猫目の彼女と敏感な僕 -birth-

判家悠久

-birth-


 ——はなさないで


 これは社内でよく聞く。言葉ではない、純粋な概念そのもの。

 俺の息子悠斗も胎内にいた時は、何かと喋りがちで、嫁の美園を一人マンションに置いて、夜明け前を一人歩いていた。親になるって、その前から大変なんだと、何かと祝延家の先々の事をよく考えた。

 そして、程なく家に戻ると、背筋を伸ばして座るシャム猫の様に、美園がおかえりと微笑む。普通の男性なら早くも育児放棄と怒られるだろうけど、美園は、俺の共鳴込みで、生涯付き合ってくれる事を宣言してくれたので感謝しかない。


 ああ、いや今は職場か。今の俺は、主家の仰せの通りに和歌山県の新宮市にいる。今や南海トラフの語句だけが一人歩きしているが、新宮市は防災推進都市として、和歌山の後衛と、奈良と三重のハブ拠点として、人口も3倍に増えた。

 故に、俺の働く少数精鋭の広告代理店:本阿弥宣伝は、何かとイベント中心に、八面六臂の大活躍中。と、やたら景気のいい話だが。2年前に、課長の渋沢哲夫さんがEVバイクのバッテリー爆発で高架橋飛び出し落下死亡してからは、バイトに指示を送るのが必死で、こう、クリエイティブな仕事をしているのかと社員全員が疑心暗鬼になっている。


 中でも、心持ち良くないのはデザイン部主任の久城峰生さんが、どうにも思わしくない。そう、——はなさないでの声は、彼女を通じて俺に共鳴を送る。そう峰生さんは懐妊している。

 ただ、峰生さんの相手が誰か定かではない。検討もつかない。まあフリーアドレスの時代だし、政府の政策主導も、結婚しろより人口絶対死守で、露骨で直接的な政策に転換した。

 法案の通った融和相続税は露骨だ。独身で死亡すると、財産全ては国庫に前納する事になる。ただ理由問わず嗣子がいれば、余程の事がないと納税の義務は発生しない。法の隙間を語ると長いが、将来的にその嗣子も確実に支出し経済を回すので、上手い事相殺はされていると。トントンの政策だったら、今の日本国はやっと復調になるかの期待も大きい。

 ただ、その久城峰生主任が先週金曜夕方に進退伺いを提出してから、早速今週より席は空いている。

 俺太喜雄と、副社長も先輩と呼ばせる伊地知白寿と話が尽きない。


「あのう、峰生さん食い止める事出来なかったんですか」

「別に、デザイン部の要だし、抜けたら潰れるの知ってるだろう、まさかだったな、」

「全然、心配してないじゃないですか。痩せ型の割にはぽっこりしてたら、はあ、気が重いですね」

「それな、だから、つい言いそうになるだろう」

「やはり、受精バンクにある。哲夫さんの精子で体外受精したんですよね。それって、」

「それって、は古い。過去の人物でも近親者以外は受精出来るのが日本国の方針。別に倫理がどうとか、それは本人の価値基準に忖度される」

「と言うべきか、今でも好きなのが、ちょっと」

「愛って、おおよそ不滅だろ。哲夫にまた会いたいだったら、絶妙なロジックだ」


 そうやって、食後の談義は、3週間延々続く。先輩白寿さんの嫁さんにして、肩書き社長の本阿弥竜子が現場復帰してから、総務情報省に久城峰生の捜索届けを出したが、音沙汰がさっぱりない。まあデュアルアカウントが許される現代社会だから、広島界隈にいるのだろうとは思ってた。

 ただ長身痩躯で、小麦色で艶やかな長い黒髪の超美人の峰生さんが、見つけられないは不思議だ。総務省のフォトトータルボックスの映り込みAI解析も、政府予算運営とはそんなものかと、そう、溜め息しかない。



 そして、翌年の2月に、久城峰生さんが本阿弥宣伝に戻ってきた。勿論赤子付きだ。そしてえらく憔悴していた。時折涙ながらに吐露する。


「シングルマザーでも頑張れると思って多のですよ。ですけど、夜泣きにミルクにおしめと、ヘルパーが全国的に不足の様で、ロジスティックにも穴を開け続けて、いよいよ契約満了になりました。実家に戻ろうとしましたが、世に轟く、西本願寺の役務家の娘が、体外受精出産とは言語道断、敷居跨ぐべからずですって。思い余って、熊本の養育施設をと考えましたけど、いやと隆輝の声が聞こえてる様で、無理でした。私疲れてますよね」

「別に、隆輝君の概念はそれだから、母親には直接聞こえて当然でしょう」

「太喜雄さんのそれって、聞こえるって、噂じゃないんですか」

「峰生さ、うちの零細会社が、不思議に潰れないって、それ相応の伝手があるからのそれ。哲夫の融和、太喜雄の共鳴、俺の繁栄って、まあ照れるけど、信じなよ」

「それもなんですかね。白寿さんの繁栄って、契約中は繁栄、クライアントの契約終了すると、9割潰れるか縮小しちゃいますよね。そら恐ろしい能力ですよね」

「そう、俺は、不思議と怖い。そんな感じだから、峰生の進退伺いはまだ持ってる。俺は関係を一切切りたくない。会社も産休扱いだから、明日から気軽に復帰してよ。ああ、隆輝君は、太喜雄のところの美園さんに預ければいいから。それだよな、まず相談しなって、俺達が男だから話しにくいって、そういうの、本当さ、水くさいよ」

「俺はいいですよ。美園は子供好きだし。俺と、先輩の所と、峰生さんの所で、まあ賑やかかな。先輩、ミルク代の手当下さいよ」

「いいよ。竜子に、食事扶養手当の上限つけさせる」



 ——ミルクちょうだい


 不意に割り込まれた。皆の頭がキーンと劈いた。俺の共鳴を通じて、社内に隆輝君の声が健やかに響く。赤子が何を考えているか分からないなんて、そんな事はない。しっかり親を見ている。それは生涯通じてずっとだから。


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