おさんぽ

鬼灯 アマネ

おさんぽ

「チビ、あんま走りすぎんなよ。谷に落ちたら大変だからな」

「カイ、ボクにもリード持たせてよ」

「リクはすぐ転ぶからダメ。オレの手、離すんじゃないぞ」


 わたしは、おさんぽが好きだ。

 いつも歩いている坂はとても急で疲れてしまうし、すぐ横でパックリと開いている谷は、落ちたらと思うとゾッとする。だけど、この顔が同じ兄弟二人と一緒に歩くと、不思議なことに、気分が浮足立ってくるのだ。


「チビは、オレがリード持ってた方がいいよな?」


 答えにくい質問だが、そうだよとも、そんなことないよ、とも言えない。なのでとりあえず、ワン、と答えておく。


「えー、たまにはボクにもリード持ってほしいよね?」


 どちらでもいいのだが、これにも、ワン、と答えておく。


「チビ、適当に答えてないか? まあ仕方ない、犬だしな」


 別に適当に答えているわけではないのだが、言葉が話せない以上そう伝わってしまうのは、どうしようもないことだ。


 人間として二人は、まだまだ子犬のようだ。主人が何か言わないと何もできない、自分たちでご飯も食べられないのだ。強いて言えば、主人が何も言わずともできることといえば、わたしとの散歩くらいだろうか。

 手をつないで歩く二人の見た目はそっくりで、一見すると見分けがつかないが、わたしは匂いをかぐまでもなく、二人を見分けることができる。


「お腹空いた。今日のご飯何かな?」


 手を繋いでいるのに、道端に生えてる雑草を気にしながらフラフラと歩いているのが、兄のリク。


「ほら、もうすぐ家だ。もっと早く歩け。日が暮れるだろ」


 こうしてリクをいつも𠮟りつけているのが、弟のカイだ。

 二人は性格が全然違うらしい。同じ家に住み、同じ主人であり、同じ食事をとっているはずなのに。人間というのは不思議だ。


 坂を上りきったところに、わたしたちの家がある。この黒くて硬い道の他に、特筆すべきことはないように思う。周りは木ばかりで、夜になれば真っ暗になってしまう。そんな中で出かければ間違いなく、谷底へ真っ逆さまだ。日が暮れた後に外出することは滅多にない――というより、主人が許さない。


「ただいま」


 二人は声を合わせてそう言うと、ようやくお互いの手を離した。二人が手を繋いでいるのは、散歩のときだけだ。

 リクがゆっくりと靴を脱いでいる間に、カイが手早くわたしのリードを外してくれた。


「リク、早く来なさい!」


 主人が奥の部屋から、声だけで呼んでいるのが聞こえた。


「い、今行き、ます」


 リクがそう答えながら、片方の靴を急いで脱ごうとしてフラフラになっている様子は、危なっかしくて見ていられない。

 そうしている間にカイは靴を脱ぎ終え、わたしの足をタオルで拭き始めている。一本の足についた靴を脱ぐより、四本足に付いた砂ぼこりを拭き終わる方が早く、カイはさっさとリビングに入っていった。取り残されたリクは、なんとか靴を脱ぎ終えると、バタバタと奥の部屋へと入っていく。

 心配なのでついて行きたいところだが、奥にある主人の部屋のドアはすぐに閉められてしまった。ドアを閉めるのが規則らしいが、恐らく、わたしを部屋に入れないためのものだろう。

