はなさないで

高鍋渡

はなして

「なー真理まり、待ってくれよ」


「何? 用もないのに近づかないで」


「いや,用があるんだって」


 徒歩で下校中の真理を走って追いかけてきた一樹かずきが追い越し、前方に回りこんで真理の行く手を塞ぐように立ち止まった。真理も仕方なしに立ち止まる。口調の通り、あまり歓迎している表情ではない。


 走ってきたことで息が乱れていた一樹が落ち着くと二人は並んで歩き出す。


 高校一年生である二人の関係は幼稚園からの幼馴染。すでに十年を超す付き合いになる。


 家は隣同士。幼稚園、小学校、中学校、高校とずっと同じクラス。誕生日は一日違い。父親同士は高校の同級生で親友の間柄。母親同士も同じ職場で仲が良い。常に家族ぐるみの付き合いをしている仲だった。


「用って何? くだらないことだったらぶっとばすから」


「……明日までの数学の課題見せてくんない?」


 真理は無言のまま歩く速度を速め、一樹を置いてきぼりにする。


「あ、おーい真理! 待てよ!」


 真理は先ほど走った疲れで歩く速度を上げられない一樹からどんどん離れていく。


「真理―! ……マリリン! 待ってくれ、マリリン!」


 真理が小学一年生の頃にファンシーなアニメにはまっていた時に自称していた名前で一樹が呼ぶと、コンビニの駐車場付近まで差し掛かっていた真理は腕を組んで立ち止まり、一樹が歩み寄るのを待った。一樹が追いつくや否や一樹のおでこに正拳突きを食らわせる。一樹はおでこを両手で抑えながらよろける。


「その名前で呼ぶなって小二の頃からずっと言ってるのにあんたは……」


「相変わらずいって―な。マリリンパンチは」


「たいした用もないのに近づかないでよ。勘違いされる」


 真理が家族ぐるみの付き合いをしていた一樹を邪険に扱うようになったのは高校生になってからだ。その理由は恋をしたから。相手は一樹ではない。


「……拓真たくま君ね。やめとけよ、あいつは」


「は? 何であんたにそんなこと言われないと……」


 一樹の勝手な発言にさらに憤りを増していた真理の表情が固まる。


「あー」


 真理の視線をたどった一樹は間の抜けた声を出した。くだんの拓真がコンビニから出てきたのだ。


「一樹、早く離れて。あんたと一緒にいたら付き合ってると勘違いされちゃう」


「だから、あいつはやめた方が良いって。あいつにはもう……」


 恋に溺れ、学校以外の場所で見る思い人の姿に釘付けになっている真理に、一樹の言葉は届かない。


 コンビニから出てきた拓真は、珍しく自動ドアではない出入り口の扉を、手で支えて開けっ放しにしている。非常識な行動というわけではない。中から出てくる人に配慮しているのだ。


 違う学校の制服に身を包んだ可愛らしい女子生徒がコンビニから出てくると、扉を閉めた拓真と一緒に出入り口から少し横にずれた位置に移動する。手に持っていた中華まんを二つに割って一つを拓真に渡し、笑顔で食べ始めた。拓真も彼女の顔を見つめ、優しく微笑みながら中華まんを頬張っている。


 呆然としている真理の右手を一樹は握った。


「はなして」


 無表情のまま、拓真と女子生徒を見つめたまま真理が言う。一樹は手を離さない。


「はなしてよ。拓真君にあんたと付き合ってるって勘違いされる」


 真理の目から涙が一筋流れる。


「はなして。あの人が彼女って決まったわけじゃない。姉か妹の可能性だって……」


「拓真に他校の彼女がいることは一年の男子の間では有名だった。聞いていた見た目の特徴もあの人とばっちり合う」


「……なんで言ってくれなかったの?」


 その場で膝から崩れ落ちるようにしゃがみこんだ真理に合わせて一樹もしゃがむ。手は離さない。真理の目からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ち始めていた。


「真理を悲しませたくなかったんだ」


「意味、ないじゃん。どうせいつかは分かるのに、先延ばししただけじゃん」


「先延ばしはそうだけど、それだけじゃない。先延ばししてる間に俺が真理の彼氏になれば、拓真に彼女がいることが分かっても悲しまないと思ってた」


「……何それ。あんたは私のこと好きだって言うの?」


「……そうだよ。真理のことがずっと好きだった。多分、幼稚園の頃から」


 その刹那、真理の左手が一樹の右頬を叩いた。パチンという何かが弾ける様な音が辺りに響く。拓真とその彼女はすでに移動していてその音には誰も気がついていない。


「ふざけないで! 私が中二の頃あんたに告った時は、私のことそういう対象として見てないって言って振ったくせに! あの時も好きだったって言うの?」


「……ごめん。あの時は周りで見てる奴らがいたから照れくさくて……」


「私は……一樹に振られたから、一樹を好きだった気持ちを捨てようとして、悲しかったし、つらかったけど、頑張ってただの友達として付き合えるようにしたのに。高校生になってやっと新しく拓真君に恋することができて、一樹への恋愛感情は全部捨てられたと思ってたのに。今更そんなこと……それも、失恋した瞬間に言うなんて……」


「ごめん」


「一樹なんて……大嫌い」


「ごめん」


 卑怯で、臆病で、意気地なしの自分は、真理の隣にいる資格はない。そう思った一樹は真理の手を離し、真理からも離れようとする。だが真理は離そうとする一樹の手を強く握りしめた。


「はなさないで」


 怒りや悲しみに加えて懇願する意思も含んだ複雑な感情のこもったその声に、一樹は反抗することは許されない。


「どうすれば……」


「分かんないよ! そんなの……幼馴染なんだからどうにかしてよ! 小三の時、約束したでしょ! 私が困っていたり、泣いていたりする時は必ず助けてくれるって」


「真理、俺は……」


 一樹は真理の涙が止まるまでの間、ずっと彼女の隣にいて手を離すことはなかった。

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