【KAC20245】『新人類は遠く宇宙へと消えていく』

小田舵木

【KAC20245】『新人類は遠く宇宙へと消えていく』

「その手、離さないでよ」彼女はかつてこう言ったのだが。

 僕は彼女の手を離さざるを得なかった。

 彼女は今、遠い宇宙の向こうだ。木星はガリレオ衛星、エウロパに移住してしまった。

 それはある種の運命だった。

 僕はナチュラル旧人類で。彼女はジーンリッチ新人類。産まれに差がある。

 産まれに差があれば、身分にさえ違いは出る。

 今の世の中は並べて平等…とされているが。新生児への遺伝子のノックインが始まってからというもの、ナチュラルはこの終わりを迎えつつある地球に縛りつけられているのだ。

 

 僕と彼女が出会ったのは―ある公園での事。

 本来は出会うはずのない2人だった。

 なにせナチュラルってのは産まれながらに人生の負け組で貧民なのだから。

 対してジーンリッチは。選ばれた人類…というか、いずれは宇宙に移住していく者達で。地球で生きざるを得ないナチュラルとは訳が違う。

 

「君は―何?」僕を見た彼女の第一声はこうだ。

「何って…人間だよ」

「人間ねえ…貧乏くさい」

「うるせえ。この金持ちめ」

「金だけじゃなくて…遺伝子も持っている」

「うるへえ、この改造人間めが」

「改造人間で何が悪いのよ、恨むなら親を恨みなさいな」

「まったくだ…んで。ジーンリッチ様がこんなスラムの公園に何の用だよ?」ここは。僕の暮らすスラム街にある公園で。ジーンリッチ様が入り込むようなトコロじゃない。

「…迷っちゃってね」

「お前、方向感覚の遺伝子ノックインせんかったんか?」

「そんな遺伝子はない」

「何だよ、改造人間様は何でも持ってるんじゃねえのかよ」

「何でもは持っていない、必要最低限の遺伝子しかノックインしてない」

「ふーん…そんな話知らなんだ」

「あなた達は。遺伝子のノックインについて教育を受けなかったの?」

「そんな教育受ける訳ねえだろうが。持ってないモンを講釈されてどうしろと?羨ましがれってか?」

「…ナチュラルと私達は違うのね」

「ああ。違うね。僕たちは。この終焉を迎えつつある地球で死ぬだけさ。奴隷と変わらん」

「奴隷、ね。なら。道案内して下さる?」

「お前は僕らを舐め腐ってんのか?あ?お前の身ぐるみ剥いでレ●プしてやっても良いんだぞ?」

「そんな勇気、君にはないでしょ?」彼女は僕の目を見つめながら言う。

「舐めんな。ここじゃ、ジーンリッチを襲ってナンボだ。お前は良いカモだ」

「やってみなさいよ」彼女はまっすぐに僕を見て言う。

「…」僕はそんな彼女に見惚れてしまう…ああ、ジーンリッチとナチュラル。やっぱり違う。彼女には僕が持ってない自信がある。未来がある。それが態度に出ている。

「君はさ。私を脅すけど。そんな事は出来ない人だよ…見れば分かる」

「安く僕を見積もるな。ナチュラルに見下しおってからに」

「ごめんなさい。見下した目、してたかしら?」

「してなくても。僕にはそういう風にしか見えんね」

「それは。君の目が曇っているから」

「ああ?まあ、そうかも知れんが」

「私は一人の人間…君にお願いする。道案内をして欲しい。お願いします」

「…頼まれたからにゃ。やってやるか」僕はそんな台詞を吐いていた。何でだろう?いや、僕は彼女にひと目惚れしてたんだ。

「さ。行くわよ…」彼女は道案内を頼んでおきながら、さっさと先を歩き出す。

「待てよ馬鹿、勝手に行くな…手ェ握れ。そして離さないでいてくれ。はぐれたら敵わん」

 

                  ◆

 

 あの日。スラムに迷い込んだ彼女に道案内してから。僕と彼女の奇妙な関係は始まって。

 彼女は。度々スラムを訪れるようになった。

 曰く―「君のツラを拝みに来た」

 

