エピローグ
2027 7/13 14:04
Under Brain運営本部 5階
本社オフィス 社長室
ある一人のスーツの男が、重厚な革の回転椅子に腰掛けていた。
几帳面に整えられた黒髪は見る者に清潔感と理知的な印象を与え、わずかに湛えられた微笑からは、大人の余裕をも感じることができる。彼の目の前は一面ガラス張りとなっているが、その先に広がるのは街の景色ではなかった。
目の前のガラス……いや、画面に映るのは、《世界》の風景だった。
あるときは夜のビル街、またあるときは海辺の白い町、あるいはどこかの工場地帯。【Under Brain】というVRゲームが誇る、緻密に作り上げられたもう一つの《世界》の断片が、コレクションのように次々に並べられる。
スーツの男はそれを独り、誰と共有するでもなく眺めていた。
男が満足げに皺の入った頬を綻ばせていると、彼が背中を向けていた部屋のドアが三回ノックされた。彼が「入りたまえ」とだけ言うと、スライド式のドアが開き、靴音が近づいてくる。
「失礼します、
「ああ、急に呼び出して悪かったね。速水君」
男の前に現れたのは、四角いフレームの眼鏡をかけた男性だった。
速水と呼ばれた生真面目そうな彼は、目の前の椅子に腰掛けた男――馬郷に向かって腰を折った。社長室の椅子に腰を下ろしている彼こそは、【Under Brain】を管理運営する企業――「
馬郷は椅子を回転させて姿勢を正すと、速水に言った。
「例の……“ヒルメ”の捜索の件は順調かい?」
デスクに置いてあったコーヒーカップを手に取り、馬郷は一口啜った。速水は表情を変えず、コーヒーを飲む馬郷に頷いて話し始める。
「はい。彼女……いえ、“彼ら”の直近の足取りやログインの時間帯等は把握いたしておりますので、早ければ明日にも接触を図れればと」
「そうだね。早いほうがいい。悪い者たちの手にかかる前に」
ふと両目を閉じ、馬郷は深く頷いた。
デスクの上で軽く両手を組むと、姿勢良く畏まった速水に向かって、
「ときに速水君、
「はい。存じ上げております」
「あの部隊の指揮官として、私はキバクラ君を起用したいと思っているんだ。君の口から、彼に伝えておいてほしい」
「
「ああ、任せたよ」
それ以上お互いに何も追及することなく、お辞儀をした速水は静かに靴音を鳴らして部屋を去った。ドアが閉まるとしばしの静寂が訪れ、ひとり残った馬郷は再び椅子を90度回転させる。
デスク横に配置された装置を彼が操作すると、大画面のスクリーンが切り替わった。どこかの夜景の代わりに映し出されたのは、とある一連の映像だった。
映像の中に現れたのは、狐面の少年と白髪の巫女服の少女。
霊魂や龍を駆使して戦う二人は、次々と立ちふさがる難敵を打ち倒していく。それはいうなれば、カナタたち【Executor】の軌跡のダイジェストであった。
「ヒルメ……いや、『神様』はこの少年を
朔夜の隣で相棒として戦うカナタの姿に、馬郷は淡く微笑んだ。
椅子の背もたれに背中を預け、悠然と足を組む。
「これは……面白いことになりそうだ」
◇◇◇
2027 7/12 17:47
カルキノス連邦領第13廃棄地区 旧一番通り
Cafe&Diner『
「おう、おかえり。あんたたち」
店のドアを開けると、バーカウンターのジャンヌさんがこちらに気づいた。俺が挨拶を返すと、おぶっていた朔夜も俺の背中から元気よく声を出す。
「ただいまなのだー!!」
「おかえりなさいませ、お二方」
「おかえり! 世界ランク11位のお二人さん!」
コレットに続いてモニカも快く俺たちを出迎える。
あの激闘から丸二日、Zainを倒して世界ランク11位となった俺と朔夜は今日も新たな討伐依頼へ赴いていた。Zainは最後にあんな演説を残したが、いくら世界7位といえど、いちDプレイヤーの発言に皆が一斉に従うようなことはない。
あれからどれだけDプレイヤーの全体数に影響が出ているかはわからないが、居残った奴らを狩るのは、依然として俺たちの仕事である。俺たちのやることは、これからも変わらない。
ただひとつ、変わったことといえば――
「――おかえりなさいっす! 先輩方!」
燕尾服姿のユーガが、接客を終えて近づいてきた。
あれから決闘を挟んで有耶無耶になりかけていたユーガの所在だったが、彼が自分から《ENZIAN》の従業員になると決めたことで落ち着いたようだ。モニカがなぜか大喜びしていたのを思い出す。
「よう、ユーガ。その制服、なかなか似合ってるな」
「マジっすか!? へへっ、そう言ってくれると嬉しいっす! 今日からおれも《ENZIAN》の一員兼、姐さんの三番弟子なんで!!」
燕尾服の後ろで狼の尻尾を揺らしながら、ユーガは誇らしげに言う。
ユーガの性格ならきっと、ここでの仕事も難なくこなしてくれるだろう。何より、頼れる姐さんのもとで修行するというのならば、俺も心配することは何もない。
「金目鯛の煮付けがたべたいのだ!!」
「あいよ!」
いつも通り、カウンター席に陣取った朔夜がメニューにない料理を注文する。俺ももはや何もツッコまなくなったが、どこかこの光景に安心感を覚える自分がいた。
俺と朔夜がどこまで躍進しようとも、この日常だけは変わらない。変わってほしくない。彼女との出会いで「変えられて」しまった俺は、いつの間にかそんなことを願うようになっていた。
「? お主、どうしたのだ?」
「いや、なんでもねぇよ」
この日々が続けばいい。
そう願う自分を、今は、ただ――
「……朔夜」
頬杖をついた朔夜が振り向く。
「これからも、よろしく頼む。相棒」
「ふん、あったりまえだ!」
差し出した拳に、彼女は拳で返した。
少々照れ臭いやり取りではあったが、構わなかった。
きっと俺たちはこれからも、数多くのDプレイヤーと闘っていくことになるだろう。《ディスオーダー》という世界の歪みを完全に撲滅するという俺たちの目標は、まだ遠い。
しかし、独りよがりに歪みを取り除いていたあの頃とは違う。
孤独な正義の執行人だった俺は、もういない。
ポンコツだが頼もしい、無二の相棒がいる限り。
俺たち【
【Re: Under Brain】~ポンコツ電脳少女と征くチーター撲滅活動~ 水母すい @sui_sui95724671
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