第6話 エピローグ
「「かんぱーい!」」
「おっぱーい!」
「いきなり下ネタぶっ込むなよ、姉貴!」
文化祭二日目を終えた後の振替休日――僕、煤咲貫之の自宅では、文化祭の打ち上げが開かれていた。
参加者は僕を含め、計六名。
「名目上は文化祭の打ち上げなのに、部員以外の方が多いってどうなんだ?」
「いいじゃんいいじゃん、パーティーは多い方が楽しいし!」
「そうだそうだ、かたっくるしいぞ貫之!」
「酔っ払いは黙ってろ」
「顧問としてパフォーマンスも一緒にしたのに、扱い酷くない!?」
部員数たった二名のうちの一人であり、僕の幼馴染――金城嘉穂。
打ち上げとは言いつつも、本来であればこいつと二人……今この場にいる親父を含めたとしても三人で、こじんまりと集まりをする事になっていた。
そう考えれば、これくらい人数のいる方がパーティーらしくはあるかもしれない。
書道部三人に姉貴と母さん、そして僕の担当生徒――金城瑠奈。
文化祭打ち上げという事は抜きにして、皆同じく書道に関わる人達で集まったと思えば、メンバーとしては不自然じゃないだろう。
自宅一階の、普段は書道教室として使っている一室。
合わせられた二つの長机の上には、菓子につまみ、ジュースやアルコール類が所狭しと広げられていた。
「ぷはぁ……デカい仕事を終えた後の酒は、格別にうまいな!」
「それ、何瓶目のビールだよ……。あんま飲みすぎるなって」
「あらあら、貫之……『揉みすぎる』だなんてイヤらしい。乳房に関する事を女の子の前で言うの、お母さんは感心しないなぁー?」
「ママ、ちょっと待って。『揉みすぎる』と言っても、一概に乳房とは限らないよ。もしかしたら竿と袋の事かもしれないし」
「つまり、うちの息子はノンケではなかった……という事なの?」
「あんたら何の話をしてるんだ!?」
発言内容の一部を変えて、変に話を進めるな。
そんな僕達家族の会話を聞き、嘉穂は「あはは」と困ったように笑顔を繕っている。
その隣に座る瑠奈ちゃんはいつも通りの無表情だったものの、姉貴をじっと見つめ自身の凹凸がない胸にペタペタと触れていた。……どこか虚しいな、この光景。
「にしてもさ、貫之?」
ふと嘉穂は頬杖をつき、思い返すように天井を見上げた。
「無事に文化祭が終わって、改めて色々と思い返してみてるけど……貫之が体育館であんな事を言ったの、未だに信じられないよ」
「この事はもういいだろ。いい加減しつこいぞ?」
「それくらい意外だったんだもんー」
文化祭での書道パフォーマンス後、大勢の観客の前でした宣戦布告とも言えるであろうエキシビションマッチの申し込み。
「でも、何で大勢の人に見てもらう事を選んだの? 勝つ自信があったとか?」
「いや、勝敗で言ったら負ける可能性の方が高いと思ってたよ。書道は練習しなきゃ腕は落ちるし、そもそも僕はあいつに勝てた事自体これまでほぼなかったしさ」
「だったら尚更、大勢の前でやる必要なんて……パフォーマンスであれだけ盛り上がったのに、最後の最後で中学生に負けて終わりって……貫之は、あれでよかったの?」
そう――あの日、僕は負けたのだ。
神門明音という天才に、何度目かも分からない敗北を味わわされた。
書道から逃げ続けていたくせに、一丁前に悔しさを感じる。――ただ、
「別に、あれでよかったんだよ」
後悔は微塵もなかった。
後腐れのない、気持ちの良い敗北だった。
「あの競書は、過去に進むべき道を間違えた僕が軌道修正をするための……つまるところ、復帰試合なんだ。練習を続けていけば、勝つチャンスはまた来るだろ」
「なんか……変わったね。すっかり大人になっちゃってさ、貫之のくせに」
表情筋をにへぇと緩め、嘉穂は心底嬉しそうに笑みを浮かべる。
「……私も、そう思う」
そんな姉の様子を見て、寡黙だった瑠奈ちゃんが自ら沈黙を破った。
「競書の結果だって大差なかった。次は、せんせーが勝つ……」
彼女の一言に、僕は黙って一つ頷いた。
ブランクとか相手が有名な書道家とか、それらを言い訳にはしたくない。
僕は瑠奈ちゃんの「せんせー」なのだから、そんな格好悪い事は言えないのだ。
「せんせー……改めて、お疲れ様でした」
瑠奈ちゃんが僕の方を向き、労いの言葉をかけてくれた。
自然と彼女の頭に手が伸び、頭を優しく撫でる。
「こちらこそ……ありがとう」
彼女のおかげで、僕はまた「書道をする意義」を見出せた。
仲間のために、家族のために、自分のために――そして、唯一の生徒のためにも、僕は今まで以上に、書道を楽しむのだ。
――――ピンポーン。
その時、不意に玄関のチャイムが音を弾ませた。
「おっ、ようやく到着したか」
早くも酩酊状態の親父が、ふらつきながら畳から立ち上がる。
「貫之も来るんだ。それと、嘉穂ちゃんと瑠奈ちゃんも。多分、結構な量の荷物を持ってくるはずだから、手伝ってあげてくれ」
書道教室の生徒には事前に連絡を入れ、今日は教室を閉めると伝えている。大量の荷物を持ってくるというと、客人ではなく配達か何かか……?
