第2話 VTuber×スキャンダル=炎上
七瀬カフカの配信はいつも二十時前後、ゴールデンタイムの時間帯に始まる。
その終わり方は日によって様々だが、ゲームをクリアして終わることもあれば次回に持ち越す、或いはミス連発でぶつ切りで終わることなども珍しくなく、その日の彼女の気分次第で変わるため深夜帯に終わることもままあった。
特に今日はクリアこそ出来なかったものの、所謂"死にゲー"と呼ばれる高難易度ゲームの攻略を長時間粘っていたゆえ、一時近くの終わり。
「…遅い」
そのため"彼"もまた、明け方のこの時間まで配信が終わるのを待っている必要があった。
「あれ、まだ起きてたんだ朝倉くん。とっくに寝ちゃったと思ってたけど」
「配信お疲れ様。…ということで、まずはここに正座をしてください」
「……ん?もしかして怒ってる…?」
配信を終わらせ、リビングにやって来た七瀬は一目で理解した。
穏やかな表情を浮かべる彼の目に、まるで穏やかでない憤懣の念が秘められていることを。
「ほう、なるほどそういうことね。…分かりました、言い訳をさせてください」
思い当たる節を一つ見つけた彼女は、ひとまず右手を上げて弁解のチャンスを要求する。
「いえ、まずは正座をしてください」
「いや、確かにさっきのはよくないことだけどさ、ラダーンの弓が強いのがわる…」
「正座を」
「あ、はい」
しかし訴えは通してもらえず。
冷たく低い彼の声色に、七瀬カフカは日本の伝統的座法を余儀なくさせられた。
「正座なんていつ振りだろう。足痺れちゃうよ…」
渋々ながらも七瀬が正しく座った様を見て、改めて彼は開口する。
「…で、どうして怒ってるか、分かってる?」
「うわあ、いやな詰め方」
さながら部下から嫌われる典型の上司を彷彿とさせるような問いかけ。
理解した上で、彼はそういう圧をかけていた。
「まあその、決め事を破ったから、でしょ?君の配信が終わってるか、確認する前に防音室に入っちゃったから…」
「……ん?」
返答に彼は首を傾げた。
月詠深琴と七瀬カフカ。
互いに人気VTuberでありながら交際関係にもある二人の間には、共通となっている幾つかの
それは、色恋沙汰など御法度のVTuberとして活動していくにあたって、その関係性を世に悟られてしまわないために作ったもの。
一例としては、防音室には無断で入らない、片方の配信中はリビングを使わない、一緒に出かけた場所の話は決して配信でしない、など。
とにかく“匂わせ”に繋がるようなことを徹底的に避けることで、
今回は許可なく防音室に入り込んでしまったため、その決め事の一つに抵触するだろうと七瀬は考えていたのだが。
「いや、配信のことならさっき『終わったよ』ってディスコードで送ったと思うんだけど…」
「…え、そうなの?」
よもやの見当違い。
慌ててスマホを確認すると、確かに彼からの連絡が数時間前に届いていた。
「ホントだ…送られてる」
「ちょっと待て、まさか確認せずに入って来たの?」
「アハハ、マサカソンナー」
「おい」
予定していた内容とは別件のやらかしが発覚し、呆れて彼は溜息を落とす。
長時間配信をしていれば誰しもに起こり得る不注意ではあるのだが、七瀬の場合はそれにしても多いミスだった。
何とも無い内は良くとも、決して看過は出来ない。
「…まあいいや、その件は一旦置いておくとして」
「あれ、他に何かあったっけ」
「呼び方だよ、名前の呼び方」
彼は本題を切り出した。
「名前……あー、"本名"で呼ばないでってやつね…」
言われて七瀬も釈然とした様子でポンと手を叩く。
それについても、確かに思い当たる節があった。
「配信外でもダメなの?
