夕日の僕とぼく

友川創希

夕日

 ぶくぶく……。


 ぱぱぱぱ……。


 どどどど……。


 人の心はまっすぐではない。


 いつも優しそうな人が時に不機嫌そうな様子を見せることがある。逆に、いつも不機嫌そうな人が、にっこりとした笑顔を見せる瞬間だってある。それは一体何が原因なのだろう? 


 感情の起伏は多様だ。道で転んだら誰だって怒りたくなるし、心のこもったプレゼントをもらえば、誰だって自然と笑顔になる。


 ただ、自分の気分を決定づける要因は皆と少し違っている。


 ――❝夕日❞が出ているかどうかだ。


 神様の意地悪なのか、生まれつき❝夕日❞が出ていない時は本来のであり、基本的に機嫌がいい。それがだ。たぶん多少意地悪されたぐらいなら怒らないと思う。ただ逆に、❝夕日❞が出る時間は、どんなに嬉しいことがあっても、常に機嫌が悪い。それが、もう一つの側面のなのだ。


 だから、❝夕日❞の出ている間は、人との関わりを断つようにしている。


 だって、過去、❝夕日❞の出ている時、人と関わって誰かを大きく傷つけてしまったから。




 自分も、この春から高校生になった。


 初めてだらけの経験をしなければいけない。ただ、空気が満パンに詰められた風船が割れてしまうのではないかというような不安はあまり感じていない。もちろん、入学式の日はとても緊張した。入る教室を間違えたし。


 大きな不安を感じないのは、中学からの頼れる異性の友人であるかえでがいるからなんだろう。


『部活、なに入るの? 私は写真部にしようかな』


 入学してから数日たったある日、楓からこんなLINEが送られてきた。部活か……。もし、自分にも部活ができたら、青春という花を咲かせられるのかもしれないけど、中学時代と同様にそれはできない。部活のある放課後は❝夕日❞がきれいに見えるから。❝夕日❞との関係を知らない楓になんと伝えようか迷ったけれど、


『夜のバイトをしたいから、部活はやめておこうかな』

 

 と逃げるようにして返信した。すると、


『活動日が少ない部活もあるんだから、もう少し考えたら?』


 と予想通りの返答が返ってきた。楓らしい。ちゃんと青春という味を味わってほしいと思っているのだろう。これ以上会話が続くことを恐れて、LINEのリアクションボタンを押すことでこの会話を終わらせた。


 


 雨というのは多くの人を憂鬱にさせる。雨の音が耳を刺激し、様々なものを濡らし、人の心を冷たくする――そう考える人が多いのではないか。でも、自分はそうは思わない。むしろ、自分にとっては差し込んでくる光だ。だって雨の日には❝夕日❞が出ないから。


 そんな日の放課後、何を思ったのか校内を歩いてみた。もちろん外には誰もいなかったけれど、理科室では楓の所属している写真部がお互いの写真について批評会をしているようだった。時々、楓の笑みが溢れ出ていた。


 体育館ではちょうどバスケ部が試合をしていて、こんな天気でも輝く汗を流していた。点が決まると、チームの中でハイタッチ。そして決めた選手に対して頭を撫でる他の選手。


 これが僕の考えていた高校生の姿だ。


 ただ、今は自分の高校生活を憂鬱だとかそんな風には思わない。むしろ、皆がちゃんと高校生を送っている姿を見て機嫌がいい。いや、それは関係なく❝夕日❞が出ていないから機嫌がいい。


 もう帰ろうと思い、教室へ戻っている途中、進行方向からなにかを持っている人が歩いてきた。ただ、視力の関係上、まだその人の顔と、何を持っているのかは認識できていない。


 距離が近づくとその人は女の人のようで、スマホをいじりながら向かってきている事がわかった。そして、もう一方の手には絵の具のようなものを持っていた。たぶんまだ前に人がいることには気づいていないだろう。


 ――はあっ。


 ただ、自分がその女の人の顔を認識した途端、呼吸は一旦停止した。


 そして、相手も目の前に誰かがいることに気づいた瞬間、なぜだかバランスを崩し、その場に豪快に転んだ。


 その光景がなぜだかスローモーションのように見えた。


 彼女はその場に転ぶと同時に、転んだときにピンク色の絵の具を握っていたせいか、その絵の具に大きな圧力がかかり、中身が飛び出したのだ。いや、散らばったのだ。


 そして、そのピンク色の絵の具の一部がの上履きにかかったのだ。その一連の流れをただ眺めているだけで何もできなかった。


「あ、ごめんなさい、私ちゃんと前を見ていなかったようで」


 まだ彼女は目の前にいるのが具体的に誰かということに気づいていないようだ。


「本当に本当にごめんなさい、弁償しますから」


 彼女はピンク色の絵の具がついた上履きを見ながらそう言う。まだ彼女は立ち上がっていない。


「いえ、別にそれぐらいいいですよ」


 いつもより声色を少し変えて大丈夫ということを伝える。それから、彼女はゆっくりと立ち上がった。その瞬間、彼女は驚いた表情で見つめてきた。目の前にいる人が誰か気づいたようだ。