金城姉妹は顔を見合わせ、僕達は首を傾げた。
とりあえず言われるがままに立ち上がり、玄関へと向かう事にする。
そうして僕は、玄関で思わず目を見開いた。
親父が開けた扉の先――そこに立っていたのは、一人の少女。
「な、何でお前がいるんだよ……?」
「おいおい、貫之。いきなりお客さんを指差すのは失礼だぞ?」
「いや、指差すのがよくないのは分かるけど、それでも……何でこいつがここにいるのか、僕には全然状況が呑み込めないぞ……!?」
「あれ、言ってなかったっけ? ……ま、細かい事はいいだろ。今は客人だけど、大体二週間は『家族』同然になるんだし」
あまりにテキトーすぎて、親父に対する殺意が微かに芽生えた。
普通は忘れず言うだろ、これほど大事な事なら。
パンパンに膨らんで丸みを帯びたリュックサックを背負い、左右の手にはそれぞれトートバッグと紙袋……一見、家出少女のような状態だった。
「……お兄さん、お久しぶりです」
神門明音――目の前に現れた天才は、僕に至極丁寧なお辞儀をした。
「冬休みの二週間、お兄さんのお家でお世話になります。それで今日は、少し早いけど荷物の整理に伺いました。……改めて、よろしくお願いします」
「……っ。二週間、も……?」
僕の背後で神門の話を聞いていた瑠奈ちゃんが、絶望したような声で呟いた。
「まったく、言ってくれれば車で迎えに行ったのに。そんな大荷物を持って駅から歩いてきたんじゃ、相当大変だったろう?」
「お気になさらず、お父様。……自分の足で、お兄さんの育った街を見ておきたかったので……歩きでよかったんです」
親父と神門は平然と話しているが、急展開すぎて状況を未だ呑み込み切れない。
「なぁ、神門。どうしてお前は、僕の家で二週間も過ごす流れになったんだ?」
「もしかして、覚えてないんですか……?」
「お、覚え……?」
「文化祭での競書でボクが勝ったら、『先生』になってくれるって……あの日、部室で約束したじゃないですか……。忘れているなんて、酷いです……」
「え、あ、いや……ちょっと待て! 確かにその条件は呑んだけど、泊まりに関する話題を持ち出した覚えはないぞ!?」
「ああ、それは俺から神門ちゃんに提案した」
「親父が主犯かよ、クソ!」
「折角、神門ちゃんが貫之の生徒第二号になったんだ。そのタイミングで、冬休みまでもう少し……となれば、神門ちゃんもみっちり指導を受けたいだろうと思ってね」
「だからって、わざわざ泊まりにする必要は……」
「固い事を言うなって。神門ちゃんだけじゃなく、嘉穂ちゃんと瑠奈ちゃんも泊まりなさいな」
「え……アタシ達も?」
「ああ、勿論。同じ炊飯器の飯を食って親睦を深め、そして練習に明け暮れる……青春っぽくていいじゃない、みんなで書道合宿とかさ!」
「合宿……それ、いいですね! 楽しそうっ!」
「……うん、いいかも」
親父の提案を、金城姉妹がノリノリで承諾してしまった。
二人の家族は泊まり先が僕の家であれば許可をくれるはずだし、こうなっては書道合宿とやらの決行は確定したも同然である。
溜め息を一つ吐き、その提案に僕も渋々了承する。
拒んだところで聞き入れてもらえないのは、重々理解していた。
「お兄さん……いいえ、師範」
ふと神門は僕の服の袖に触れ、身を寄せる。そして僕の胸に顔を押し当ててしばし硬直し、ゆっくりと顔を上げて上目遣いで僕と目を合わせた。
「合宿……楽しみにしてますね」
「あ、ああ……。楽しみなのはいいけど、師範ってのはやめろよ。僕なんかよりお前の方が、段位も高いんだし」
「それでも、お兄さんはボクの憧れです……。心に決めた敬愛すべき人から指導を受けられるなんて……ふふ、つい疼いちゃいます……っ」
「あ、あのな……って――うおっ!?」
いきなり腕を掴まれ、今度は後ろに引き寄せられた。
「る、瑠奈ちゃん……!? 一体何を……っ!」
「この女、危険……泊まらせるのは、やっぱり避けるべき」
「ぽっと出の新人が、あんまり出しゃばらないでください……」
瑠奈ちゃんは僕の腕にしがみ付き、ぎゅっと顔と体を密着させる。それに反発するように、神門も僕の腰に手を回して自身の方へと引く力を強めた。
そんな僕達のやりとりを見て、嘉穂と親父がニヤニヤと笑っている姿が目に映る。
さらに奥へと視線を向けると、教室の襖を開けて「微笑ましい」と言わんばかりにこちらを覗いている姉貴と母さんの存在に気が付いた。
ああ……きっとこれは、僕の書道生活が騒々しいものに変わっていく前兆のようなものなのだろう。
……まぁ、それでもいいか。
ひとまず、楽しんでみるだけ楽しんでみよう。
売れない芸術を、ここにいる――書道少女達と。
少女と織り成す書道生活 花宮拓夜 @hanamiya_takuya
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