はたしかめたかったのだ。


「それは、よろしゅうございました。あの時、血を見て卒倒しそうになりましたが、心配しておりましたの」


 日向子の猫かぶりに、秋貴はうつむいて笑いをかみ殺している。その様子を藤木はちらりと見てから、肩をいからせ二階へ上がっていった。


「血を見て卒倒しそうな方が、捕り物をしたがるなんておもしろいですね」


 秋貴の嫌味に日向子はむくれたが、その顔がぱっと笑顔に変わった。


「ヘンリーさま。ごきげんよう」


 灰白色かいはくしょくの明るい色の長着とそろいの羽織。それに縞の袴に刀の大小をさげたヘンリーが玄関ホールに現れた。大仰に両手をあげて、日向子に近づいてくる。


「日向子! 似合うじゃないか」


「ふふっ。ヘンリーさまもお似合いですわ。その武士姿」


 日向子はヘンリーに軍服を借りる代わりに、兄の装束を貸したのだった。


「うれしいな。一度、刀を下げてみたかったんだよね。でも、重いね刀って。これじゃあ、今日はダンスできないかもしれないな」


 ふたりが和気あいあいと話す傍らで、秋貴はそっぽをむいて扉の向こうの馬車回しのあたりを見ていた。けれどふいに、ヘンリーを見あげ切れ長の目を細める。


「ダンスが無理なら、玉突きをなさってはどうですか? 日向子さんがしたがっていましたので」


「えっ、いいの? あなたもいっしょにしましょうよ」


 ヘンリーにやきもちを焼いていた秋貴の意外な言葉に、日向子は戸惑いつつも誘ったのだが。すげなく断られた。


「僕はいいです。そういうの、苦手ですので。どうぞ、楽しんできてください」


 それだけ言うと、なぜか館から出て行った。

 残されたヘンリーと日向子は、秋貴の行動が読めず顔を見合わせたのだった。




 秋貴は先ほど見かけた人影を追って、庭園の奥へと踏み込んでいった。踏みしめる砂利の音が、焦る心をよりかき乱す。

 まさか、あのような姿で現れるとは。秋貴の予想を超えた事態に、あわてて日向子を遠ざけた。あれと日向子を会わせるわけにはいかない。


 館から洩れる灯りの届かない場所は、薄気味悪く闇が深い。このようなところを夜会の招待客がうろついているはずはないのだが、秋貴は背後から近づいてくる足音に気づき身を翻す。


 秋貴は身構え音のする方角に目を凝らすと、現れたのは警察官の制服を着た荒川だった。外回りの警察官は仮装をしなくてもいいようだ。

 荒川は持っていたカンテラを持ち上げ、秋貴の顔を照らした。


「君、たしか前に黒門のところであった子だね」


 荒川の親し気な笑みを見て、秋貴は詰めていた息を吐き出した。


「はい。そして、あなたがケガをした時にも傍にいました」


「ああ、そうだった。あの時はありがとう。でも、こんなところで何してるんだい?」


 荒川の顔から笑みが消えた。


「実は、先ほど黒紋付を着た力士を見かけて、追いかけてきたのです」


 秋貴の台詞を聞き、荒川はさっと踵を返し数歩踏み出した。


「それはいけない。急いで捕まえないと」


 走り出す荒川の背中に、秋貴の声が突き刺さる。


「待ってください!」


 荒川は足を止め、カンテラの光がやっと届く距離に立つ秋貴に向き直る。そして「なんなんだ」と、つぶやきを落とした。


「どうして捕まえる必要があるのですか? 僕は追ってきたとしか言ってませんよ」


「どうしてって。また、悪さをするかもしれないじゃないか」


 荒川の声は落ち着いているが、手にしたカンテラの光が揺れていた。その光を見つめ、秋貴は師走の空気のような冷たく平坦な声を吐き出した。


「僕、あなたのことは見逃そうと思ってたんですが。そうもいかなくなりましたね」


「何を言っているんだ」


「鈍いなあ。そんなんだから、力士に付け込まれるんですよ」


 年少の者に嘲られ大人として憤慨すべきところだが、荒川は蛇に睨まれた蛙のごとく微動だにしない。


「力士が亡霊の正体と知っているのは、犯人だけでしょ。今のところ」


 ちっと、舌打ちが聞こえてきた。


「そもそも、酒場で管を巻いている力士に声をかけたはいいけれど、警察官だとバレたのはまずかったですね。あくまでも正体を知られないようにしないと。僕ならそんなへまはしませんけど」


 荒川が黙っているのをいいことに、秋貴はペラペラと自身の頭の中で組み立てた推測を披露し、夜空のような瞳を怪しく輝かせる。


「夜会の日にあなたは庭の警らを装い通用門を開け、力士を引き入れた。東屋に立たせたはいいけれど、みな花火に夢中になりせっかくの亡霊に気づかない。だから、わざと声を出して視線を誘導した」


 ふと、秋貴は尖った顎に指を添わせる。


「効果はてき面でしたね。みんな恐れおののいて、夜会はしばらく中止になった。でもまさか、力士がもっと金をせびりにくるとは思わなかったんでしょ」


 ふふっと秋貴の薄い唇から笑いが漏れると、荒川の足元から砂利と靴底がすれる音がした。


「このことを知っているは、君だけか……」


 押し殺した荒川の声に、一瞬間をおいて秋貴は答えた。


「そこにいる力士と僕だけですね」


 秋貴の台詞が合図だったように、巨漢の力士が突然二人の間に割って入った。


「僕のこと殺そうとしても、無駄ですよ」


 力士は腰に下げた刀に左手をかけた荒川に向かって、突如突進を始めた。巨体の素早い動きに、荒川はカンテラを捨てて刀を抜くことができない。カンテラを放り出し、逃げ出すことしかできなかった。

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