「あのさあ。ジーンリッチのお嬢様がこんなスラムに通うのはどうかと思うぜ」僕は呆れながら言う。

「別に良いじゃない、君のツラを拝みに来ているだけ」

「ジーンリッチ様は。宇宙訓練とかあるだろうが」

「それは適当にこなしているわよ」

「ほーん。お前も。テラフォーミング地球化された星へと消えていくんだな」

「そうね。次はエウロパの開拓が問題になってくるから。私は将来、そこに行くんでしょうね」

「エウロパねえ。木星のガリレオ衛星の一つ」

「そ。海があって…生命の可能性が取り沙汰されてる」

「お前たちは侵略者になるかも知れんぞ」

「かもねえ。ま、適当に移民でもやるでしょうよ」

「ま、僕には関係のないこった」

「そうでもない、私達は君たちの生産物に頼りっきりだから」

「…まさしく。奴隷なんだよなあ。お前らジーンリッチの下働きで人生が終わる」

「せいぜい働いてね」

「…お前は。僕と付き合いがありながら、ナチュラルに見下してくるよな」

「しょうがないじゃない。私達は刷り込まれているのよ。旧人類とは違うと」

「実際、宇宙線への抵抗遺伝子がノックインされている時点で。違うよなあ」

「君たちは宇宙に行ったら即死を免れない」

「ああ。だから。このクソみたいな地球で生きて行く他ない」

「…地球。生命の揺り籠。私は嫌いじゃないけどね」

「それは。ジーンリッチからは問題が見えないようになっているからだ」

「そうね。ニュースを見てもいまいちピンと来ない」

「そりゃ。問題の当事者は僕らだからだ」

「まるで。地球の内に居ながら外に居るみたい」

「まるで、じゃなくて。君らは地球に存在していないようなものだ」

「随分厳しい」

「僕らは。お前らのしわ寄せをモロに喰らっているからな」

「例えば?」

「食料。遺伝子組み換えでいじくり回された肉や野菜や魚、食った事あるか?」

「ない」

「一度食ってみろよ、おったまげるぜ。豚とかもう図鑑のカタチしてねえもんな」

「一体どんな豚なのよ…」

「肉がやたらデケえの。昔、図書館で見た古い図鑑に載ってた豚とは全然違うね」

「…私は良いかな」

「おっ。引いたか。面白い」

「面白がらないでよ」

「僕ら、負け組は。こういうネタでお前らをからかうのが楽しいんだよ」

「…負け組、ねえ」

「実際そうだろ?産まれた時点で線引きが成されてる」

「私はさ。君と付き合い始めて。ナチュラルもジーンリッチもそう変わらないって思ってきたんだけど」

「そりゃ。お前がジーンリッチで、上に居るからだ。下から見てみろよ、違いだらけで別の生き物に思えてくらあ」

「まあ…ある意味では。種の分化は起こりつつある」

「そうだよ。僕らナチュラルとジーンリッチは。別種のヒトだ」

「だけど。こうやってコミュニケーションは出来る」

「そりゃ、お前らが旧人類たるナチュラルの遺産を流用しているからだ」

「私達は―君たちの上に生きている」

「そこは否定せずにいて欲しいね」

 

「だけど。その価値はあるのかしら?ジーンリッチに」彼女は悲しそうにそう言う。

 

