八 藤木警部

 最初に日向子たちに声をかけた警察官は、その人物にむかって「藤木警部」と言って敬礼する。


「ふん、外務卿の井沢さまは西洋化を強引に進めているくせに、日本古来の呪術に頼るなぞ矛盾も甚だしい。滑稽極まりないな」


 政府の役人のくせに、堂々と外務卿の悪口を言う男はただものではない雰囲気を漂わせている。背が高くがっしりとした体格、頭にかぶった帽子のひさしの奥の大きな目。

 それが眼光鋭くふたりを見下ろしていた。

 


 日向子はその迫力に押され、ごくりと生唾を飲み込む。しかし隣に立つ秋貴は作り笑いを崩していない。


「あなたは、ずいぶんといろんなたちの悪いものをしょっておられますね。体調を崩さないなんて、すごいな」


 わけのわからぬ秋貴の台詞は、聞きようによっては挑発と取られかねない。現に、藤木はふんと鼻を鳴らし不機嫌な声を出す。


「小僧。言いたいことがあるなら、はっきりものを言え」


 秋貴はすごまれても、表情を変えない。


「ああ、失礼しました。あなたを守っておられるのが、金の鎖をたらした洋装の男性なのをご存じなのかと思いましてね」


 藤木はさっと顔色を変えた。一触即発の事態に、日向子は言葉も出ない。秋貴は警察官が黒門を警備しているのを知っていて、外務卿に気に入られている日向子を連れてきたのだろうけれど、この藤木には通用しなさそうだ。


 おまけに、意味不明なことを言って怒らせている。いったい何をしたいのやら。このままでは、鹿鳴館の中にさえ入れない。

 するとまた長屋からもう一人、腰に刀を下げた警察官が出てきた。


「へえ、君。霊感あるの?」


 藤木と違って、物腰の柔らかな男は秋貴に興味を示した。体型が細く小柄なので、藤木と違って警察官特有の威圧感がない。

 面長の顔に垂れた目をしているので、笑っていなくても笑っている様に見える男だ。


「おい、荒川。変なこと言うな」


 秋貴が答える前に藤木が遮ると、荒川と呼ばれた警察官は垂れ目をより下げておもしろそうに笑った。


「この藤木はね。元新選組だから、そりゃあいろんな恨みをしょってるさ。洋装の男ってことは、土方歳三かな」


 藤木は「うるさい、黙れ」と荒川に一言すごむ。しかしそんなことは気にもしないという風情で、荒川は日向子に向き直った。


「香月家のお嬢さん。外務卿に許可は取っておられるかな」


 もちろんそんなものは、もらっていない。しかし日向子はこくこくと首を縦に落とし「もちろんですわ」と返答したのだった。

 藤木は日向子の言葉を信じたわけではない証拠に、ちっと舌打ちをしてふたりに行くように顎で促した。その様子を見て荒川は、


「さっ、俺も館の中を見回ってくるか。なんせ、得体の知れない輩が鹿鳴館を徘徊するんだからな」そう言って、すたすたと館の方へ向かって行った。日向子は胸をなでおろして、館へ続く道を歩き出す。


 しばらくして黒門から十分離れてから、前を行く秋貴の背中へ声をかけた。


「ねえ、さっきのは、なんだったの? 悪いものとか、守ってるとか。まるで、あの人が悪霊にでも取りつかれてるみたいなこと言って。あなた本当に霊感あるの?」


 秋貴は歩みを緩め、日向子と歩幅を合せる。


「そんなものありませんよ。あのくらいの年齢の巡査なら、元薩摩藩士か幕臣だろうと思ったのです。そうすると幕末ないしは西南の戦いに従軍経験があり、人ぐらい殺しているだろうなと、鎌をかけたまで」


