第7話 船橋戦争――ポストクレジット
船橋大神宮の付近だけでなく、船橋海神駅の辺りも戦災に見舞われた記録が残っている。
火災で焼失した家屋は900軒弱、被災者は5000人近くに上った。戦闘で生じた火災もあっただろうが、主な火元は撒兵隊の残党を追い込むために新政府軍が火付けをしたからだと記録にある。
戦争は人を狂気の世界に招き入れる。平時ならば火付けなど考えもしないだろう。しかし敵を駆逐するというその1点だけで、人は簡単に他人の家に火を点けるのである。
徳之介と潜んでいた撒兵隊の兵――松楠が巻き込まれた火災も、そんな火付けで生じた火災だったのかもしれない。
彼らは燃えさかる商家の中でも、斬り合いを続けたのだろうか。
筆者は殺し合うシーンを考えつつ、前の話まで筆を進めた。しかし疑念が生じた。
望まない、と思う。
彼らの中にある黒い炎は、ある意味、正しい人間の生きるエネルギーだったと考える。人類が何十万年もの永き間、闘争を経て生き残った種族である以上、黒い炎は誰の中にも存在する。ただ、彼らの場合、幕末という特別に殺気だった時代に生まれ、否応がなしに気づかされてしまっただけなのだ。
彼らは炎の中で殺し合わなかった。そう考える。
そう考える理由としては、船橋戦争の資料の戦死者の中に彼らの名前がないからだ。もちろん、この物語は冒頭に示したとおり、フィクションである。しかし資料は当然、参照した。その中には戦死者の名前もあったし、墓地の場所もあった。だから、フィクションの登場人物ではなく、その名前を使わせていただくこともできたはずだ。可能な限り正史に近づけたいと考えていた自分がそうしなかった理由は、人を殺した後でも、それ以上は殺さずに正気を取り戻すシーンを最初から無意識のうちに考えていたからなのではないか。そう思うのだ。
斬り合い、炎に巻かれる中、どちらかが言い出すのだ。
「斬り合って死ぬならともかく、炎に巻かれて死ぬのはごめんだ」
その思いは両者共にあったに違いない。
呉服屋には土蔵があった。土蔵とは耐火造りの建物である。筆者は以前、川越市立博物館で、土蔵が大規模火災に耐える造りである建築物だと知った。2人は上がりの奥で繋がっている土蔵の中で火災に耐えたのだ。
そして火事の高熱に耐え、鎮火した後、外に出ただろう。
そして焼け野原となった船橋宿を目の当たりにして、2人顔を見合わせて笑ったのだ。江戸育ちの松楠と宮崎育ちの徳之介ではろくに会話することもできなかったに違いない。それでも、互いの意思を確かめるように笑ったに違いない。
彼らは人を殺したが、それは戦争という場の中で殺したに過ぎない。
そして分かったのだ。
彼らの中の黒い炎が、もうなくなっていることに。
国道14号線の総武線をまたぐ跨線橋の脇に、念仏堂という古いお堂がある。そこに新政府軍、旧幕府軍の戦死した兵たちの墓がある。また、船橋大神宮にも墓がある。遠く福岡藩の藩士で、戦死した足軽小頭と従卒の墓だ。その脇に撒兵隊の戦死者の墓もある。
船橋の人たちは新政府軍の戦死者を弔うのはもちろん、朝敵となった旧幕府軍の戦死者も弔った。自分たちの町を焼かれ、何千人と家を失ったというのに。
動乱期を生きた町人たちの心意気であろうか。
筆者には日本人の心がここに現れていると思えてならない。
ある人斬りの話 短編オムニバス 八幡ヒビキ @vainakaripapa
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