「そんな事。お前が気に病む事ではない」僕は言うが。

「私達は。遺伝子を改造されているからって、あなた達を家畜のように扱っているけど…そんな権利、ないのかも知れない」

「だが。社会はそういう風にデザインされ、そういう風に回ってる。お前一人の反省で世の中は変わらない」

「ままならないわね」

「ああ。ままならん。だから…もうココには来るなよ」僕は自分の気持ちと裏腹な事を言う。僕も…僕も。彼女との付き合いに楽しみを見出している。

「そう言われてもね。上の世界に居ると息が詰まる」

「そして。偶に下の空気を吸いたくなる、と」

「そ。ここには。私が知らない世界が広がっていて。勉強になるわけ」

「社会科見学じゃねーんだぞ」

「まあね。気軽に見に来るトコロではない、知らないで良いことを知るハメになるから」

「だが。お前は。パンドラの箱を開けちまった。開けないでいいヤツな」

「底にあるのは希望か絶望か」

「あるのは絶望だけだ。僕らは、お前らジーンリッチを養い、育て、宇宙に送り出し、種を存続させるのが役目で、宿命だ」

「ごめんね…」彼女は僕の目の前で泣き出す。

「泣くなよ、お前のキャラじゃない。お前はクールに僕を観察してベンキョーしとけば良いんだよ」

「泣きたくもなるわよ、私達はあなた達を足蹴にして、養分にして、奪って…存在している」

「罪悪感を感じ始めたらキリがない。そういう時は。お前と俺は違うって事を思い出せ」

「…私と貴方の何処が違うのよ」

「遺伝子」

「たった数列のコードじゃない」

「しかし。それがタンパク質によって発現する時、大きな違いを生み出す」

「そして。私と君には隔てが産まれる」

「そうだ。本来交わるべきではないんだ」

「…そんな事。言わないでよ。もう、私達は。知り合いで。友達じゃない」

「そらお前の思い込みだ」僕は意地悪を言う。

「そうかな?君は。私に害を成したりしないじゃない」

「それは…それは。ジーンリッチ様を観察して面白がっているだけだ」嘘だ。僕は彼女に惹かれている。ナチュラルの為に涙を流せる彼女に。だけど、そんな事言って何になる?意味がないんだ。

「ふふ。君は嘘が下手だね」

「…隠し立てがしようがない体なの」

「そっか…ってもう夜か」

「おっと。まずい。さっさと上の街に帰すぞ、さ。手を握れ。そして離さないでいてくれよな」

 

                  ◆

 

 月日ってのは。矢のように…いや光のように高速で消えていくもんだ。

 出会った頃に中学生だった僕らは。気付けばもう18。

 僕は職業学校を卒業して。彼女は大学に進む。

 

「お前も、後4年で宇宙に消えて行くんだな」僕はスラムの公園で夜空を見上げながら言う、ああ、汚い空だ。星一つ見えやしねえ。

「そうね。後4年か。君と会えるのも」

「長いようで短い」

「光陰矢のごとしってね」

「宇宙に行ったら…君は僕を忘れるのかな」

「忘れないわよ」

「でもさ。君が宇宙に行った後、地球が滅んだりしてな」

「…冗談じゃないけど。あり得る話よね」

「そん時は笑ってくれよな」

「笑えないわよ」

「お前は生き残れる、気にすんな」

「馬鹿ね、君が永遠に居なくなったら―私は悲しい」

「そんな感情を家畜に向けるなや」

「家畜だなんて。卑下しないでよ」

「家畜みたいなモンだろ、僕は君が大学で勉強している間に。少ねえ賃金でお前らの宇宙旅行の物資を作らされるんだぜ」

「君も大学に行けたら良いのになあ」

「ソイツは無理な相談だ。カリキュラム自体違うんだから」

「君は。頭は悪くない」

「お褒め頂きどうも、でも産まれが違うんだ」

「ただ、両親に遺伝子操作をするだけのお金があるかどうかの違いなのに」

「それって。案外に大きな差なんだよ」

「世界ってのは詰まらない」

「ブーたれたトコで変わらん」


 彼女は僕の傍らに立って。

 星を眺めようとしている。だが。スラムの汚くて明るい街明かりがそれをかき消してしまっている。

 僕は。そんな彼女の横顔を見つめて。切ない気持ちになる。

 君は遠くへ消えていく。僕が手を握ったって無駄だ。

 それは運命であり、宿命でもある。

 僕と彼女は出会うべきでは無かった。

 何時か別れが来るのだから。永遠に時を共に過ごす事は不可能なのだ。

 

 僕は理由や理屈抜きで。

 彼女に惹かれている。そして僕の思い違いでなければ。彼女も僕に惹かれている。

 種を超えた恋、そう形容するのが正しい。

 僕はナチュラル、旧人類で。彼女はジーンリッチ、新人類で。

 交わるべきでは無かった。

 それが運命のいたずらによって結ばれた…

 