「ひ、人ぐらいって」


 日向子の声は、瞬時に裏返る。


「あの人の隙のない身のこなしから、相当な使い手だと思ったんですよ。まさか、元新選組とは思いませんでしたけど」


 秋貴はこともなげに言い切る。日向子の胸の内はざわざわと波うち、振り返って黒門を伺うとそこにもう藤木は立っていなかった。


「どうしました。怖いですか?」


「こ、怖くないわよ。庭に怪しい人がうろついてるなって、思っただけ」


 日向子の言うように、庭園には外務卿が呼んだのであろう怪しい風袋の祈祷師や、まじない師が館を目指して歩いていた。

 秋貴はそれらの人物について行くことはなく、玄関の手前で左に曲がり東屋の方角へ歩いていく。そこは、あの西郷の亡霊が現れたところだった。


 秋貴は東屋の中に入り、そこから館のベランダを仰ぎ見る。


「けっこう距離があるな。あの時、たしか男の声が聞こえて……」


 ブツブツ言っているかと思えば急にその場にしゃがみ込み、中腰のまま東屋を出て左に走っていく。日向子も秋貴の後を追う。

 植え込みをぬけると、塀が現れ通用門が見えた。秋貴は迷わずその門を目指す。通用門は木の扉で閉ざされていた。


「なるほど、掛け金と閂で戸締りがされている。外側からは侵入できないな」


「ねえ、さっきから何をしているの? わたしにも教えてよ」


 少し尖った顎に指を添えて考え込んでいた秋貴は、ふと日向子に視線を向けた。


「ああ、当日の犯人の行動を追っていたのです」


「犯人って、幽霊でしょ。あの時、姿が消えたじゃない」


「まあ、そう見えただけですよ。花火があがらない瞬間をねらえば、闇の中人目につかずここまで逃げてこられる」


 日向子はまだ、あれが人間だとは思えないのだが、ある疑問がわく。


「もし、人間なら、どうやってこの中に入ったの? この通用門からは入れないし、黒門はあの日も警察官がいただろうし。歩いて入ったら今日のわたしたちみたいに、とめられるわよ」


 身なりのいい人物なら通しそうだが、あの日の幽霊は粗末な着流し姿だった。


「まあ、普通はそうでしょうね」


「今日みたいに、怪しい人ばっかり門を通る日だったら簡単に通れたかもね」


「なるほど。そうかもしれません。日向子さんは、ずけずけと言いたいことを言ってくれるので助かります」


 秋貴の褒めているのかけなしているのか微妙な台詞を無視し、日向子はもうひとつ付け足した。


「あとね、幽霊じゃなかったら、なんでこんな手の込んだいたずらするの? 見つかったら、タダではすまないと思うんだけど。悪いことって、だいたい誰かが得をするものでしょ。こんないたずら誰も得しないわよ」


 日向子の遠慮のない台詞に、「誰が得をする……」そう言ったきり秋貴はまた顎に指を添わせ、うんともすんとも言わなくなる。

 日向子はしばらく待ってみたが痺れをきらして、秋貴をおいて館に入ろうとするとようやく動き出した。


「あっ、待ってください。僕も行きます」


 二人が館の玄関にまわるとホールの中は山伏や僧侶、ボロボロの公家衣装をつけた、見るからに怪しげな人々でいっぱいになっていた。

 最新式の洋館に不釣り合いな人々がたむろしている光景は、日向子の笑いを誘う。


「ふふっ、なんだかファンシー・ボールみたい」


「なんですか? ファンシー・ボールって」


 頭のいい秋貴が知らないので、日向子の鼻は少しだけ高くなった。


「仮装舞踏会のことよ。たまにあるの。その日は、高官の方たちも弁慶の恰好をしたり虚無僧になる人もいるのよ。ほら、あの人とおんなじ感じ」


 日向子の指差す先に、天蓋てんがいをかぶった僧侶が大階段の下をうろついていた。


「へえ、それは誰が誰だかわからなくなる。乱痴気騒ぎもいいところですね」


「あっ、わたしは行ったことないから。そういうの興味ないの。お兄さまもああいうのは好かないって文句言ってた」


「ははっ、香月家のご兄妹は健全だ」


「そうね。でも、ご婦人方の中には嫌でも御夫君に従わざるを得ない人も、いらっしゃるみたい。外務卿の奥方の竹子さまも、苦労されてるそうよ。あの方頭痛がひどくて、夜会の騒々しさに毎回頭が割れるように痛むとか。ドレスが窮屈すぎて、失神する人もいるんだから」


 近代化だ西洋化だと新しい世の中になったと言っても、それは男性の中だけのこと。女性にとっては今も昔も『三界に家無し』である。


 子供のころは親に従い、結婚してからは夫に従い、老いては子に従う。女に自由はない。

 しんみりした日向子の口調に、秋貴は語気を強める。


「僕は日向子さんに強制するようなことは、絶対しませんので。僕はちょっと人の心を推し量るというのが苦手なので、嫌なことはちゃんと、嫌と言ってください」


 熱を帯びた瞳で見つめられ、日向子は幾分あきれる。最初に抱きついたり今日にしても、日向子を振り回していると秋貴は思っていないのだ。でも、必死に言う姿を見せられては、ついつい許してしまいそうになる。


「わかったわ、覚えておく……。あっ、井沢さまがお出ましよ」

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