 彼女は口を少し開け、その表情のまま数秒間眺めていた。


 ――今、目の前にいるのは❝夕日❞がでたときに関わってが一番傷つけてしまった人だ。


「あれ、怒らないの……? 前はだって……」


 あの時とのギャップに彼女は驚いているようだ。でも、今は❝夕日❞が出ていないから怒る理由がない。その時とは状況が違うのだ。今はではない。だ。だから、怒らない。


「本当に大丈夫なの……?」


 彼女は再度確認のために聞いてきたが、はうんと頷いた。気づけば、10秒ほど何も言わずにお互いを見つめていた。10秒ほど経つとじゃあ、本当にごめんなさいと言ってから離れた。ただ、彼女は最後、に聞こえるか、聞こえないかぐらいの声で


 ――雨、やんで良かったね。


 と言った。えっ、と思って窓の外を見るとさっきまで降っていた雨が何事もなかったかのようにやんでいた。そして、雲の隙間から太陽が出ていたのだ。


 そんな状況から早く逃げようとした所、運悪く楓からLINEが送られてきたのだ。


『今、学校にいる? 数十分後、少し話したいことがあるんだ』


 と。


『いるけど、もう帰ろうと思ったからまた今度でもいい?』


『どうしてもだめなら今度でいいけど、大事な話だからできるだけ』


 今、確かには学校にいる。でも、数十分後にはもしかしたら❝夕日❞が出てしまうかもしれない。そんなときに楓と会うことなんてできない。きっと楓を傷つけてしまう。


 でも、はそれを言い放つ理由を考えることができず、


『わかった』


 と返信してしまった。




 悪い予感は的中し、雨がやんだ空には、ずるいぐらい綺麗な夕日がかかってきた。


 それもこの世界のすべてを知っているかのような存在感のある夕日だった。


 だめだ、むしゃくしゃする。心が落ち着かない。さっきまでのとは全く違う。


 間もなく楓との約束の時間だ。楓が呼び出したのは夕日がよく見える屋上だった。は屋上へと向かうが、心が不安定で、廊下の紙くずを蹴り散らしながら、屋上へと向かった。だけでは抑えきれないのだ。


 階段を上り、屋上に繋がる扉まで来ると、は一旦扉を蹴り、その後にそれを殴った。もちろん痛いが、の心の方がもっと痛い。


 楓との関係はこの日で終わるだろうという予感があった。そんなこと、わかりきっている。


 覚悟を決めたあと、その扉を勢いよく開いた。


 の瞳には、ハンカチを強く握っている楓が、綺麗な夕日を眺めている――そんな光景が目に写った。


「あ、来た」


 楓は来たことに気づくと、この空に溶けるかのように優しい声でそう言った。


 は楓を殴りそうになってしまったが、なんとか左手がそれを阻止してくれた。


 冷たい声を押し殺し、話を切り出した。


「で、話って?」


 の声に少し驚いているようにも思えたが、楓はなにかを願うようにしながら唇を噛み締めて、夕日の方を見ていた。


 その夕日を眺めていた瞳が今度はの方を見る。そして、この世界の空気を吸い込みながら言葉を放った。


「――実はずっと好きで、想いを伝えたいんだ。あの、好きです」


 えっ?

 

 楓の声はすぐに消えてしまった。聞き間違えだったかと思い、もう一度と言ったが、恥ずかしいよという理由で二度目は言ってくれなかった。


 でも、確かに耳に響いていた。


 ――あ、だめだ。


 はそう思った瞬間、楓の体を叩いていた。楓はその衝撃からかうずくまった。たぶん、今言ってくれたことはほんの一瞬で全て消えてしまっただろう。一欠片も残ることなく。


「ごめん、実は❝夕日❞が出ているときはこういう感じに、自分の機嫌が悪くなってコントロールできなくなるんだ。前に、約束に数分遅れただけでもの凄く怒って元カノと別れたし、傷つけたし……。だから❝夕日❞の出てるときは人と関わらないようにしてきたんだ」


 もう嫌なはずだ。でも、全部言った。言っておきたかった。


「……知ってるよ。そんなこと」


 ただ、彼女は僕の目を見ることなく、夕日を見ながらそんなことを言ってきたのだ。そして、ゆっくり立ち上がった。


「えっ、知ってたの?」


「もちろん」


 隠していたつもりが、いつの間にか彼女にはバレていた。そうか、いつも近くにいてくれたんだもんな。


「だったらなおさら……」

 

 でも、ならどうしてこんなを好きなんて……。こういうことがわかっているのに。傷つけられるかもしれないのに。


「……だって、今のはであって、じゃないでしょ? 君の本当の姿はじゃなくてなんだから」


 楓はらにしかわからない言葉でそう言った。少し心の締め付けが、ゆるくなった。


「で、告白の返事は……?」


 彼女のおかげでなぜか心が抑えられてきた。でも、まだ彼女の言ってくれたことの答えは出せない。 


「それはのときにしたいな」


「わかった、待ってる」


 夕日が完全に沈むまでのカウントダウンが始まる。誰にも邪魔されない、ただ二人だけの特別な時間が、これから始まるに違いない。


 2人で静かに夕日が沈むのを待った。


 まだ、かな。


 もうすぐ、この世界に「好き」という言葉が響く。

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夕日の僕とぼく 友川創希 @20060629

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