 僕は。傍らに立つ彼女の手をそっと握る。

 間違ってるのは分かってる。だが。今ぐらいは。今ぐらいは良いじゃないか。

 

「その手、離さないでよ」彼女は照れくさそうにそう言う。

「君がロケットに乗り込むまでは離さんよ」

「…ロケットに付いてきて良いのよ?」

「無理だ。僕なんか荷物チェックで弾かれる」

「自分を荷物扱いしないでよ」

「家畜だ。荷物扱いで良い」

「君は。人間だよ。荷物なんかじゃない」

「お前は優しいよなあ」

 

                  ◆

 

 4年なんて。あっという間に過ぎる。

 僕と彼女は。その少なくなった時間を惜しむように過ごした。

 だが。時間というものは宇宙が始まってから停止した試しがない。

 

「明日には。ロケットに乗り込む」

「だな。ま、達者でやれや」

「…引き留めてくれないの?」

「引き留めたいさ。手を握って離さないでね。でも。君は。宇宙へと旅立つべきだ」

「…種の存続の為に?」

「そう。ここ4年で世界情勢は最悪の極みに陥っている…地球はもう長くない。どっかのバカ国家のアホがドゥームズデイ・デバイス終末装置を使ってもおかしくない」

「そんな地球に君を残していくなんて」

「名残惜しかろうが、何時か別れは来る、そう決まっていただろ」

「でも。私達、まだ22よ?人生なんてこれからじゃない」

「これからを君に生きて欲しい。僕の事なんてどうでも良い」

貴方あなたが。どうでも良い訳ないじゃない!」

「…そう言ってくれる君の優しさを僕は愛してる。だけど。愛してるからこそ、君だけにはどうにか生き残ってもらいたい」

「愛してるなんて…言わないでよお」彼女は泣き出して。

「だって。愛してるから。そして。そう顔に向かって言えるのは今日が最後だ」そう言いながら、僕は彼女の肩を抱く。

 

 彼女は震えて。泣き続けて。

 僕は彼女を抱き寄せてみるが。一向に泣き止まない。

 

「なんで。貴方はナチュラルなのよお…」

「しょーがない。親が貧乏だったんだ」

「今からでも、遺伝子改造してよ…」

「無茶いうな。生体への遺伝子操作はあまり効果がない」

「貴方は冷静過ぎる…」

「そりゃクールにもなるさ。僕は滅びゆく地球の番犬だ」

「自分を動物に喩えて卑下するの止めてよ」

「ヒトも。所詮は動物さ」

「馬鹿」

「ああ、馬鹿で…でも君をどうしようもなく愛してる」

「私だって。愛してる」

「なんだあ。今さら愛の睦言むつごとかよ。遅いっての」僕はからかってみる。

「遅くたって。無駄だって。私は永遠に愛し続ける」

「いやいや。エウロパでよろしくやってくれ。僕の事なんて忘れて、ね。頼むから」

「無茶言う…」

 

 僕と彼女は。 

 種子島のロケット発射施設を見渡せる丘で。

 最後の一時を過ごした。

 いやあ。無理したぜ。なにせナチェラルは貧乏だ。

 種子島への旅費を捻り出して、一文無しになっちまった。

 でも。それだけの価値はあった―

 

                  ◆

 

「その手、離さないでよ」そう言った彼女は。

 今、まさにロケットに乗り込んで。宇宙へと消えようとしている。

 僕は昨日の丘で、それを一人見守っている。

 

 今や、ロケットの発射なんて日常茶飯事で。

 中継映像があったりはしない。

 僕は遠くから。まっすぐと天を目指すロケットを見守っている。

 

 僕は空に手をかざす。

 遠く向こうにある宇宙を掴んでみたくなったのだ。

 そして。その手の中に、君を握りしめたかった。

 だけど。そんな事は無駄で。意味なんかない。

 

 君の手は。暖かった手は。遠く宇宙へと消えていく。

 どうか。彼女がエウロパで長生きしますように。

 地球の僕なんてどうでも良いから、どうか…

 僕は居ないはずの神に向かって祈る。

 そんな事しか。もう出来ないのだ。

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【KAC20245】『新人類は遠く宇宙へと消えていく』 小田舵木 @odakajiki

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