「言った傍から呼ぶな」
彼女は当然のように"その名前"を口にする。
喋りの上手い美形執事、というVTuberの姿とは異なり、これと言って特筆すべき点のない一般的な十九歳大学生。
配信中はよく回るペラもある種"キャラ付け"に近いところがあり、配信外での口数はむしろ少ないほう。
煽りや喧嘩を売るような、強い口調を使うことも配信外では当然ない。
その性格はよく言えば真面目、悪く言えば頭が固いと言えた。
「配信外で普段から呼んでると、配信中でも咄嗟の時に呼んじゃう可能性があるだろ。そういうリスクを避けるためにも本名呼びはしたくないんだよ。…っていう話を、前にもしたと思うんだけど」
憎まれ口調な"月詠深琴"とは打って変わって、"朝倉尊人"は至って真剣な口振りで諭し聞かせる。
「うーん、言わないけどねえ。私がうっかり口を滑らせてしまうような、軽率な人間に見えるかね」
「見える」
「ありゃ」
信用はゼロ。
と言うよりも、それだけ尊人の中にはバーチャルYouTuberの"演者側"としての、徹底されたプロ意識のようなものがあった。
決して素顔を晒してはいけない、中身を悟られてはいけない、裏側の関係性など、間違っても気づかれてはならない。
あくまでも
そういう信条を持って活動しているからこそ、少しの緩みであろうと見逃すことが出来なかった。
「本名なんかポロっと漏らしてみろ、特にお前の規模感だとそれはもう恐ろしいことになるぞ。そうやって炎上したVTuberを何人か知ってる」
「そういうの詳しいよね君」
頻繁にネットを騒がすVTuberの特性を思えば、その慎重さ加減はあながち間違いでもないのかもしれない。
しかし七瀬からすると、そんなものは単なる杞憂としか思えなかった。
行き過ぎた行動の意識は、時に息苦しさを覚えるもの。
「大体三年近く活動してきて…付き合ってからは一年ちょいだけど、配信中にうっかり本名で呼びかける、なんてこと一度もなかったじゃん?なら、この先も大丈夫だと思うんだけどな」
「たった一年じゃあ、楽観視する材料としては余りにも短いよ。僕たちはこれからも末長く、命尽き果てるその時まで活動を続ける予定なんだから」
「初耳なんだけど」
その言い様は誇張だとしても、この先数年に渡って活動を続けていくことは確か。
であれば、七瀬の言葉はやはり幾分説得力に欠けるものだった。
「…それに、僕が口を滑らせる可能性だってあるし」
「それは大丈夫じゃない?君は私のこと
「いや、
「
初耳であった意外な告白に、七瀬は思わず驚きと不満を露わにさせた。
七瀬カフカ、本名『
世を放浪としてご主人様を探しているメイド、というのは当然設定で、その素性は単なる二十一歳の引きこもり。
なのだが、長時間ゲームをプレイし続けられる持久力も、歌姫と称される折り紙付きの歌唱力も、ダウナー系な性格も、配信で見せるその大半の側面が噓偽りのない等身大のもの。
喋り方も配信スタイルもあまり取り繕う気がないため、
それでいて感覚一つで今の人気まで登りつめた天才肌。
取り繕いの多い尊人とは、まさしく真逆の存在であった。
「そもそも活動名を本名に寄せるとか正気の沙汰じゃあないんだよ…。前世とか無いから特定されないけどさあ…」
「誤差だよね、ほぼ」
ライバーとしての活動名は予め『V2』くらい決められたもの。
本名に因んだ名付け方をするその様式に、二人は常々違和感を抱いていた。
「……あ、そっか」
すると何やら閃きを得た様子の七瀬。
何かは分からないが、薄ら笑うような表情は良からぬ企みでも思いついたかのようだった。
悪びれた様子から態度が一転する。
「君が私を七瀬って呼ぶように、君の事もVと同じ名前で呼ぶなら、何も問題はないってことだよね?」
「うん?…まあ、そうだね」
「じゃあさ、
「は」
じっと目を見つめながらされる名前呼び。
不意のそれは、尊人の頭から思考を奪い取った。
付き合い始めて一年と数ヶ月、それなりの期間を重ねてはきてもなお慣れない。
恋する相手に、彼はとことん弱かった。
「これならどっちの意味合いで呼んでも大丈夫だよ。ね、みことくん」
「……好きにすれば」
彼女もまたその
実に意地悪な揶揄いである。
「てか、いっそバレちゃってもよくなーい?」
「いいわけあるかあっ!」
相反する二人の価値観は、未だ擦り合わせるのに時間を要しそうだった。
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