第3話 執事=大学生


 「んん……うるさい…」


 朝倉尊人の朝は早い。

 五時半のアラームで目を覚まし、重い体を無理やり起こして一日の幕を開く。

 昨夜のあれこれで確実に寝不足ではあったが、いつも以上に重たい瞼を習慣だからと根気でこじ開けて。


 しかしかと言ってVtuber定番の"朝活配信”のようなことをするわけでもなく、着替えて顔を洗ってから掃除機をかけ、洗濯機を回し、炊事、とやるのは家事だけ。

 当然それだけでは家を出るまでの時間も余るわけだが、月詠深琴としての活動は行うことなく、エゴサーチや身支度、コーヒーを飲んで時間を潰す。

 ゆっくりと過ごせる朝のひと時が、単純に彼は好きだった。

 ある程度の睡眠時間を蔑ろに出来るほどには。


 特段同居人が煩いというわけでもない。

 ただそれとは別として、一人の時間というのは心休まるものがある。

 持ち前のマイペースさでこちらを乱してくる彼女となれば尚更であった。


 しかしそれにしても深夜の勢いとは言え、昨夜は説教臭いことを言ってしまったかもしれない。

 正論であることは疑っていなかったが、らしくない物言いではあったなと尊人は振り返る。

 彼女を思えばこその言葉ではあったものの、独り善がりは空回りする一方。

 詫びる必要などは無くとも、今後は言い過ぎるのも考えものだと尊人は自戒し、程よく時間も経った頃合いということで荷物を背負い玄関へと向かう。


 「おはよお…」


 気怠げで実に覇気のない声。

 気づけば、廊下には七瀬が立っていた。


 「びっ…くりしたあ…。お、おはよう…」


 「んー……もう出るの…?」


 乱れた頭髪やパジャマ姿、微睡んだ表情から見ても目覚めて数分と経っていないことは明らかだった。

 極端な夜型である彼女が、ましてや夜遅かった翌日の朝に起きているというのは、何とも見慣れない光景である。


 「僕はいつもこの時間だけど、君が起きてるなんて珍しい…。…配信でもするの?」


 「しないよお……こんな時間から」


 「じゃあどうして──」


 と、そこまで口にして尊人は察した。

 もしかして、昨晩のことを悪びれているのだろうかと。

 声色も顔色も常に一定で掴みどころのない彼女ではあったが、それでいて案外そういう一面も持ち合わせていることを尊人は理解していた。

 人並み以上に鈍感なだけで、人並み以上に人を思い遣ることが七瀬には出来る。

 むしろそうでもなければ、朝方に起きているなどということはまず起こり得ないわけだが。


 「こういうとこがあるから怒るに怒りきれないんだよなあ…」


 不満とも褒め言葉ともつかないぼやきを呟いて、再度尊人は玄関へと向かう。

 見送ろうと、七瀬も後ろから着いてくる。


 「あれ、今日は早い日だっけえ…?」


 「水曜だから…別にそうでもないけど、七時過ぎくらいには帰ってこれるんじゃない?」


 「そっかあ」


 靴を履き、

 尊人は振り向きざまに彼女を見つめる。

 マイペースで決め事をよく破る困った同居人ではあったが、自分のことを不器用ながらに想ってくれているのもまた事実なのだろう。


 「じゃあ…いってらっしゃいのハグでもする?」


 「したことないだろそんなの。…いってきます」


 「うん、いってらぁ…」


 何か美味しいものでも買って、今日は早めに帰って来てあげようか。

 欠伸混じりの言葉に見送られながら、尊人はへと向かった。


ーー


 Vtuber月詠深琴こと、朝倉尊人は現役大学生だった。


 多種多様なVtuberが存在する昨今において兼業勢というのは特段珍しいわけでもない。

 ただ大手企業所属となれば話は変わり、ましてや学生ともなると、少なくとも尊人の所属するV2では彼含め”二人”しかいないほどに極めて稀なケースであった。

 "デビュー当初"は学生だった者も含めれば、多少は増えるものの。


 平日は朝から講義を受け、ライバーとしての配信や収録は夜や休日に行う。

 学生に限らず兼業勢にとってはそれなりに過密なスケジュールだが、アルバイトやサークル活動の代替と考えれば、尊人はさほど苦にしていなかった。

 そも彼にとっては憧れて入った世界、多少の苦労はあれどそれが悦楽を上回ることなどない。


 むしろ、大学生活の方がである。


 『今日8時頃からサークル飲みあるんだけどさ 来ない?』


 大学に着いて2限目の講義を終えた頃、丁度そんなメッセージが送られてきて尊人は顔を顰めた。

 送り主は同じ学部の友人。

 とは言っても、飲みやコンパにばかり誘ってくるあまり気は合わない相手だったが。


 しかし誰に対しても尊人の人当たりは良い。

 真面目で几帳面な彼は大学での人間関係もまた整然と形成しており、自分にとって有意義且つ不和のない丁寧な人付き合いというのを心掛けていた。

 それゆえか、あまり得意でない相手との関係性も多かった。

 気乗りしない誘いであっても、つい断れずにいてしまう彼の気質も相俟って。


 「はあ…、なんて返したものか…」


 しかし今回はそういう訳にも行かなかった。

 七瀬のため自分のため、早く帰れるように上手く断らなければならない。

 ただ最近は上手く躱し続けていたツケも回って、現在誤魔化すための手札は少なかった。

 それでも頭は回る、いっそ体調不良でそもそも最初から大学になど来ていなかったことにしようかと巡らせたところで。


 「お、朝倉!」


 その声を聞き、尊人は思わず動転する。


 「次同じ講義だろ?一緒に行こうぜ。あ、てかライン見た?」


 「あ、ああ…」


 見つけられてしまった相手は件の友人。

 流石にこの状況では、最早言い逃れのしようがない。

 煩いだらけの大学生活を呪いながら、成す術なく尊人は今回も快諾してしまった。


 

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(隠れ)カップル系VTuber にんぎょうやき @fyuki0221

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