第6話 船橋戦争――大神宮下の殺し合い

 朝の凪の時間が終わると強い風が吹き始めていた。東南の風だった。


 その風に抗い、向かい風を受けながら徳之介らの部隊は船橋に向けて進軍していた。徳之介らが遭遇した撒兵隊の先兵とは別に本隊を襲った前衛部隊がいたらしく、死者が出たと、本隊に合流してから聞かされた。


 俺も人を殺したのだ。殺されることも当然ある。


 徳之介は小休憩の間に、刀を改めて見る。人1人の血を吸った刀である。郷士の出ではあるが、武士でもある。この刀がいつから宮山の家に伝わっているか知らないが、初めて血を吸ったであろうことは想像に難くなかった。苦しい暮らしの中、刀を手放さなかった先祖に感謝の気持ちがあった。そして人を斬ることで得た満たされた気持ちがあった。武士もののふの血が流れている自分が、自分の意思で兵を倒したのだ。誇るべきだろう。平時ではあってはならない黒い炎も、戦場では死が満ちる場所を照らす光となるのだ。


 夏見村辺りまで進軍したところで、撒兵隊が阻止行動に改めて出てきた。佐土原藩の指揮官は最初の損害にも心を折られず、冷静に応戦を始めた。後方から臼砲で撒兵隊が展開しているあたりの畑を砲撃し、布陣を崩す。そして銃隊の兵を一列に並べて、合図で一斉に発砲し、排莢、次弾を放つ。スピンドル連装銃の火力は、前装の単発銃であるエンフィールド銃の倍はある。兵の数と臼砲の威力で、撒兵隊は退かざるを得なくなる。


 徳之介も歩兵の一員として兵列につき、発砲を繰り返した。敵にも味方にも損害が出たが、先の雑木林の戦いを経験した後では、無機質なものに思われた。戦争は個人を、軍隊という組織の部品にする。その部品になった感覚が徳之介にはある。これは彼が欲した戦争ではなかった。部隊長が己に自由を与えてくれた意味をかみしめた。


 今は勝手に動く局面ではなかったが、徳之介がまた小隊から離れて戦闘する機会はすぐにやってきた。


 市川の方から黒々とした煙が上がっているのが見えた。どうやら戦場になった八幡は火の海になっているようだった。


 11時頃、佐土原藩の部隊は無事に船橋宿に突入した。銃隊は2手に、街道沿いと漁師町の方に分かれて、突撃した。それぞれ撒兵隊の兵が退いていた。散発的に銃撃戦になる。しかし、建物の影に隠れて撤退しているので、なかなか当たらないし、こちらも進むことができなかった。


 突入している間にも、砲撃が加えられてきて、徳之介の目の前で、船橋宿の民家が大砲の砲弾で破壊され、半壊した。ただ、半壊しただけでは済まない。昼時である。戦争が始まると知って町民は避難をしていたが、種火程度は竈の中に残っている。砲撃で火が点き、すぐに炎になる。強風が徒となっていた。


 撒兵隊はどうやら船橋大神宮を拠点に砲撃しているらしいという情報が入ってきた。お伊勢さんを背にするなどなんと罰当たりな、と言っている兵もいた。しかし戦争に神様もないだろうと徳之介は心の中だけで呆れた。


 味方の砲が応戦し、船橋大神宮の砲から黒々とした煙が上がった。炎が燃えさかる音まで聞こえてきそうな激しい火災となっていた。やはり戦争に神様もなにもないのだ。ただ、勝敗だけがある。


 徳之介が乾いた心でその黒い煙を見ていると、警戒しながら隣を歩いていた同僚が倒れた。死んではいないが、胴を撃たれていた。どこから撃たれたのか分からない。今、徳之介の部隊は左右に商家が立ち並ぶ街道筋を進んでいる。


 どこかに撒兵隊の兵が潜んでいるに違いなかった。


「御免。突入する」


 商家の一軒の2階に、黒い影が見えた。徳之介はその商家に押し入り、抜刀した。


 商家の中に入るとどうやら呉服屋らしかった。上がったところに反物が並んでいる棚がある。その前に撒兵隊の兵がいた。


 撒兵隊の兵は徳之介が突入してくるのを予見していたのだろう。彼よりも速く、小銃の先に付けた銃剣を突いてきた。不意を打たれたとはいえ、徳之介は抜刀していた己を褒めた。ぐわっと黒い炎が徳之介の心の中に燃え広がった。


 殺せる。殺して良い。殺すのだ。


 銃剣を刀で受けると、力と力の押し合いになった。


 敵兵の膂力は神がかりめいていた。若い男だ。徳之介とそう年齢は変わらないだろう。すさまじい力で銃剣を突き続け、徳之介を押し、刀を退けさせ、突き殺そうとしていた。しかし徳之介の砲も普段からは考えられないような力が出てきて、その神がかった力に抗った。


 キヤアアア!!


 徳之介は奇声を上げた。示現流の一の太刀を振るうときに絞り出す力を、今、ここで出さねば、死ぬのだ。


 砲撃で点いた火が燃え広がり始めているのが、音で分かった。パチパチと炎の音が、ごうごうと空気を吸い込んで立ち上る炎の柱の息吹が聞こえてきていた。


 味方が来る気配はなかった。


 どうやらこいつを俺1人で殺して良いらしい。


 そう徳之介は思った。

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