 ドアに近づかなくとも、わたしの耳ならドアの向こうの会話がきこえる。


「呼んだら早く来なさいって言ってるでしょ? アンタの方がお兄ちゃんのくせにホントのろまなんだから! カイを見習いなさい」

「すみません」

「この前のテスト、アンタ赤点だったんだって? おんなじ顔してるんだから、カイと同じくらい良い点数取れて当たり前でしょ? どうしてできないわけ?」

「……すみません」

「いいから、さっさと始めて」


 ベッドが軋む音がきこえた後、怒鳴り声は治まったが、「もっと上」とか「力が弱い」とか「カイの方がもっと上手いわよ」とか、主人は不満をこぼしている。


 聞き耳を立てるのをやめてリビングに行くと、カイはソファでくつろぎながら、テレビを見ていた。


「リク、また怒られてるんだろ? ママがリクにマッサージさせるのって、単にリクにイライラをぶつけたいだけなんだよ」


 わたしに話しかけながら、頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。


「リクの方が数分早く産まれただけなんだけどね、かわいそうだよな」


 カイはそう言って、独特の笑い方をする。テレビが面白いのか、リクが面白いのか、わたしには分からなかった。

 懐から自分のお菓子を出して、むしゃむしゃと満足そうに食べた後、わたしのおやつも差し出してくれた。


「これ、ナイショな?」


 何のことを、ナイショと言っているのだろう。おやつのことだろうか。カイが笑ったことだろうか。

 何にせよ、心配する必要はない。

 伝えたいことがあっても、犬の口では何も伝えられないのだから。



「今日はボクがリードを持ちたい! 頼むよ、カイ!」


 今日のおさんぽに行く前、リクが手を合わせて必死そうに頭を下げた。


「チビになんかあったらどうすんだよ?」

「今日だけ、今日だけだから! カイ、お願い!」


 リクがここまで食い下がるのは初めてだ。その勢いに押されたのか、カイは大きくため息をついた。


「仕方ないな、今日だけだぞ」

「やった!」


 リクはガッツポーズをすると、わたしのリードを握った。


「今日はあの空き地に行こうよ。チビを遊ばせてやりたい」


 自分の要求を通せたことで調子に乗ったのか、リクは小さなボールをジャンパーのポケットに入れながら、また一つお願いをし始めた。


「いつものコースと違うじゃん」

「道は分かるから、大丈夫だって」

「でもあの辺、トラックが通ったりして危ないぞ」

「歩道歩けば安全だよ!」


 昨日、主人に怒られていたときの口調が噓みたいだ。そこまでしてわたしと遊びたいのだろうか。そう思うとなんだか嬉しくなってきた。わたしも加勢できればと、カイに向かって、ワン、とひと吠えしてみた。


「……しょうがねぇなぁ。ちょっとだけだぞ」

「やった!」

「日が暮れる前には帰るからな。それは絶対守れよ」

「分かってるって」


 リクとわたしの決死の説得が通ったようだ。わたしのリードをリクが持ち、二人は手を繋いで、早速出発した。


 いつもの散歩コースより、むしろこちらの方が坂が緩やかで楽だ。時々トラックが通ることをカイは心配していたが、そこまで心配する必要はないと思う。

 とはいえ、道の近くで深い谷底がわたしたちを手招きしているのは変わりない。


 今日は珍しく、リクはフラフラすることなく歩けている。やはりリクは、やればできるのだ。

 空き地までもうすぐ。順調に歩けている、と思われた。


「あ、ボールが!」


 リクの声と共に、ポケットに入っていたはずのボールがコロコロと坂を転がり落ちるのが見えた。

慌てふためいたリクは、リードを掴む手が緩んでいる。

 あのボールを失くしたとなれば、リクはまた主人に怒られてしまうだろう。ならば、やることは一つだ。

 そう思ったのと同時に、わたしは勢いよく走り出した。


「あ、リード離すな!」


 カイがそう叫び、わたしを追いかけてくるのが分かった。


「危ない!」


 リクの声が聞こえたときには、大きな衝撃と共に体は大きく吹き飛ばされた。


 きこえていなかったわけではなかったのだ。トラックが迫ってくる音を。けれど、リクのためだと思ったのだ。



 トラックは走り去ってしまったらしい。あたりはとても静かだった。

 倒れたわたしの体に、生温かいものがしたたってくるのを感じる。これはわたしの血なのか、カイの血なのか、分からない。

 リクはわたしとカイの元に、ゆっくりと歩み寄ってきた。リクの顔に焦りはなく、フンを入れておくためのビニールを手に巻き、名前を呼びながら、わたしとカイの体をつついている。

 わたしたちが動かないと分かると、カイを引きずり始めた。とても重いらしく、かなり時間をかけていた。それでも、ここに他の人間が通ることも、トラックが通ることもなかった。


 そうしてなんとか引きずり終えると、カイをあっけなく、谷へ落としてしまった。

 その足で、わたしのもとにやってきた。カイの時とは違って、簡単に引きずられた。リクは意外と力が強い。主人のマッサージではあんなに怒られていたのに。隠していたのだろうか。

それにリクとは思えない手際の良さだった。同じ服を着ているので、血の匂いで鼻が利かないわたしには、目の前の人間が、リクなのか、カイなのか、だんだん分からなくなってきた。

 谷の淵に連れて来られ、わたしの体はガードレールの下へ押し込まれた。


「チビ」


 わたしの後ろ足からゆっくりと、手を離していく。


がやったこと、誰にも話さないでね」


 そう呟く顔がどんどん遠ざかり、やがて全てが、暗闇に落ちていった。

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